ほつまつたえ
検証旅行2
ホツマツタヱ検証旅行2
前回の続きになります。
二日目は、六甲山から京丹後に入り、天照神の祖父であり、師でもあった豊受大神(トヨケ神)が祭られている比沼麻奈為神社の訪問から始まりました。日高見(東北)を治めていたトヨケ神がなぜ京丹後に?という疑問には、サホコ国(山陰)の政情を治すために「タマキネ」(トヨケ神)派遣された経緯があったからです。現地の役人で手に負えない大陸からの渡来人と現地人との間で人口増加による食糧難などのいざこざがあったのでしょうか。
比沼麻奈為神社は、久次(ひさつぎ)岳という山の麓にあり、豊受大神が近くにある真名井原の地で田畑を耕し、「月の輪田」や「清水戸」といった古代稲作の霊跡があり、ここが伊勢外宮の古本宮だと実感できました。
私たちが訪れたとき、神社を取り囲んでいる静寂な山の谷間に、突然風が竜巻のように吹き木の葉が舞い上がりました。ほんの一瞬の出来事で、その後何にもなかったかのように再び静寂に戻りました。この光景を目の当たりにした皆は、神様が舞い降りて来たように感じられ、神の存在を知った心持ちになりました。
その後、神殿で神に捧げる舞いを披露していただき、遠い昔を偲ぶことができ、ゆったりした気分になりました。
「タマキネ」(トヨケ神)は、サホコ国(山陰)を治めるため宮津の宮で政治を執り、後に天照神を呼び寄せています。天成道の奥儀を天照神に授けた後、トヨケ神はこの地で亡くなられ、あさひ宮に祀られます。国に帰ろうとした天照神は地元民に引き留められ、この地で政治を引き続き執られた経緯があります。
トヨケ神が、宮津の宮で政治を執った処と思える、籠神社(このじんじゃ)が風光明媚な天橋立の近くにありますが時間の関係で訪問いたしませんでした。
ここのご祭神が、彦火明命とあり、ホツマツタヱから読み解くと以下のようになっています。
豊受神→イサナミ→天照神→オシホミミ(箱根神)→ニニキネ(別雷神)→ホノアカリムメヒト(長男)又は・ヒコホホデミウツキネ(3男)とあり、この最後が彦火明命に当たると思われます。
この代まで時代が下って、先祖神である豊受神を祭るのに山奥の比沼麻奈為神社より適した場所として移転したのではないでしょうか。
次に、大宮売(賣)神社(オオミヤメ神社)を経由しました。
ここは、丹後国二の宮となっており、大宮賣神(アメウズメの神)と若宮賣神(トヨウケの神)がご祭神になっていますが、ホツマツタエからは天照神のお妃12人の内の典妃オオミヤヒメミチコを祀っていると思われます。
ご祭神が時代と共に風化してしまっていると感じました。漢字化した後に「オオミヤ姫」が誰か分からくなってしまい、大宮賣神と書いて「アメウズメの神」とされてしまったようです。
ホツマツタヱから読めることは「アメノウズメ」は天孫ニニキネが新田開拓のため全国八洲(ヤシマ)巡りに同行した80神の一人で、道中「ちまた神」(猿田彦)に出会い、道中猿田彦が険しい道を均し、井堰を築きあげた功績に、この「ウズメ」を賜わります。この地にも縁があったのだろうと思いました。
最後に、元伊勢内宮 皇大(こうたい)神社へ行ってきました。バスを下車して、山の中の長い石段を休み休み進み、雨に清められた本殿にたどり着いたとき、訪れる人も我々以外ほとんど見かけず、タイムマシーンで当時に引き戻されたように周りは静寂で神秘的でした。
御祭神の本殿には天照皇大神 脇宮には天手力雄命(タヂカラオ)・栲機千々姫命(タクハタチチヒメ)が祭られていました。
天手力雄命(タヂカラオ)は天照神の甥っ子で、天照神が岩戸に隠れていたのを、御神楽にうかれ顔を出した所を引き出した人であり、ワカ姫(天照神のお姉さん)とオモイカネの一人息子であることに彷彿としました。
一方、栲機千々姫命(タクハタチチヒメ)は、天照神の息子(オシホミミ)のお嫁さんあたります。天照神と中宮の「セオリツ姫・通称ムカツ姫」と間に生まれた子供がオシホミミで、天照神から見れば2番目の子供(次男)になりますが世継ぎ皇子になります。そのお妃になります。
息子(オシホミミ)が病弱で早死にしてしまい箱根神となり、お嫁さんであった「タクハタチチ姫」は、なぜか父親の天照神の元に就いた経緯があります。
非常に可愛がられていたのではないでしょうか。また、常に命を狙われていたオシホミミが亡き後、自分が狙われると恐れていたことも考えられます。晩年になっては、天照神の介護をされていたような気もします。
本来ならば(長男「アメノホヒ・タナヒト」)が世継ぎになるところであったのになれず、長男を生んだ「マスヒメモチコ」は恨み続け、失脚し「オロチ化」した流れも一瞬頭の中を廻りました。
この脇宮を見ながら、そんな思いがふと横切りました。
更に、此処から15分ほど山を下りていくと、天岩戸神社が岩戸渓谷の滝壺のようながけっぷちに建てられており、神秘的な雰囲気でした。辺りには御座石や神楽岩が点在しており、こんな所に天照神が隠れていたのかというのが実感でした。
今回の検証旅行で、今さらながら豊受神も天照神も偉大であったという思いになりました。
以上
前回の続きになります。
