ほつまつたえ


Hotsuma tsutae feelings
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「おのころ」の意味

「ホツマエッセイ 」                        ジョンレノ・ホツマ(2013/9/11追記)


「おのころしま」の意味をホツマツタヱより

ホツマツタヱ18綾の表題は「おのころ」と「まじなう」の綾(章)となっています。

「いさなぎ」・「いさなみ」が浮橋の上から「とほこ」で探り、滴り落ちた泥が固まってできた島のことを「おのころ島」と言い、日本の始まりだと言う認識でした。

「おのころ」に関して知らなかった内容があちこちに点在しており、でも、何を言っているのか理解できず、悪縁苦闘の末、多分こういうことを言っているのだろうと、状況が浮かび上がってくるに至りました。忘れないうちに書き留めておきたくなりました。

ヒントがあちこちに隠されているようで、まさに謎解きのような感じでした。

この「おのころ」という言葉を、各文字の持つ意味について以下のように推測してみました。

1.「お」

「おのころ」の「お」は、音の「お」です。「こえのおは こわにおさまる をのおして」とあり、
音(声)の緒(行き着くところ)は「こわ」(大地・固い地)に収まるとあります。

「を」の「おして」とは、野風に乗って駆け抜ける馬の「くつはみ」の音が「コオコオ」というからと説明しています。地面が混じる音(土砂崩れ・あるいは馬が地面を蹴りつける音)が「ホオコホオ」で、雷の音は「ホオロホオロ」いずれも「お」という音(文字)が含まれています。

一方「おして・おしで」は神社の注連縄に垂れ下っている紙垂(しで)に通じる言葉と考えられます。

2.「の」

「おのころ」の「の」は、「ふむあとの のにひとうみて のるはのて」・「踏む後の 野(の)に人生みて 乗(の)るはのて」の「の」です。

馬が野を踏み均した後には、野は開拓され人口増加できる環境ができたという意味があり、「のる」とは、大地の上で勢いに乗る、うまく流れ(風や潮流)に乗るといった意味と捉えました。

「のて」=「の」の「(おし)て」と思われます。「の」という手・手合で、乗るという意味に通じます。


3.「こ」

「おのころ」の「こ」は、本文が「ねわによろこぶ ねわはこて」と、あり、「ねわによろこぶ」の「こ」だと言っていると捉えました。

「子供」の「こ」と解釈しましたが、豊かな大地が育んだ作物が生まれる土壌の意味と思われます。

自分なりに解読すると、「ねわ」とは、「ね」が、(根・根底・寝・練るなどの意味)、「わ」は(地・大地・地面・地中)という意味合いより、豊かな土壌・豊富な資源が生まれることを子供の誕生に例えて喜(よろこ)ぶこといっていると思います。

「よろこぶ」(喜ぶ)には子供を産むという解釈もあり、よろ(万)の子の恵みという意味合いもあるように思えます。

「こて」=「こ」の「(おし)て」の略字と思います。

この箇所だけ特殊な文字「こ」になっています。
文字の中にドットが二つ付いています。収穫されたお米を「ぞろ」と言っていますがこの「ぞろ」にもドットが追加されています。

豊かで穏やかな地に対して子(童・子供・豊穣)を奉納することの意味も隠されていると考えられます。深い意味がありそうです。

4.「ろ」

最後に「おのころ」の「ろ」ですが、「ひとなるみちは とをもちひ そのもとはろと」・「人なる道は「と」を用い、その「おして」の元になっているのは「ろ」です」とあります。

ホツマツタヱのこの古代の「おして」文字の形を思い浮かべれば一目瞭然ですが、「と」と「ろ」は上下対称の形になっています。文字の形から読めるのは、「と」は両手を天に向かって開き(Yの字)、天の恵みに感謝している姿に見えます。「ろ」は両足でがっちりと大地を踏ん張っている姿(Yを逆さま)に見えます。
人間が人としての正しい道を目指す姿を意味しているようです。

でも、裏に隠されている行間から見えてくるのは、「と」と「ろ」が逆さまであることより、天地がひっくり返ったような大変な様を例えば、火山の噴火など言いたいのではないでしょうか。

以上、この4文字「お・の・こ・ろ」が「わ」(天地の地)と合体して、国を治めると結んでいます。


「おのころ」の各文字を、わかりやすくローマ字で書いてみれば、「o,no,ko,ro」と、各母音が「o」になっています。「o」という母音は古代文字(おしで文字)では、□で表され、埴(土、泥、大地など)の神を意味しています。

ここまでが、今までの認識していた内容を詳細に確認したわけですが、最後の10行ほどに謎めいていたものが自分なりに明らかになり驚きました。

何回か読み直しているうちに、ヤマトタケのエミシ征伐に一緒だった「おとたちばな姫」が嵐を鎮めるために龍の身代わりとして入水してしまう場面を思い出しました。
嵐や、火山噴火などの自然の猛威を鎮めるため、つまり、自然の神の怒りを鎮めるために神に供えるという、生贄の概念がすでにあったと理解したからです。

全て完璧に解読できたわけではありませんが、このように読めてきました。

表題には「おのころ」と「まじなう」の綾とあったものの「まじなう」の内容が結びつく個所が見当たらないと疑問を抱いた瞬間、この最後の10行に、さり気なく触れているのだと気が付きました。

