ほつまつたえ


Hotsuma tsutae feelings
by hon-hotsuma
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書感 幽体離脱入門

e0191707_16244428.jpg書感 幽体離脱入門

大澤義孝著 
アールズ出版 
2009年10月初版発行

幽体離脱という世界が実際にあるとは感じていましたが、具体的に体験された方の経験談を基に幽体離脱を実際に試してみようという入門書があることに驚きました。

肉体から精神を分離させ、アストラル体で空を飛び、そこの住人と触れ合うことができる幽体離脱。
幽体離脱に必要なのは、「才能」ではなく、正しい知識と練習とほんの少しの勇気。
眠っている体脱能力を開花させ、未知の世界に飛翔しよう!

何度読んでも、私の理解の範囲を越えていますが、この世界が存在するであろうことが分かる気がしてきました。

私自身は本書を読んで実際にやって見ようとは努々思ってはいませんが、「ほつまつたえ」の記述の中に、意味不明で掴みどころがない個所があちこちにあり、そのうちの一つに、まさに本書に書かれているような幽体離脱をした状況の記述に当てはまることに気がつきました。

幽体離脱とは一体どういうものなのか知るには最適の本でありました。
「ほつまつたえ」の記述の中には、夢のお告げによって判断される記述も多く見受けられ、その時の当事者にとってはまさに事実であったであろうと思います。

ほつまつたえの5綾(章)の「いさなぎ」の行動の記述が当てはまります。
熊野に居られた奥さんの「いさなみ」が焼け死んでしまって、突然後に残った「いさなぎ」はどうしても会いたい一心で遺体を見に行きます。決して見に行ってはならないと言われましたが、うじ虫のたかった腐乱した遺体を見てしまい、恐れおののいて足を引き返してしまいます。
しかし、怖いもの見たさに、その夜、再び、今度は神の姿になって見に行きましたという記述があり、幽体離脱して見に行ったのではないかと思えたのです。

アストラル界で見に行った「いさなぎ」(男神)に対して、死者の「いさなみ」(女神)が、現実を受け入れることが出来ずに、貴方は私の見てはいけないもの(恥)を見てしまいましたね。私は恨んでいます。これ以上恥をかかぬよう醜女八人に命じて追っ払います。醜女に追われた神の姿の「いさなぎ」は、葡萄を投げつけ、竹櫛を投げつけ、最後に桃を投げつけて逃げ切ります。夢の中の世界では成り立つ内容だが現実の話ではありえない。まさに幽体離脱の世界を表していると思った次第です。

このあと、「いさなぎ」は、亡くなった「いさなみ」との思いを断ち切らせるため、「よもつひらさか」(黄泉平坂、現世と黄泉(死者)の国の境となる坂)に辿り、誓いました。

「よもつひらさか」は、息が途絶えた瞬間(足を踏み入れた瞬間)に、絶ち塞ぐ境界岩(かぎりいわ)で守られています。

「いさなぎ」は、この道を引き返して(誓いをして)、悔みつつも熊野本宮に帰った後、豊かに光り輝く「やまと」の国にしましたと続いています。

ジョンレノ・ホツマ
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by hon-hotsuma | 2011-07-11 16:25 | Comments(0)

七夕(たなばた)

7月7日の七夕は旧暦では、8月7日ごろであり、そのころ織姫星がちょうど夜空の真上にくるそうです。
七夕は、年に一回、天の河を渡って織姫とひこ星が会える日と習ったことを覚えています。

なぜ「七夕」とかいて「たなばた」と言うのか不思議でしたが、中国の昔からの伝説と日本古来の「たなばた」が、同じ日のお祭りであったため、漢字文化の渡来のとき、日本古来の「たなばた」という言葉(音節文字・表音?)に「七夕」という漢字を当てはめたことがわかりました。

ホツマツタエの1綾に「たなばた」の記述があります。

はつひもち あわのうやまひ(1-3)
もゝにひな あやめにちまき
たなばたや きくくりいわひ

元旦にお餅を供え、天神(天神地祇)の神々をお祭りします。(敬います)
三月三日は(桃の)ひな祭り、
五月五日の節句(あやめ:菖蒲)には「ちまき」で祭り、
七月七日に「たなばた」(「蚕だな」と「はたおり」)の祭り、
九月九日に「菊と栗」の祝い(「ここな」の祭り)をします。
一年に五つの節句があります。

七月七日の「たなばた」は、元々日本古来にあった節句の一つであったのが分かりますが、後に中国から伝わった「織り姫」が「はたおり」と結びついて今の七夕の「織り姫」と「牽牛」の話と一緒になってしまったようです。