二日目は、六甲山から京丹後に入り、天照神の祖父であり、師でもあった豊受大神(トヨケ神)が祭られている比沼麻奈為神社の訪問から始まりました。日高見(東北)を治めていたトヨケ神がなぜ京丹後に?という疑問には、サホコ国(山陰)の政情を治すために「タマキネ」(トヨケ神)派遣された経緯があったからです。現地の役人で手に負えない大陸からの渡来人と現地人との間で人口増加による食糧難などのいざこざがあったのでしょうか。
比沼麻奈為神社は、久次(ひさつぎ)岳という山の麓にあり、豊受大神が近くにある真名井原の地で田畑を耕し、「月の輪田」や「清水戸」といった古代稲作の霊跡があり、ここが伊勢外宮の古本宮だと実感できました。
私たちが訪れたとき、神社を取り囲んでいる静寂な山の谷間に、突然風が竜巻のように吹き木の葉が舞い上がりました。ほんの一瞬の出来事で、その後何にもなかったかのように再び静寂に戻りました。この光景を目の当たりにした皆は、神様が舞い降りて来たように感じられ、神の存在を知った心持ちになりました。
その後、神殿で神に捧げる舞いを披露していただき、遠い昔を偲ぶことができ、ゆったりした気分になりました。
「タマキネ」(トヨケ神)は、サホコ国(山陰)を治めるため宮津の宮で政治を執り、後に天照神を呼び寄せています。天成道の奥儀を天照神に授けた後、トヨケ神はこの地で亡くなられ、あさひ宮に祀られます。国に帰ろうとした天照神は地元民に引き留められ、この地で政治を引き続き執られた経緯があります。
トヨケ神が、宮津の宮で政治を執った処と思える、籠神社(このじんじゃ)が風光明媚な天橋立の近くにありますが時間の関係で訪問いたしませんでした。
ここのご祭神が、彦火明命とあり、ホツマツタヱから読み解くと以下のようになっています。
豊受神→イサナミ→天照神→オシホミミ(箱根神)→ニニキネ(別雷神)→ホノアカリムメヒト(長男)又は・ヒコホホデミウツキネ(3男)とあり、この最後が彦火明命に当たると思われます。
この代まで時代が下って、先祖神である豊受神を祭るのに山奥の比沼麻奈為神社より適した場所として移転したのではないでしょうか。
次に、大宮売(賣)神社(オオミヤメ神社)を経由しました。
ここは、丹後国二の宮となっており、大宮賣神(アメウズメの神)と若宮賣神(トヨウケの神)がご祭神になっていますが、ホツマツタエからは天照神のお妃12人の内の典妃オオミヤヒメミチコを祀っていると思われます。
ご祭神が時代と共に風化してしまっていると感じました。漢字化した後に「オオミヤ姫」が誰か分からくなってしまい、大宮賣神と書いて「アメウズメの神」とされてしまったようです。
ホツマツタヱから読めることは「アメノウズメ」は天孫ニニキネが新田開拓のため全国八洲(ヤシマ)巡りに同行した80神の一人で、道中「ちまた神」(猿田彦)に出会い、道中猿田彦が険しい道を均し、井堰を築きあげた功績に、この「ウズメ」を賜わります。この地にも縁があったのだろうと思いました。
最後に、元伊勢内宮 皇大(こうたい)神社へ行ってきました。バスを下車して、山の中の長い石段を休み休み進み、雨に清められた本殿にたどり着いたとき、訪れる人も我々以外ほとんど見かけず、タイムマシーンで当時に引き戻されたように周りは静寂で神秘的でした。
御祭神の本殿には天照皇大神 脇宮には天手力雄命(タヂカラオ)・栲機千々姫命(タクハタチチヒメ)が祭られていました。
天手力雄命(タヂカラオ)は天照神の甥っ子で、天照神が岩戸に隠れていたのを、御神楽にうかれ顔を出した所を引き出した人であり、ワカ姫(天照神のお姉さん)とオモイカネの一人息子であることに彷彿としました。
一方、栲機千々姫命(タクハタチチヒメ)は、天照神の息子(オシホミミ)のお嫁さんあたります。天照神と中宮の「セオリツ姫・通称ムカツ姫」と間に生まれた子供がオシホミミで、天照神から見れば2番目の子供(次男)になりますが世継ぎ皇子になります。そのお妃になります。
息子(オシホミミ)が病弱で早死にしてしまい箱根神となり、お嫁さんであった「タクハタチチ姫」は、なぜか父親の天照神の元に就いた経緯があります。
非常に可愛がられていたのではないでしょうか。また、常に命を狙われていたオシホミミが亡き後、自分が狙われると恐れていたことも考えられます。晩年になっては、天照神の介護をされていたような気もします。
本来ならば(長男「アメノホヒ・タナヒト」)が世継ぎになるところであったのになれず、長男を生んだ「マスヒメモチコ」は恨み続け、失脚し「オロチ化」した流れも一瞬頭の中を廻りました。
この脇宮を見ながら、そんな思いがふと横切りました。
更に、此処から15分ほど山を下りていくと、天岩戸神社が岩戸渓谷の滝壺のようながけっぷちに建てられており、神秘的な雰囲気でした。辺りには御座石や神楽岩が点在しており、こんな所に天照神が隠れていたのかというのが実感でした。
今回の検証旅行で、今さらながら豊受神も天照神も偉大であったという思いになりました。
以上
by hon-hotsuma
| 2016-02-22 16:10
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