ほつまつたえ
武蔵の国と東京スカイツリー
東京スカイタワーが今話題になっています。展望台が公開され、武蔵の国を一望できるというロマンがあって素晴らしいことだと思います。しかし、このタワーの高さが、「武蔵の国」の「ムサシ」をとって「634」mに決めたと知った時、何か複雑な気持ちになりました。
というのは、紀元200年頃編纂出録された「ホツマツタエ」を読んで行くと、その中に「武蔵の国」の語源になった記述が出てきます。しかし、当初は「むさし」ではなく、「みさし」・「みさしのくに」と命名されていたからです。「みさし」が時代と共に風化し訛って「むさし」になり、時代が下がって漢字が渡来し「武蔵」という漢字が当てはめられたと考えられるからです。
武蔵の語源本来は「みさし」ですから、「みさし」だと「334」mになってしまうからです。
その前に、「ホツマツタエ」なるものが、世間に広く認められておらず、日本には古事記・日本書紀の編纂以前には文字が存在せず、そんな書物は存在しないという認識の方が大半だと思います。
ですから、世間のほとんどの方も「ホツマツタエ」そのものを御存じないし、こんな話をいきなり言われても「ばか」か「変人」と思われ、とても受け入れられないと思ったからです。
もちろん、スカイタワーの高さを武蔵のゴロ合わせにされた方も、こんな事実があったこととは夢にも思っていなかったと思われます。
皮肉にも現在の「むさし」の「む」が「みさし」の「み」であったわけですが、一方で、相模という地名について現在は「さがみ」ですが、当初は「さがむ」と「み」ではなく、「む」と逆に呼ばれていたことに不思議な感じを受けます。その土地に住んでいた方々の方言だったのでしょうか。
さて、「ホツマツタエ」の中にある「みさし」の国と言われるようになった語源ですが、日武尊命(やまとたけ)が、蝦夷(えみし)東征で、駒馬の「鐙(あぶみ)」の片方を落としてしまいます。それを、たまたま拾い上げた「とらかしわ」という武将が届けたところに「武蔵」の語源となった記述が出てきます。
「とらかしわ」が、この拾い上げた鐙(あぶみ)を榊に刺して「やまとたけ」に献上しました。刺し上げた(差し上げた)わけですが、謙譲語の「み」を付けて「みさし」から「みさしくに」という国名が、このとき初めて名付けられたことが分かります。
「差し上げる」という言葉も同時にこの時の語源であったことが分かります。
なお、「とらかしわ」という武将は深大寺の近くの調布市布田の虎柏(こはく)神社に残っています。この虎柏神社の前の通り道の名前が佐須(さす)街道、この付近が佐須(さす)町というのもこれらの事象を裏付けているように思えます。
懲りずに、焦らず、背伸びせず、地道に「ホツマツタエ」に書かれていることを、自分なりに解読し、紹介し続けて行こうと改めて思った次第です。
以下、「ホツマツタエ」(小笠原写本)と「ひらがな訳」の記載部分です。
もし、ご興味のある方は、「ホツマツタエ」 の解読中のブログを覗いてみていただけたらと思います。
http://hotsumatsutae.blog62.fc2.com/
ジョンレノ・ホツマ
・・・・・・・・・・・・・ さかむのたちに
いりませば のにかたあぶみ
とらがしわ ひろいかんがえ
あぶみさし いまたてまつる
たまかざり ほめてたまわる
むらのなも たまがわあぶみ
みさしくに さがむのくにと
もとひこに なつけたまわる
というのは、紀元200年頃編纂出録された「ホツマツタエ」を読んで行くと、その中に「武蔵の国」の語源になった記述が出てきます。しかし、当初は「むさし」ではなく、「みさし」・「みさしのくに」と命名されていたからです。「みさし」が時代と共に風化し訛って「むさし」になり、時代が下がって漢字が渡来し「武蔵」という漢字が当てはめられたと考えられるからです。
武蔵の語源本来は「みさし」ですから、「みさし」だと「334」mになってしまうからです。
その前に、「ホツマツタエ」なるものが、世間に広く認められておらず、日本には古事記・日本書紀の編纂以前には文字が存在せず、そんな書物は存在しないという認識の方が大半だと思います。
ですから、世間のほとんどの方も「ホツマツタエ」そのものを御存じないし、こんな話をいきなり言われても「ばか」か「変人」と思われ、とても受け入れられないと思ったからです。
もちろん、スカイタワーの高さを武蔵のゴロ合わせにされた方も、こんな事実があったこととは夢にも思っていなかったと思われます。
皮肉にも現在の「むさし」の「む」が「みさし」の「み」であったわけですが、一方で、相模という地名について現在は「さがみ」ですが、当初は「さがむ」と「み」ではなく、「む」と逆に呼ばれていたことに不思議な感じを受けます。その土地に住んでいた方々の方言だったのでしょうか。
さて、「ホツマツタエ」の中にある「みさし」の国と言われるようになった語源ですが、日武尊命(やまとたけ)が、蝦夷(えみし)東征で、駒馬の「鐙(あぶみ)」の片方を落としてしまいます。それを、たまたま拾い上げた「とらかしわ」という武将が届けたところに「武蔵」の語源となった記述が出てきます。
「とらかしわ」が、この拾い上げた鐙(あぶみ)を榊に刺して「やまとたけ」に献上しました。刺し上げた(差し上げた)わけですが、謙譲語の「み」を付けて「みさし」から「みさしくに」という国名が、このとき初めて名付けられたことが分かります。
「差し上げる」という言葉も同時にこの時の語源であったことが分かります。
なお、「とらかしわ」という武将は深大寺の近くの調布市布田の虎柏(こはく)神社に残っています。この虎柏神社の前の通り道の名前が佐須(さす)街道、この付近が佐須(さす)町というのもこれらの事象を裏付けているように思えます。
懲りずに、焦らず、背伸びせず、地道に「ホツマツタエ」に書かれていることを、自分なりに解読し、紹介し続けて行こうと改めて思った次第です。
以下、「ホツマツタエ」(小笠原写本)と「ひらがな訳」の記載部分です。
もし、ご興味のある方は、「ホツマツタエ」 の解読中のブログを覗いてみていただけたらと思います。
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あぶみさし いまたてまつる
たまかざり ほめてたまわる
むらのなも たまがわあぶみ
みさしくに さがむのくにと
もとひこに なつけたまわる
by hon-hotsuma
| 2012-04-18 13:38
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