ほつまつたえ


Hotsuma tsutae feelings
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「藤の花」と「富士山」 ほつまエッセイ ジョンレノ・ホツマ

「藤の花」と「富士山」 ほつまエッセイ ジョンレノ・ホツマ

今年も、近所のお宅の藤棚に藤の花が咲きました。大宮八幡の近くの善福寺川沿いに野生の藤蔓が小さな藤の花を咲かせていました。
もう、今年も終わったと思っていたら、栃木県足利市にある「あしかがフラワーパーク」には樹齢140年の藤が1.5mもの花房をつけている写真が新聞に出ていました。

ホツマツタヱの中に書かれている「ふじのやま」(富士山)と名付けられることになった「ふじのはな」(藤の花)とはどんな花だったのか、いつも思いを馳せながら藤の花を見てしまいます。
ホツマツタヱの32綾に考霊天皇が富士登山されたとき、(それまでは「はらみやま」と呼ばれていた)地元の田子の浦の住人から藤の花を献上されました。
「ふじのやま」と命名したきっかけになった藤の花はどんなに素晴らしかったのだろうか。花の房が1.5mはなくともかなり立派なものであったと思います。

富士山について、考霊天皇は2首歌われています。32綾

500年前の噴火で8つの湖が5つになってしまったが、中腹からの噴火で主峰は変わっていなかったので安心されて歌を詠まれたとあります。

なかは降り なかば湧きつつ
このやまと とも静まり この山よこれ


中央の主峰から噴火の煙が降っており、中腹の湖には清水が湧き出ており、素晴らしい。この大和の国と(山と掛けている)共に末永く鎮座している(噴火も収まって静かである)素晴らしい山である。

そして、この山に新しい名前をつけようと思われた時、田子の浦の住人から藤の花を献上され、この歌を詠みました。

はらみやま ひとふるさけよ
ふじつるの なをもゆかりの この山よこれ


これよりぞ 名も「ふじのやま」とあり、富士山と名付けられたいきさつも分かり、また、それ以前は「はらみやま」であったこともわかります。
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by hon-hotsuma | 2010-05-14 22:53

「魏志倭人伝」と「ホツマツタヱ」との接点

ホツマ・エッセイ 「魏志倭人伝」と「ホツマツタヱ」との接点 ジョンレノ・ホツマ

昨年10月、ホツマツタエヱ38綾の記述の中に、景行天皇が九州の熊襲征伐に御幸されたとき、通過した国に「みね」という国があり、そこを治めていた姫神(女王)が「やつめひめ神」と呼ばれていたことがわかりました。その「みね」という国が、今の吉野ヶ里遺跡の場所であることに気がつき、ブログ上に発表しました。

吉野ヶ里遺跡の近くには今も三根中学校など「三根」の付く地名が痕跡として残っていることからもまず間違いないものと思いました。

ついでに「やつめ」が後日、漢字が渡来して、「八女」と当てはめられ、いつしか「やめ」と呼ばれるようになったことは容易に想像されます。おいしい八女茶もこの付近のものです。

しばらくして、この「みね」国と女王のことが、突然「魏志倭人伝」の中にどこか合致する記述が見出せるのかと気になりました。
そして、最近、魏志倭人伝関連で読んだ本の中に、「みね」という文字が目の中に飛び込んできました。それは、丸山雍成氏著の「邪馬台国魏使が歩いた道」(芳川弘文館発行)でした。
その中には、弥奴国(みぬ)が「みね」と読め、既にこの弥奴国(みぬ)が吉野ヶ里との関連を指摘されていた方がいたことも知りました。感激しました。
方言と同じで、当時地元の人間が「みね」と言っていたものを、伝え聞いた外国人(中国人)が「みぬ」と聞きとって漢字化したとしても、ごく普通にあり得ることと納得しました。

ホツマツタヱに出会う昔、私も邪馬台国がどこにあるのか知りたいと思っていた一人でした。当時は、唯一の残されている資料が魏志倭人伝であると聞かされていたので、中国語を学べば何かヒントが得られるかなという思いがあり、習ったことがあります。しかし、日本語にない発音が、先生の発音と辞書の発音記号とどうも一致せず、うまく(正しく)発音できず、頭が混乱して断念したことを今思い出しました。

偶然、ホツマツタヱに出会ってからは、魏志倭人伝そのものや、邪馬台国や卑弥呼という魏志倭人伝上の記載された国や人物にこだわることもなくなってしまいました。それほど、ホツマツタヱの内容が新鮮で生きているように思えてきました。
ホツマツタヱに付き合っていれば、いつか、どこかで必ず見つかるだろうと期待できるようになったからです。

