ほつまつたえ


Hotsuma tsutae feelings
by hon-hotsuma
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豊受神と天照神

2014/4/2
ホツマエッセイ 豊受神と天照神   図表部分をクリックすると拡大できます。

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 キクキリ姫とすべきところを、キククリ姫のままですみませんでした。

このキクキリ姫に関連して、石川県白山市にある菊姫というお酒、昔ながらの山廃仕込みという手法の美味しいお酒を楽しんでいます。
 ホツマツタヱ4綾の中では、アマテル神が生まれたとき、シラヤマ姫が泣き声からウヒルギと名前を聴き取ったことを称えて、キクキリ姫という名を賜わります。
 本来は、よく聞き取れない霧がかかったようなところで聴き取ったので、キクキリヒメと名付けられ、いつしか、漢字が渡来して、菊桐姫という字が当てはめられと推測します。現在、シラヤマ姫の地元白山市で、菊姫というお酒に出会えたことに感激しています。
                               ジョンレノ・ホツマ   



天照神は、今までの歴史書・古事記、日本書紀を始め全て女性神として記されており、当然のように思っているため、ホツマツタヱには男性神であると言ったところで、納得できる話ではなく、その時点で、拒否されるのが現状でした。

予てより、何とか接点を見つけようと思っていました。先月、天照神誕生に至る経緯と背景をホツマツタヱの記述の中から図表に展開してみました。納得できなくとも、目で見れば、ホツマツタヱが記述している内容について、多少なりとも分かっていただけたのではないかと思ったからです。


この図表を作ったときは、天照神の誕生に至る経緯を詳細に目で追えるようにするのが目的でした。しかし、この図表が出来上がってみると、今まであまり意識することの無かった豊受神が如何に偉大であったかが見えてきたことに驚きました。
そこで、新たに、豊受神と天照神の対比ができるように追記・修正をいたしました。この、お二人の神様は伊勢神宮の外宮と内宮にそれぞれ祀られておられます。

ホツマツタヱの記述によれば、天神の始まりは初代のクニトコタチからで6代オモタル・カシコネまで続きましたが世継ぎ皇子に恵まれず、代が途絶える危機を迎えます。
その状況を察した、5代目タカミムスビが全国を駆け巡り、代々の天神の子孫の血筋の中から、後のイサナギを見つけ、自分の娘のイサナミと結ばせて皇位継承に尽力をつくします。

この5代目タカミムスビはタマギネとも呼ばれ、さらにはトヨケ神・トヨウケ神とも呼ばれ、後に漢字化されたとき豊受神と表されるようになります。
今で言う天皇としての扱いを受け「オオナメコト」(大嘗祭)を司り、東の君(キミ・今で言う天皇)としての天成道を受け継ぎました。

これらの記述から、タカミムスビが居られた日高見地方が当時の日本の中心地であったことが理解できます。仙台地方が日本の中心地であった時期が間違いなく存在していたことになります。
天照神が生まれる前、ましてや大和朝廷が生まれる前のこと、今まで、教科書で理解している歴史感の中にはなかったことです。
現在の北上川は、当時はヒタカミ川と呼ばれていたものがキタカミと聞き違えて漢字化されたものと考えられています。

驚くべきことに、東の君・5代目タカミムスビ(豊受神)に対応して、西の母君・西王母と雄大なスケールの世界が当時存在していたことが図表より確認できることです。

ウケステメ(後の西王母)は2度も来日し、イサナギ(男神)の妹に当たるシラヤマ姫と義理の姉妹に契りを結んでいます。さらに、この5代目タカミムスビに仕えていた記述もあり、タカミムスビ(豊受神)はヤマノミチノクをこのウケステメ(西王母)に授けています。

このように、5代目タカミムスビ(豊受神)は、イサナミ(女神)の父親であると同時に、後の天照神の祖父にあたり、天照神の教育もされています。
現在では天照神のお食事係とされていますが、ホツマツタヱの記述からは、天照神を生み育てあげた如何に偉大な方であったかを知ることが出来ます。




以上
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by hon-hotsuma | 2014-04-02 11:14

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