ほつまつたえ


Hotsuma tsutae feelings
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ホツマツタヱ解読

吉野ヶ里遺跡をホツマツタヱから読み取る ランダムトーク 藤田昇 

ホツマツタヱの記述の中(38綾=章)に、景行天皇が九州の熊襲征伐に御幸された記述があります。最初は、何度読んでも、吉野ヶ里遺跡に関連する国が見当たりませんでした。強いて言うならば、「やつめ姫神」が唯一該当するように感じられていましたが、範囲が広すぎて接点が見つかりませんでした。

ホツマツタヱの記述では景行天皇が御幸されたのは、即位12年目、日代の暦十二年ですが、即位されたのが、神武天皇の時の暦のあすず暦788年、すなわち、あすず暦800年に出発されたことになります。
宇佐から太平洋側を南下して、途中、高屋(宮崎県)というところに6年間滞在した後、帰りは、有明海の方を経由して北に向かわれています。現在の暦との整合性ははっきりしませんが、いずれにしろ、紀元100年~200年頃と考えられています。

吉野ヶ里遺跡のあった当時の国は、景行天皇の御幸された年代には、既に消滅していたのか、あるいは、もっと以降になって勃興したため、この景行天皇の御幸の時になんら接点がなかったのかとも思っていました。

唯一該当すると考えていた個所の「おしで文字:古代文字」を「ひらがな」訳で書き直してみるとこうなります。

 やつめをこえて(38-71) 「や」は数字の8を表す文字
まえやまの あわみさきみて(38-72)
きみいわく たゝみうるわし
かみありや みぬさるをうみ(38-72)「を」は特別な意味を持つ「を」
もふさくは やつめひめかみ 「や」は数字の8、「ひ」は「人」を表す
みねにあり(38-73)

高畠精二氏の訳を参考に、今までに解読されていた内容は

八女県(やつめ)を越えて、まえやまのあわみさきを見て、君(景行天皇)は、畳の目ように山の峰が重さなりあっている所だ。うるわしい国神ありやとお聞きになりました。

このとき、「みぬさるおうみ」(水沼県猿大海・福岡県三瀦(みずま)郡大川市)が申し上げるには、「やつめ姫神」が此処を治めています。山中に住んでおられます。

となります。

まず、最初の場所の

「やつめをこえて」の「やつめ」は現在の八女に残っていると考えます。

次に「まえやまの あわみさきみて」の前山は普賢岳の前にある眉山の事と考えます。

これは、「街道の日本史53 佐賀・島原と長崎街道:吉川弘文館発行」の中に、雲仙普賢岳の噴火の記載が載っていました。そこには、寛政四年の大噴火で溶岩流の流出で眉山(まゆやま・前山とも)の東半分が大崩壊したの記録がありました。
多分、この眉山のことを見ながら通過されたと思います。当時と現在では山のかたちも違っていたと思います。
その次の、「あわみさき」について、特定できませんが、弥生時代、海岸線は今より奥まっていて(海抜が高かった)、現在の吉野ヶ里遺跡付近も海岸線に近かったと考えられます。よって、吉野ヶ里遺跡の近辺に「あわみさき」という地名があったのかもしれません。

「八女を越えて」とあるので、八女もまた当時海岸に近かったことを考えると、八女付近から、パノラマ状に有明海が目の前に広がり、対岸には、左から順番に眉山(前山)、雲仙岳、多良岳、経ヶ岳、八幡岳、天山、背振山(吉野ヶ里)と山の峰が重なり合って見えたのではないかと推定します。

しかしながら、今回、「地図でみる西日本の古代:平凡社 2009年5月発行」の中の参考資料の古代「延喜式」の郡名・郡界一覧④の九州地方の地図に、景行天皇が御幸された当時の国の名前がそのまま残っていることを見つけました。
そして、何と問題視していた吉野ヶ里遺跡の付近は、古代の郡名が「三根」(みね)とはっきりと表示されていました。

