ほつまつたえ


Hotsuma tsutae feelings
by hon-hotsuma
プロフィールを見る
画像一覧

ホツマ・エッセイ 箱根の語源 その2 箱の意味

来春、箱根駅伝が始まります。
でも、箱根という語源がはっきりしていないようなので、ホツマツタヱの中から紹介させていただきます。


ホツマ・エッセイ 箱根の語源 その2 箱の意味


前回、箱根の語源となった箱根神について述べさせていただきましたが、もう一つの重大な背景を忘れていることに気が付きました。

箱根神となられた「オシホミミ・オシホミ命」(天忍穂耳尊)は生まれながらにして、身体が弱く・・・と、あり、外へはあまり出ず、常に部屋の中に居られたから、その思いから自分は箱の中の根っことなって、二人の子供・皇子を下から支えているから、大きく育って羽ばたいてくれという願望だと考えていました。

しかし、生まれた背景、日嗣皇子になられた経緯を見直すと、底知れぬ陰湿な陰謀・恨みから、命を狙われている危険があったことに気が付いたからです。

ホツマツタヱ6綾から、天照神の子供は五男三女で、生まれた順番は
1.長男「ホヒノ命・タナヒト」(マス姫・モチコの子)
2.長女「タケコ・オキツシマ姫」(コマス姫・ハヤコの三つ子)
2.次女「タキコ・エツノシマ姫」(コマス姫・ハヤコの三つ子)
2.三女「タナコ・イチキシマ姫」(コマス姫・ハヤコの三つ子)
3.次男「オシホミ命・オシヒト」(サクナタリ・セオリツホノコの子)
4.三男「タダギネ・アマツヒコネ」(ハヤアキツアキコの子)
5.四男「バラギネ・イキツヒコネ」(オオミヤミチコの子)
6.五男「ヌカタダ・クマノクズヒ」(トヨ姫の子)

となり、本来は「マスヒメ・モチコ」が生んだ「アメノホヒ・タナヒト」が日嗣皇子であったわけです。

しかし、その後中宮に入られた「サクナダリ・セオリツ姫・ホノコ」(通称ムカツ姫)が、「オシホミ命・オシヒト」という男の子を生みます。天照神の2番目の皇子になります。この2番目に生まれた「オシホミ命」が今で言う皇位継承の皇子になったわけです。

「タナヒト」が皇位継承者として、皇子を生んだ母親も、母親の出身地の豪族たちも喜んでいたわけですが、突然、皇位継承を棚上げされてしまったわけです。この仕打ちに恨みを持つようになり、後に「おろち」と化(か)する発端がここにあったと思われます。

ホツマツタヱ12綾に「オシホミミ」のご成婚の記述があり、天児(あまがつ)といって、災難が降りかからないように身代わりになってくれる人形のことがでてきます。
以前、此処だけを単独で読んだ時には気が付かなかったのですが、妬みを持った何者かに命を狙われていた形跡があったからです。出かけるときは身代わりの人形を用意し、廻りをガードされていたことが窺えます。
この、命を狙っていた背景については記されていませんが、前後関係から自ずとわかり、「オシホミ命」本人から見れば自由度がなく常に箱の中に閉じ込められていた心境であったと思われます。

よって、この「オシホミ命」は常に箱の中で生活されてきたし、死後も箱の中に留まってという意味合いであったように理解いたしました。

本来であれば、自分が亡くなる前に、次の日嗣皇子を決めなければならなかったのに、どちらとも決めず、二人に仲良くやれと託したのは、自分のように狙われないように、危険分散して、自由に生きて欲しいという願いが強かったからだと思いました。


ジョンレノ・ホツマ

ホツマ・エッセイ 箱根の語源

ホツマツタヱ24綾に、箱根の語源がありましたので紹介します。合わせて「はらから」(同胞)の語源も同じところにありました。

箱根の由来は、「箱根神社」に祀られている御祭神の「箱根神」からきています。では、この「箱根神」とは誰のことでしょうか。
「天照神」と「さくなだり・せおりつひめ・ほのこ」(通称、むかつ姫)との間に生まれた子供の「おしほみみ」(天忍穂耳尊)のことであることが分かります。なぜ「箱根」という名前が付けられたという話になります。「おしほみみ」が死ぬ直前に自らを「箱の根」と名付けられたことが記されています。

「おしほみみ」は、生まれながらにして体が丈夫でなかったため、寒い時期には禊ぎも真似をするだけで済ませていたという記述があります。
父の「天照神」と比べても、息子の「はら」親王・(天孫ニニキネ)と比べても、今まで私が読んだ範囲には、活躍した記載は見当たりません。あまり表に出ることがなかったのは病弱であったことが容易に推測されるからです。