吉野ヶ里が当時の「みね」国で、それが弥奴国であることが確認でき、ホツマツタヱの解読がますます楽しいものになってきました。

私自身は、まだ全体の20%位しか読んでいないので、外堀の一部しか分かりませんが、多分このことを言っているのだなという「あぶりだし」のように浮かび上がってきます。

ホツマツタヱの師である高畠精二氏が行間に書かれているとよく言われていますが、まさに、実感したからです。

というのは、当時の「みね」国と「やまと」国との力関係(姻戚関係を含めて)が、ホツマツタヱの記述からある程度推測できるように思うからです。ホツマツタヱの記述にそのことズバリは書かれていないが、行間から浮かび上がってくるから不思議です。
それは、自分の立場が不利であったり、将来にそのまま伝えるには都合が悪いときは簡単に記述したり、どう考えても通常ではありえないことのように神話化しているように見えます。

ここでは、「みね」国のことについては、簡単にしか触れていないのと、唯一この「やつめひめ神」と会わずに通過していることから、いろいろなことが推測できます。
利害関係が全くなかったのか、力関係が疑問です。表敬訪問に来なかったから、特に困っていることはなかった。もちろん、誰とも姻戚関係はなかった。主従関係も明確でなかった。

服従しない熊襲に対しては何度も呼び出しているし、その他の訪問先では宴席を設けて歓迎を受けている。

当時の大陸からの新しい勢力が押し寄せて、天下を取ろうした企みが見受けられたことや、
やまと政権の力の及ばない姫神(女王)の存在を知ることにより、時代の趨勢を感じ取って、帰国後、このホツマツタヱを編纂出録させたきっかけになったものと考えます。


***下記は丸山雍成氏著の「邪馬台国魏使が歩いた道」より弥奴国の解説部分です***

弥奴国 「ミヌ」と訓み、九州説では肥前三根郡(新井白石・橋本増吉・牧健二)にあてるが、これは神埼郡三根郷を併せて考えるべきである。『肥前国風土記』は「昔者、此郡と神埼郡を合せて一都となす、然るに海部直鳥、請ひて三根郡を分ち、即ち神埼郡三根村の儺に練りて郡名となす」と記しており、本来、三根・神埼両郡は一体だったことがわかる。『日本書紀』雄略天皇一〇年九月条には、「筑紫嶺縣主泥麻呂」のことが記され、これが弥奴国を継承する嶺県→三根郡へと連なり、そのなかの吉野ヶ里遺跡はその中心地だったとみることに異論はないようである(もっとも、筑後三潴郡をふくむとか、三井郡とみる説もみる)。ここには古代律令官道もあり前代まで遡りえよう。
たとえば、古代中国語音韻学の森博達氏は、「吉野ヶ里については、この地が後の嶺県に当たることから、倭人条にある『弥奴国』に比定する説がある。上古音系統の音系によって音訳されたのであれば、これは『ミナ』に近い音となる。そしてア列音はエ列音と交替しやすい。
たとえば、『末盧国』に、後に『日本書紀』では『マツラ』ではなく、『メツラ(梅豆邏)』となっている。したがって、音韻の面からみて、吉野ケ里が弥奴国であったと考えることは可能である」とした(「『三国志』時代の発音で『倭人伝』を読む」.『プレジデント』二七-七)。

また、邪馬台国=畿内説の著名な文献史家、上田正昭氏も、同じ誌上で、「吉野ヶ里にあった〝クニ〟は邪馬台国が存在した時期には壊滅していたという意見もある。私はそうは考えていないが、『魏志』倭人伝に書かれている三〇国のうちの一つである可能性が高く、もしかすると、かって新井白石が想定した弥奴国かもしれない」と述べる(「戦後『古代史』はいかなる収穫を得たか」同前)。畿内論者としては、重大な見解である。一般に畿内説では美濃国(内藤虎次郎)・備前御野(米倉二郎)をあてる。※「みぬ」国。○肥前三根郡。

******以上、丸山雍成氏著の「邪馬台国魏使が歩いた道」より****
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by hon-hotsuma | 2010-05-07 20:17

不機嫌な太陽:気候変動のもう一つのシナリオ

不機嫌な太陽:書感 藤田 昇

e0191707_20124696.jpg不機嫌な太陽:気候変動のもう一つのシナリオ 
H.スベンマルク/N.コールダー著 桜井邦明監修 青山洋訳
恒星社厚生閣発行 2010年3月発行 ¥2800
原題:The Chilling Stars: A New Theory of Climate Change