すなわち、「やつめひめかみ みねにあり」の「みね」は、峰や山の中に住んでいたということではなく、「三根」という地名を示していたことを始めて知りました。

疑問に思っていたことが解消し、吉野ヶ里は「やつめ姫神」が治めていた「八女国(やつめ:やめ)」であったことが確認できました。
吉野ヶ里の国は女王国であったこともわかりました。

また、「みぬさるをうみ」の話した内容から、この「やつめ姫神」は、吉野ヶ里という一部分だけでなく、島原半島までの広範囲を治めていたとも受け取れます。

そして、この「やつめ姫神」の勢力範囲には、「やまとの勢力」が及んでいなかったことにもなります。

念のため、この「みねにあり」の部分を三書比較により、古事記、日本書紀を参照してみたら、古事記には記載がなく、日本書紀には「常居山中:山の中に住まわれている」とあることもわかりました。

分からなかったことが一つ解明できて、良かったというのが今の心境です。

以上
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by hon-hotsuma | 2009-10-20 22:11

古代マヤの暦

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古代マヤの暦 ジェフ・ストレイ著 駒田曜 訳 創元社 2009/4発行 藤田 昇

マヤ文明について神殿に太陽の光が差す位置で一年の暦・サイクルを示していたということは知っていたが、具体的な事例の解説により、人間が自然の中で生きていく上の知恵というものについて、私の想像以上のものであったことに驚きました。

さらに本書はコンパクトではあるが、マヤ以外の古代エジプトやアイルランドのストーンヘンジなどの他の古代文明における暦についても触れており、古代の暦に対する考え方について非常によくまとまってただただ感心するばかりでした。

特に、マヤの暦が太陽と月の運行だけでなく、金星や火星他の惑星の周期までも計算に組み込んでいたということを知りました。
パズルの世界に入り込んでしまったようで、自分が理解できない個所も多々あり、もし本当なら、なぜ今まで知らなかったのか、愕然としました。

例えば、周期サイクルという概念で、
19太陽年=235月期(メトン周期 ギリシャ) 1月=29、53日の月期、1太陽年=12.368月期
ツオルオン260日暦(13と20の組み合わせ)、
ハーブ365日暦(18*20)+5
52年の周期 52ハーブ=73ツオルオン 52年で一旦世界の終焉と考え、建物の更新(伊勢神宮の20年毎の遷宮を思い出します)
金星の運行表の存在 地球が太陽を8周する間に金星は13周。太陽と8年に5回まじわる。
火星は780日の会合周期=3ツオルキン 火星の逆行運動78日間も。などなど。

穿った考えをすれば、偶然、現在解明できていることを、この古代絵文字に当てはめて正当化しているのではないかと思うほど、ありとあらゆる内容まで克明に記録されているのには驚きます。石碑に刻まれている文字が簡単な数字の説明は理解できるが、複雑な人の横顔の文字については本当に解読どおりかどうか私には分からない。

具体的に、どういう方法で観測、解析していたのかまで分かってくれば、記載内容について、より真実味を帯びてくるのですが、そこまでは突っ込んではいないのが残念です。

考え方については、歯車の組み合わせによって説明されており、分かりやすいのですが、あまりにも出来すぎている気にもなり、後世になって、当て嵌めた考え方ではないかとも思う疑問も残ります。

多分、真実が書かれているとは思いたいが、全ての事柄について、にわかに信じることは出来ないのが本書を読んでの感想です。機会を見て、他のマヤ文明の本も読んでみようと思いました。

私が趣味にしているホツマツタヱの解読に関して、江戸時代に作文された偽書と言われる方が存在したり、そのもの自体の存在(記載内容)を、万人に理解してもらうのが如何に難しいか、非常に考えさせられた本でした。

以上
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by hon-hotsuma | 2009-10-11 21:58

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