以下、24綾の内容を抜粋して現代風に書き換えてみました。

 晩年、帝(おしほみみ)は二人の皇子を日高見宮(今の仙台地方)へ召されるよう伝えられて宮入りしました。そこで、父である帝(おしほみみ)は、二人の皇子に詔りをしました。

「私は年を取り老いてしまいました。今後、兄皇子を大和飛鳥親王と命名します。弟皇子を「はら」親王と命名します。二人は、お互いに仲たがいすることなく共に睦まじく民を守りなさい。」
「大和飛鳥親王よ、弟「はら」親王よ、しっかりと聞きなさい。国民を決して我が物(私物化)してはいけません。君は国民の園であり、民のための君です。
「た」(父)は、箱の中の根っこです。自分(父・おしほみみ)は陽の目を見なかったので、子供二人には二枝の恵みを受けて、陽の目を受けて万人を愛でてください。私は邪欲もないし、二心もありません。
神の鏡である天照神の日嗣の君として、私(おしほみみ)は箱の根となり、二人が二本の枝となって、地上で民を守っていけるよう見守ります」

その後、寿命が尽きると悟った「おしほみみ」は、伊豆雄走山に洞穴を自ら掘り、箱根神となられました。

「はら」親王・(天孫ニニキネ)は、箱根神を「いづさきみや」(伊津崎宮)に3年間祀りましたとあります。

時代と共に風化されてしまい、現在箱根神社の御祭神は、ご本人の「おしほみみ」(天忍穂耳尊)ではなく、息子(弟の方)の天孫ニニキネ(瓊々杵尊・ニニギノミコト)とそのお妃の「このはなさくや姫」(あしつ姫)・(木花咲耶姫命)と、二人の間に生まれた三つ子の末っ子の「ひこほほでみ」(うつきね)・(彦火火出見尊)になっています。

正に、箱の根から表に出て枝となり開花したこと、つまり親が出来なかったことを自分の息子夫婦と孫が成し遂げてくれたことを「おしほみみ」(天忍穂耳尊)も納得され喜んでいることと思いました。
ジョンレノ・ホツマ
[PR]
by hon-hotsuma | 2014-12-25 20:02 | Comments(0)

ホツマ・エッセイ 同胞(はらから)の語源

ホツマ・エッセイ 同胞(はらから)の語源

同胞(はらから)とは、兄弟とか、文字通り同じ母親から生まれた兄弟という意味ですが、ホツマツタヱの24綾の中から、この「はら」には元々の語源になる経緯の意味合いが含まれていたことが分かりました。

箱根神の遺言により、二人の兄弟が睦まじくしていくために、もし、二民(兄「飛鳥親王」の民と、弟「はら親王」の民)の間で、争い事が起きた場合は、臣を遣わして和睦するよう裁きましたが、何事も兄の大和の臣民を立てることでした。

そのために弟「はら」親王の治めている新治の民側に損失が出るようなときは、弟「はら」親王の方から埋め合わすようにしました。

その結果、この二人の皇子(親王)の代のときは、争い事があっても、常に弟「はら」親王の方から歩み寄って兄の方の言い分を呑んでいたため、表面化せず、いつも睦まじく見えたので、この二人の「え」(兄)「と」(弟)のことを「はらから」というようになりました。

ここで「はらから」は現在では、同胞という漢字が当てはめられており、文字通り、「同じ母親のお腹から」という意味合いになっています。
しかしながら、本来は、弟の「はら親王」が譲って事が治まっていたことが元の語に含まれていたことが分かります。
「はらから」の「はら」は、「はら親王」を意味していたからです。

以上
ジョンレノ・ホツマ
[PR]
by hon-hotsuma | 2014-12-20 08:22 | Comments(0)

ホツマ・エッセイ 箱根の語源

e0191707_1243469.jpg
ホツマ・エッセイ 箱根の語源

ホツマツタヱ24綾に、箱根の語源がありましたので紹介します。合わせて「はらから」(同胞)の語源も同じところにありました。

箱根の由来は、「箱根神社」に祀られている御祭神の「箱根神」からきています。では、この「箱根神」とは誰のことでしょうか。
「天照神」と「さくなだり・せおりつひめ・ほのこ」(通称、むかつ姫)との間に生まれた子供の「おしほみみ」(天忍穂耳尊)のことであることが分かります。なぜ「箱根」という名前が付けられたという話になります。「おしほみみ」が死ぬ直前に自らを「箱の根」と名付けられたことが記されています。