著者のH.スベンマルクはデンマークの国立宇宙センターの太陽・気候研究センター所長で、N.コールダーはサイエンスライターです。

本著は、地球の気候変動の原因について、いろいろな分野からの調査報告を実に詳しく調べ上げ、丁寧に述べています。研究を通じて得られた事実に基づいて、主観や感情を一切交えず「事実に語らしめよ」という姿勢に、多少難解でしたが、読んで心地良さを感じました。
表紙の帯カバーのタイトルにさりげなく「地球温暖化ブームを嗤う!?-宇宙気候学からのアプローチ」とあり、これだけが唯一の皮肉のように見えました。

記載されている個々の膨大な研究事例を列記するわけにもいかないし、理解も完全でないので興味があった所のおおよその因果関係を抜粋すると、地球の気候変動には、太陽活動の変動が影響しているという内容です。
それは、宇宙線が大気に衝突した初期の段階に核力粒子(nuclear forceparticle)であるパイオン(pion)というものが大量に生産され、それが崩壊する時にミューオンと呼ばれるものが生じる。ミューオンは電子より200倍重くて不安定で、ニュートリノを2つ放出して通常の電子になる。ミューオン自身の寿命は200万分の1秒しかないが、2次宇宙線の98%を占める。
地球気候の変動に最も影響を及ぼす宇宙線で、寒冷化させる低い雲の形成に影響を及ぼす。このミューオンの40%が太陽の磁気活動の変動により変化する。以下、低い高さの雲と気温の関係、雲と宇宙線の因果関係、南極が例外であることの解明などの解説に続きます。
前回、「クラウド時代クール革命」という書感投稿も雲がテーマでしたが、偶然今回も雲。雲が形成し始めるときの機構の実験にCLOUD( Cosmics Leaving Outdoor Droplets)-宇宙線が通った後の星外に小滴を残す-とつけられたあります。
・・・・・・・
最後に、今問題になっている炭酸ガスと気温との関係、及び宇宙線と気温との関係について、最終9章に纏められているので紹介します。

炭酸ガスと気温との関係
もしも,炭酸ガスが自然のものであろうと,人工のものであろうと,気候変動を引き起こす重要な推進力であるなら,炭酸ガス濃度の変動と気候の変動が,あらゆる時間幅において,一致していることを見出せるに違いないと,人は期待するだろう.
●過去5億年の間には,気候と炭酸ガス濃度との間に相関関係は存在しない.
●過去100万年の間には,炭酸ガスと温度との間につながりがあった.しかし,そのつながりは,主客転倒であった.なぜなら,炭酸ガスの変化が,温度変化より先行するのではなく,温度変化の後を追っているからである.
●過去1万年の問には,炭酸ガスと温度との間に相関関係は存在しない.
●過去100年の間には,炭酸ガスの増加と温度の上昇との間に,全般的に見れば大まかなつながりがあった.
最後の項目の観測結果のみが,炭酸ガスが気候変動を引き起こす,という証拠とみなしうる.しかし,この100年間のデータを詳細に検討すると,その証拠は,不当に大きな妥協を必要とするものとなる.
●20世紀の温暖化の半分は,1905~1940年の間に起こった.この間の炭酸ガスの濃度は,まだ全く低いものであった.
●しばしの地球寒冷化が,1950年代と1960年代に起こった.この間の炭酸ガス濃度は,上昇中であった.
●21世紀初頭には,炭酸ガス濃度が急激な上昇を続けているにもかかわらず,地球温暖化は,再び中断した.
●もしも,炭酸ガスによる温室作用が,温暖化を起こすなら,上空の空気は表面の空気よりも速く温まらなくてはならない.しかし,観測結果は,その反対であることを示しているのである.
以上の証拠を偏見なしに検討すれば,誰でも,炭酸ガスが,過去と現在の気候変動を引き起こす主要因であるとする見解は,完全に破綻しているのだと考えねばならない.我々2人の立場もそうである.
科学的観点から見て,宇宙線理論の方が,ずっと巧くいくのである.

宇宙線と気温との関係
●過去5億年の間の温度変化には,4つの絶頂期と4つの谷底期が存在するが,それらは,鉄隕石中に観察された宇宙線の変動に一致するし,また,太陽系が銀河内を周回中に4本の腕と遭遇したことに一致するのである.
●数千年の間のリズミカルな気候変動は,宇宙線により放射怪炭素や他の放射性核種が生成される量の変動と一致している.
●過去100年間の温暖化率の変化も,宇宙線強度の変動と一致している.
●宇宙線が気候に影響を及ぼす作用機構の検証は,低い雲が宇宙線の変動に合わせて変動することを観測することによってなされたし,また,宇宙線が雲の凝縮核の形成を加速する微細な物理機構が存在することを実験で証明することによってなされた.

以上
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by hon-hotsuma | 2010-05-07 20:13

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