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Hotsuma tsutae feelings
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卑弥呼と邪馬台国 

卑弥呼と邪馬台国             ジョンレノ・ホツマ

 先週、NHKのTVで、歴史秘話ヒストリア古代史ミステリ!なる番組が目に留まりました。
卑弥呼や邪馬台国をメインにしていましたが、推論しか出てこず、残念で空しく思えました。途中で電源を切ってしまいましたが、世間ではホツマツタヱのことが知られていないのと、例え知っていても表ざたできない制約が、今も昔も取り巻いていると悟りました。

 現在、我々庶民を取り巻いている政治の世界も、原子力の世界も、放射能汚染の問題も、医療の世界も、食の問題もいずこも、権力者にとって都合の悪いことは伏せられて表に出せない現実があることを改めて思い起こした次第です。

 他の人が知らなかったり気が付かない事実を自分が知っていれば教えたくもなり、分かってもらいたいと思い、ホツマツタヱの記述の観点から解説させていただきます。

 一つは、現在発掘中の大規模な宮殿跡の纏向遺跡と卑弥呼の関係:
番組では、この纏向遺跡を卑弥呼の住まいであったのではないかと推測しています。神殿の作り方は九州の遺跡と同じで関連があったと考えられ、更には、この遺跡からは、全国各地からの陶器も発見されており、各地と交流があったことを解説していました。

 ホツマツタヱ38綾を読めば、纏向遺跡は景行天皇(人皇12代・ヤマトオシロワケ)の住まいであり、いわゆる卑弥呼とは関係がないことが明らかになるのですが、・・・。

 景行天皇のお妃たちは、播磨の吉備津彦の娘「おいらつ姫」、紀の国のうじまろの娘「やまとかけ姫」、美濃の「やさかいり姫」、その他、三尾(安曇川)など、更に九州時代の日向には「みはかせ姫」も含め8人おられました。お妃として嫁ぐときに、地元の陶器も持参されてきていると考えれば出土して当然のことと考えられます。

 景行天皇は父垂仁天皇の皇子で、ヤマトタケを含めてお子さん総勢81人も居たことが記されています。

 では、卑弥呼とは誰?という疑問について、まず漢字が分かりにくくしています。
ホツマツタヱを読んでいると、「ヒミコ」とは、「ひのみこ」・「ヒ」の「みこ」、すなわち、日・太陽の皇子という意味から、天照神の子孫のこと、天上の神をお祭りする役目でもあることが読み取れます。つまり、個人名ではなく、役目につけられた名前のことです。

 この天照神の御霊を守る役目であり、後に斎女と呼ばれており、魏志倭人伝の書かれた頃の斎女(ひのみこ)は「やまと姫」の事を示していると考えます。

 この斎女は初代が「とよすき姫」、2代目が「やまと姫」3代目が「いもの姫」と続きます。
丹後・宮津の「あさひ宮」に祀られていた天照神の御霊と豊受神の御霊は伊勢に移されます。

斎女「やまと姫」は腹違いですが景行天皇の姉にあたります。

 「やまと姫」が引退して「いもの姫」に引き継がれる時、80人の物部と12人の役人が一緒であったことが分かります。景行天皇の妃・子供たちとほぼ同じ人数を引き連れていたことになります。伊勢の斎宮跡が今後発掘されてくれば、今の纏向遺跡の規模に勝るとも劣らないものではないかと推測しています。

 更にここでは暦も作っていたという記述から、天体観測もしていたと思われ、魏志倭人伝の鬼道を占うという表現とも合致します。

「いもの姫」は引継いだ時の年齢が14才とあり、魏志倭人伝の年齢13才の記載はとほぼ同じと見なせると思います。
 ですから、斎宮が「ひみこ」の住まいであったと言えると思います。



 では、問題の邪馬台国の所在はどこか?について、

 畿内説、九州説と相変わらず盛んですが、見当違いの思い込みで言い争いをしているようで残念です。大和朝廷の目から見ての考察が主になっており、紀元前からの整然とした歴史の流れをホツマツタヱから読み解いていくと自ずと見えて来るのですが、今までのご自分の立場を守るためにもホツマツタヱを無視せざるを得ない状況であるから已むを得ないと思っています。


 今までの自分が理解している範囲ですが、

 現在、伊勢神宮の外宮に祀られている豊受神は、生まれ育ったところは仙台・日高見です。イザナミ・イザナギを結びつけて、当時の天皇家の代が途絶えそうになったことを救い、孫に当たる天照神を教育してきました。
 更に、西王母が二度も豊受神の所に教えを請い訪れているという、俄かには信じがたい記述もあり、豊受神の日高見、今の仙台地方が、まさに日本の中心であったと分かります。

 「やまたい国」の「やまたい」ですが、現在の漢字の仙台の人偏をとれば、山台となります。「やまたい」と呼ばれていた地名に、後世漢字を当てはめ、時代と共に音読みに変わったと考えることが出来ます。

 ここで、「やまたい」の「い」を敷(鴫)居や鴨居のように居場所と捉えれば、「やまた」のいた所、ある所、在り処と理解できます。

 「やまた」という地名が仙台市に存在します。仙台市太白区山田という地名も存在します。付近には古代遺跡も多数点在しているようです。

 次に、この「やまた」の意味ですが、「やま」は山、「た」は宝の「た」から、山の宝、金や銀などの貴金属、或いは、銅や鉄などの金属も含まれるかも知れません。正に黄金が山の中にあるという場所を言い表していることに気が付きました。金が埋もれている所が「やまたい」という表現になったと考えます。
 漢字化され、山田とも表されていますが、田は田んぼの田で、掘り起こして(耕して)、金属を取り出し、山から取り出した宝の意味と捉えていたことが分かります。

 天照神は「いぶきど主」に「やまた縣(あがた)」と「いふき主」という名前を賜わっています。「いふき」には伊吹山もそうですが、鋳物を吹くという意味合いがあり、まさに精錬していたことも分かります。

 西王母が2度も日本に来たのは、ホツマに記載されている表向きの理由とは別に、マルコポーロより以前の紀元前にも黄金を土産にしたかったのではないかと思いを馳せました。

 これらのことから、「やまた」・「やまたい」は、この豊受神の日高見、今の仙台地方を示していたことになると思います。
 分かりやすく言えば、現在の伊勢神宮の外宮の御祭神である豊受神が政治をとっていたところが「やまたい国」であったということになります。

 また同じ「やまた」でも「やまたのおろち」の「やまた」の意味も山の宝のことで、「おろち」はこの宝、銀・銅・鉄などを精錬するとき、付近に鉱毒による汚染の危害が及び大量死を招き大蛇のように恐ろしい悪者が現れたというのが本来の意味合いであったのではないかと思います。

 なお、三重県にも宇治山田という「やまた」が、大山田村と伊賀地方にもあり、「いぶき」とも関連あると考えられますが、更に解読が進んだ次の機会にいたします。

以上
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by hon-hotsuma | 2014-06-17 06:39

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