本来言ってはいけないこと・公言を差し控える内容であることを、こっそり事実だけ伝えておく必要があると考えられたのではないでしょうか。

わざとこのまて「18-23」(18-12)
おのころの もしもうごかば 
よなおりを をのこをのこと
いのるべし

禍(わざわい)と「このまて」(大地の魔の手)でもし、「おのころ」(大地)が動くようなこと(大地が揺れ動く天地異変・火山噴火・地震など)があれば、世の直り(神の怒りを鎮める)するために「ヲノコ・ヲノコ」と祈りなさい。

 わらんべいねて「18-23」(18-12)
おそわれば をのこをのこと「18-24」(18-13) 
たなこなて はたゝかみなり 
やまさらば ほおこほさわぞ

天地異変に襲われたときには、童(わらんべ)を居寝て(寝かせて)、「ヲノコ・ヲノコ」と神の掌(たなごころ・手のひら)で撫でられるよう(童を神に差し出すこと、つまり人身御供)にすれば、荒れた神の怒りを鎮められます。という意味が含まれているように思えます。

神が怒ると、「はたた神」(激しい雷)が鳴り、落雷し、火山が噴火して、山が崩れ落ち、「ホオコホ」と怒涛の如く、沢(谷)が出現します。

なお、馬が音を立てて地面を蹴りつけていくのも「ホオコホオ」と表現しています。

「いねて」を居寝て(寝かせて)と解釈いましたが、「鋳練て」・「稲て」という意味合いがどこかに隠されているような気もします。

ひなおりと いのりとゝむる「18-24」(18-13)
をの*こ*ろと わらへのひたひ「18-25」
かにおせは おそわれぬのり
おのころあやぞ

「ひなおり」と、祈って「おのころ」を留めるために、童の額(顔面の上部)に「かにおせば」赤い印(丹・に)を押し付けて、神に捧げれば、天地異変から襲われない典(のり)になります。「か」は善・明るいという意味から太陽の赤いという意味に捉えました。これが、「おのころの綾です。」で終わっています。
 
今でも、インド・ヒンドゥー世界では、ビンディといって赤いシールを付けているのを見かけます。元々は悪霊から守護するためであったようです。共通点を感じます。
この「ひなおり」という言葉が「呪い・まじなう」を意味していると理解しました。

ここの記述より、古代日本でも天地異変のときには、童を生贄にしていたと解釈しました。
まさか、人身御供(ひとみごくう)・生贄(いけにえ)が実際古代において行われていたとは、にわかに信じがたかったのですが、すでに日本古来にあったと、先人の研究者の方々がおられることを、知って得心しました。(*1)

さらに、「よなおり」と 「ひなおり」とは、「なおり・おり・直会(なおらい)」の韻を踏んでいるようです。
 

「夜なおり」と「昼なおり」という夜と昼の意味合いもあるように思えます。

「夜なおり」は暗闇の中の雰囲気であり、「昼なおり」は明るくなる期待の意味合いがあるように思えます。暗闇で「おのころ」(人身御供・生贄)の儀式を行っていたのでしょうか。

あちこちに伝わっている夜祭、例えば、大國魂神社 (府中市)の暗闇祭りや秩父の夜祭などのように「よなおり」発祥の根底が引き継がれているように思えます。そうだとしたら、夜祭のあの激しい動きをする動機が隠されていたことに納得がいきます。

「ひなおり」神事として、現在でも阿蘇山での火振り神事・火降り神事として執り行われていることに驚きます。


 「よなおり」の別の解釈として、
「よな」は火山灰を示している。火山の噴火が全ての生活環境を破壊してしまい、早く怒りが治まってほしいという願望も含まれているようです。
 「よな」は胞衣(えな)の意味もある。我々を取り囲む世界(子宮内に例えて)を治めて欲しいとの意味にも通じるようです。

上記の解読は完璧とは言えず、全綾を解読後にはもっと明快な解釈が出てくるのではと思っています。
今はまだ、粗いざるで水を掬っている心境です。いずれにせよ、「まじなふ」は、神の怒り(天地異変)を鎮めるために「おまじない」をしていたことを知りました。

もっとも、私が他の方の解読を知らないだけの井の中の蛙であって、もう既に明快な解釈が出ているのか知れません。

今日(2013/9/11)の読売新聞の文化欄に、
富士山の「沈静命令」伝達か
古代官道の支道跡 河口湖近くに
というタイトルで記事が出ていました。


平安時代の史書「日本三代実録」によると、富士山の貞観大噴火(864~866)の際、朝廷は莫大な被害をもたらした富士の神・浅間大神に対する陳謝を甲斐国司に命じた。噴火は神の怒りの発動とされ、ささげ物を供え、謝る祭祀で抑えられると考えられていたからだ。何を捧げたかは不明だが、当時の状況が思い浮かぶようです。

以上

(*1)「怪異の民俗学7 異人・生贄 小松和彦編集 河出書房新社版」より。収録著者は柳田国男、肥後和男、宮田登、西郷信綱、若尾五雄、赤坂憲雄、三浦佑之、中村生雄氏等

「18-数字」は和仁估安聰釋術ホツマツタヱ
(18-数字)は小笠原長弘筆録覆刻版ホツマツタヱ の頁を示す。
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by hon-hotsuma | 2013-09-09 20:35

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