織り姫というと何となく夢がありますが、機織りは当時の宮中の子女にとって嫁入り前の必需であったような気がします。
ホツマツタエの6綾の中に、天照神の12人のお妃は皆、機(はた)を織り、操を裁てましたとあります。機織りは当時のステータスであったことが伺えます。ましてや絹織物となれば尚更です。
今の感覚では裁縫ができるようなものであったのではないかと思います。少し昔ではミシンを使って衣服を作るのと、糸を紡いで布を織るのと同じような役割であったのではないでしょうか。


ジョンレノ・ホツマ
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by hon-hotsuma | 2011-07-07 19:59 | Comments(0)

ほつま・えっせい

「ほつまつたえ」に見る神武天皇のお人柄 20111/07/01

「神武天皇」は、自分に負わされた使命感により、最後まで諦めることなく、困難に打ち勝っていく行動力に、いささか感動しました。しかし、一方では奥さんには頭が上がらなかった様子に親しみを覚えたので紹介したいと思った次第です。

九州で政治を執っていた父の遺言を受けるために、「やまと」にいた「たけひと」(後の神武天皇)は九州へ行きます。
父の亡き後を継いで「たけひと」は九州でしばらく政治を執りますが、「やまと」が乱れているので早く帰って治めて下さいと云うはやり歌が「たけひと」の耳に伝わります。
「やまと」に戻ることを決意した「たけひと」は、途中、宇佐、吉備、などを経由して浪速から生駒越えを試みますが敵の抵抗に遭い、作戦を変え、海から紀伊半島を大きく廻り熊野から攻め込むことにします。

同行していた兄たちは敵の矢で射られたり、台風に巻き込まれて海に投げ出されて熊野に上陸する前に3人とも亡くなってしまいます。決死の思いを乗り越えて、敵と相対することになります。
そして、天照神の印した「神おしで」を両方が持っており、敵と思っていたのが実は身内同士であったことを知ります。「たけひと」こそが正統な後を継ぐ人であることが認められます。

さて、ここからが、本題です。

晴れて天下に知らしめた神武天皇は、新しいお妃に「たたらいそすず姫」を迎えます。この「いそすず姫」は右大臣の妹にあたり、神武天皇はどうも頭が上がらなかったようです。
既に九州でお妃にされていた「あびらつ姫」は、お年は召され従順であったように見受けます。一人皇子「たぎしみこ」がいました。

神武天皇は、この「いそすず姫」との間に、子宝が授からからなかったためかどうか分かりませんが、若い「いすきより姫」を3番目の妃に迎い入れようとします。このときは、世継ぎ皇子を途絶えさせないために、12人までお妃を持つことが出来ていたので、当然の行動と思われます。
しかし、内妃「いそすず姫」に咎められ、迎い入れることを諦めます。かなり実権を持っていたように見えます。がんばられて、二人の皇子をもうけ、取りあえず安泰になります。

妻に子供が出来ない時には、妾を置いて子種を残しなさい。という記述もあるようですが、許されなかったようです。
結局、この「いすきより姫」は、殿中に入ることが許されませんでした。神武天皇がお忍びで姫の館にお出かけになり、そこで交わっておられました。姫の名前も「ゆり姫」と変えていました。

そんな中、神武天皇の先妻の長男「たぎしみこ」が、この「ゆり姫」(二十才前)に一目惚れしてしまいます。一騒動ありますが、このままにしておくわけに居かないと心を痛めていたことが伺い知れます。

「ゆり姫」が息子の「たぎしみこ」にガツンと貴方の入り込む隙はないと拒否したので事なきを得ました。もし、そうでなかったとしたら、一人の女性を父と息子で取り合いするわけにもいかず、父が息子に譲ることになっていたのでしょうか。許されなかったと思います。

タイミング良く、越後の謀反を治めて帰ってきた高倉下(後の弥彦神)に、神武天皇は褒美として、この「ゆり姫」を、酒の肴に賜いましたと結んでいます。
今では、セクハラで訴えられてしまいそうですが、当時としては粋な計らいであったと思います。お手付きではありましたが、多分単身者であった70才過ぎの高倉下にとっても、うれしかったと思います。

神武天皇もほっとされたことと思いました。

余談ですが、高倉下と「ゆり姫」との間に子供ができ、その子孫の「よそたり姫」が人皇5代の孝昭天皇の中宮になっています。
神武天皇の世継ぎは「いそすず姫」が生んだ二人の皇子の弟「かぬがわみみ」の方で、綏靖天皇になります。故あって「たぎしみこ」は消されてしまいます。

以上
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by hon-hotsuma | 2011-07-01 16:29 | Comments(0)

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