ほつまつたえ


Hotsuma tsutae feelings
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ヤマタイ国が仙台!ホツマツタヱと魏志倭人伝の解読

ホツマ・エッセイ 先々月の続き        
先々月のホツマ・エッセイで、疑問を残したままのことがあることに気が付きました。

それは、魏志倭人伝に述べられている邪馬台国は、仙台・日高見の「やまた」(山の宝・金銀などの金目のもの)が居る(ある)場所のことと推測したことを記述しました。

今までの魏志倭人伝の解釈の内容からは、位置的にかけ離れており、ほとんどの方は馬鹿げたことだと一笑して頭から無視されていることと思います。

しかしながら、見方を変えてみれば「ヤマタイ国」が仙台地方であっても何ら不思議でなく、あり得ることと納得していただけると思います。
あくまでも「ホツマツタヱ」を解読していく過程で、魏志倭人伝を参考として見ると自然と行き着く結論になりました。

まず、ホツマツタヱの38綾の景行天皇が熊襲討つ綾に、九州のほぼ全域を廻られた記述の中に「ひなもり」(夷守)という地名が出てきます。ここは、宮崎県小林市付近に夷守岳(霧島山から東北へ約3km)があり、この付近が、魏志倭人伝にある「投馬国」であったと思われます。

ホツマツタヱ29綾に、「たけひと」(後の神武天皇)が父の臨終で遺言を授かりに九州へ行きます。「みおやあまきみ」(うがやふきあわせず命・神武天皇の父)は死後「あひら」の神となります。「あひら」とは九州大隅半島中央部の鹿屋市吾平山上陵のことになります。

その後、君になった「たけひと」(後の神武天皇)は宮崎で政治を執ります。
この時、「たけひと」は最初のお妃「あびら姫」をこの九州で娶ります。この「あひら」地方の出身であると推測できます。

いずれにせよ、この付近が、魏志倭人伝でいう投馬国が存在していたのではないかと思います。

さて、この投馬国からの魏志倭人伝の記述は、
南至邪馬台国。女王之所都。
水行十日、陸行一月。
とありますが、今までの解釈は南へ進むと南の海しかないというのがほとんどのようであったように思います。
私の解釈は「南至」とは、何も南の方向に進むことではなく、ここでは本州(日本列島)の南側を「ヤマタイ国」へ向かって進むときの日数を言っていると捉えました。
この魏志倭人伝の記述で、「ヤマタイ国」が仙台と比定することも可能と思い至った次第です。                                   以上
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by hon-hotsuma | 2014-08-09 22:31 | Comments(0)

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