ほつまつたえ


Hotsuma tsutae feelings
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「このはなさくや姫」の物語 

ホツマ・エッセイ 「このはなさくや姫」の物語 

この物語は、ホツマツタヱ24綾から抜粋したもので、天照神の孫に当たる天孫瓊々杵尊(以下天孫ニニキネ)と、大山祇命の末娘葦津姫(以下アシツ姫)が出会うところから始まります。
天孫ニニキネが80人のお伴を従え水田開発のため全国各地に立ち寄った帰り道、アシツ姫と出会います。 そこで一夜の契りを結んだ姫は妬まれ、逆境に遭い、桜の木に誓いを掛けましたが、疑いが晴れず、焼身自殺を図ります。

この話は継母の虐めに遭うシンデレラ姫に例えられており、よく似ているようにも思えましたので以下に物語として取り上げてみました。

天孫ニニキネが現在の富士山の北側の麓の酒折の宮に滞在されたとき、宴席で御膳(みかしわ)を捧げたのがアシツ姫です。姫のしとやかさに惹かれ一夜を共に過ごされ契りを結びます。アシツ姫はこのとき懐妊したことが後にわかります。

さて、天孫ニニキネは翌日酒折宮から新治の宮(茨城県筑波)に帰り、大嘗祭をとりおこないますが、やはりアシツ姫のことが気になり、再び伊勢に向かうことにします。

伊勢への途中で再会した天孫ニニキネは、アシツ姫から懐妊したことをこっそりと打ち明けられます。
これを聞き天孫ニニキネは喜び、伊勢に居る天照神に告げようと早速旅支度をしました。
しかし、これを遮るかのように、アシツ姫の母が、姉を連れて来ているのでお目通りを乞い願いました。アシツ姫の母は、私が慈しんで育てた美しい姉がいます。と言葉巧みに言い寄り、天孫ニニキネを惑わせました。
天孫ニニキネは、その気にさせられてしまい、妹と姉の方にも、二心を起こしてしまいました。

その晩、姉のイワナガ姫を召されましたが、姉の様相は厳つく、見た目も悪く、一瞬で醒めて、やはりアシツ姫でなければと宣ったところ、父の大山祇命は驚いて妻を叱りつけ、早く三島へ帰れと追い返してしまいました。
さあ、大変!母と姉は立場がなくなり、この仕打ちに対して、恨みを晴らすため、下女を使って妹を落とし込もうと企みました。

たった一晩のいとなみで妊娠したというのはあり得ないことだ。妹が孕んだ子は、他の素性の分からない男の子供であると偽りを言いふらしました。

伊勢に向かう天孫ニニキネがアシツ姫を連れて白子の宿まで来たとき、このよからぬ噂が届きます。この噂を信じてしまった天孫ニニキネは、たった一晩の契りで子供が出来たことに疑いを持ち、姫を一人残したまま、あわてて夜半に出発してしまいました。

置いてきぼりにされたアシツ姫は一人寂しく後を追い駈けることにしました。しかし、松坂で関止められてしまい、止む無く白子の宿まで戻りました。

母と姉から妬まれていることを知ったアシツ姫は、この疑い・陰謀を晴らそうと、私を陥れたこの恥をすすげと一本の桜の木に誓いました。

「桜の木よ、心あらば、我が孕み もし仇種ならば 花しぼめ
正種ならば 子を産むときに 花よ咲けと 花に誓って」

12か月後、臨月を迎えたアシツ姫は、6月1日に無事、三つ子を生みました。

三つ子が生まれたこと、三つの胞衣(えな)に、それぞれ梅、桜、卯の花の模様があることを告げましたが、何の返事もなく、未だ、疑いが晴れていないことを悟りました。

そのため、アシツ姫は、子供と出入り口のない小屋に入り、この子供たちが仇種と言うならば、もう生きてはいけませんと死ぬ覚悟(焼身自殺)で、小屋に火を付けました。しかし、子どもは炎の熱さにもがき苦しみ這い出ようとしました。

これを見たハラミ山(富士山)の峰に住む竜が水を吹きかけ雨を降らせ、子供を小屋の中から無事に這い出させました。
諸人は驚き、火を消し止めて中にいた姫を引きずり出しました。そして、神輿を用意し、アシツ姫と三つ子を乗せて、酒折宮に送り届けました。この様子は伊勢に告げられました。

一方、アシツ姫が白子で祈願を掛けた桜は、子供を生んだ日(6月1日・旧暦)も咲き続けて絶えることはありませんでした。

天孫ニニキネは、この桜の花が咲き続けていることを知り、アシツ姫の子供は自分の子供に間違いないと悟り、鴨船を飛ばして興津浜に着き、そこからは雉(伝令)を飛ばして、到着した旨を酒折宮に告げました。

アシツ姫は、裏切られた天孫ニニキネのことをまだ恨んでいました。「ふすま」(掛け布団)を頭から被ったまま、伝令に返事をしませんでした。

天孫ニニキネは暫し考えて和歌を短冊にしたため、興津彦命(おきつひこ)を勅使として、この短冊をアシツ姫に届け捧げました。


「おきつもは 辺(へ)には寄れども
さ寝床も あたわぬ鴨よ
浜つ千鳥よ」

(興津浜に)置き去りにした妹(貴方)は、傍まで寄りそうと追いかけてきてくれましたが、私たちは、愛を語らい交わり添い寝することも叶わず、夫婦になれなかった鴨のようです。あちこち、さ迷い続けている浜千鳥のようです。

この歌を詠んでアシツ姫は、今までの恨んでいた涙は溶け落ちて胸にキュンときて、興津浜の天孫ニニキネのところまで富士の裾野を裸足で駆け走りました。
アシツ姫の喜び勇んだ顔を見て、天孫ニニキネも喜びました。

幸せを勝ち取った二人は神輿に並べて乗って酒折宮へと向かいました。

また、アシツ姫は子供を生んで母親になった日から、花が絶えず咲き誇るようになったので、姫の名を木花之開耶姫(這花咲耶姫・このはなさくや姫)と呼ぶようになりました。
「このはなさくや姫」は、乳母を必要とせず、自分の乳だけで3人の子供を一人前に育てあげましたので、子安の神とも称えられました。

なお、三つ子の名前には胞衣に現れた花模様を付けることにしました。
最初に出てきた子供の名を火明尊(ほのあかり)、実名を梅仁(うめひと)と、
二番目に生まれた子は火進尊(ほのすすみ)、実名を桜杵(さくらぎ)と、
末の三番目の子は彦炎出見尊(彦火火出見尊・ひこほほでみ)、実名を卯杵(うつきね)と名付けました。


古事記・日本書紀と対比してある三書比較「定本ホツマツタヱ」(展望社発行)で、見比べてみました。この個所は部分的であっても取り上げられていますので、既にご存知の方がいらっしゃるとは思います。しかし、内容的に細かいニュアンスなどは、五七調のやまと言葉で書かれたホツマツタヱに勝るものはないと改めて思った次第です。
以上
ジョンレノ・ホツマ
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by hon-hotsuma | 2014-11-08 20:14 | Comments(0)

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