「おしほみみ」は、生まれながらにして体が丈夫でなかったため、寒い時期には禊ぎも真似をするだけで済ませていたという記述があります。
父の「天照神」と比べても、息子の「はら」親王・(天孫ニニキネ)と比べても、今まで私が読んだ範囲には、活躍した記載は見当たりません。あまり表に出ることがなかったのは病弱であったことが容易に推測されるからです。

以下、24綾の内容を抜粋して現代風に書き換えてみました。

 晩年、帝(おしほみみ)は二人の皇子を日高見宮(今の仙台地方)へ召されるよう伝えられて宮入りしました。そこで、父である帝(おしほみみ)は、二人の皇子に詔りをしました。

「私は年を取り老いてしまいました。今後、兄皇子を大和飛鳥親王と命名します。弟皇子を「はら」親王と命名します。二人は、お互いに仲たがいすることなく共に睦まじく民を守りなさい。」
「大和飛鳥親王よ、弟「はら」親王よ、しっかりと聞きなさい。国民を決して我が物(私物化)してはいけません。君は国民の園であり、民のための君です。
「た」(父)は、箱の中の根っこです。自分(父・おしほみみ)は陽の目を見なかったので、子供二人には二枝の恵みを受けて、陽の目を受けて万人を愛でてください。私は邪欲もないし、二心もありません。
神の鏡である天照神の日嗣の君として、私(おしほみみ)は箱の根となり、二人が二本の枝となって、地上で民を守っていけるよう見守ります」

その後、寿命が尽きると悟った「おしほみみ」は、伊豆雄走山に洞穴を自ら掘り、箱根神となられました。

「はら」親王・(天孫ニニキネ)は、箱根神を「いづさきみや」(伊津崎宮)に3年間祀りましたとあります。

時代と共に風化されてしまい、現在箱根神社の御祭神は、ご本人の「おしほみみ」(天忍穂耳尊)ではなく、息子(弟の方)の天孫ニニキネ(瓊々杵尊・ニニギノミコト)とそのお妃の「このはなさくや姫」(あしつ姫)・(木花咲耶姫命)と、二人の間に生まれた三つ子の末っ子の「ひこほほでみ」(うつきね)・(彦火火出見尊)になっています。

正に、箱の根から表に出て枝となり開花したこと、つまり親が出来なかったことを自分の息子夫婦と孫が成し遂げてくれたことを「おしほみみ」(天忍穂耳尊)も納得され喜んでいることと思いました。
ジョンレノ・ホツマ
[PR]
by hon-hotsuma | 2014-12-18 12:44 | Comments(0)

ホツマ・エッセイ 「雷を呼ぶ男」とは

ホツマ・エッセイ 「雷を呼ぶ男」とは


ホツマツタヱの記述の中に、天孫ニニキネは天照神から「わけいかづち」の名前を賜いますが、「いかづち」(雷)を、「かぐつち」という火の神と「みずはめ」という水の神を生んだという解釈が定説のようです。

最初に解釈された方が「わけ」という言葉に「別」という漢字を当てはめたために、漢字の持つ明確な意味に限定されてしまったような気がします。賀茂別雷(かもわけいかづち)神社のように「別」と書いて「わけ」と呼ばれています。

昭和の時代になりますが、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」という映画がありました。天孫ニニキネのことを「わけいかづち」と崇められていた称え名を、今風に言えば「雷を呼ぶ男」と呼んでも相応しいのではないかと思うに至りました。

何故、雷(イカヅチ)の名前が天孫ニニキネにつけられたのか?
何故、人々は雷を必要としていたのか?
何故、雷のイナズマを稲妻という漢字で表現しているのか?
何故、神が鳴ると書かれるのか?
何故、雷という漢字は上が雨で下が田なのか?
という疑問がホツマツタヱを読んでいるうちに自然に解けてきました。

当時の人は当たり前に知っていたことが文明の発達とともに、雷の効用である自然の恵みに気が付かなくなって、現代人の多くの人は忘れ去っていることに気が付いたからです。

昔から、雷の多い年は、豊作だと言われてきましたが、最近では、自然農法はごく僅かで大半は化学肥料や有機肥料によって田畑は管理されているため、雷の及ぼす恩恵については忘れられた存在のように思います。
当時は農薬とか化学肥料を施さなかった自然農法であったからこそ、雷の効用を経験的に知っていたと思うからです。

雷についてインターネットで検索して見ると、雷のイナズマによって、空気中の8割を占めている窒素がイオン化され、それが地上にふりそそぎ、自然の窒素肥料が田畑に降り注ぐため、稲の発育になくてはならないものであったことが分かっています。
一回の落雷で5トンもの窒素肥料に相当するという試案もあるようです。カミナリ様様です。

ホツマツタヱの24綾の後半に

なるかみを わけてしつむる
かぐつちと みつはめをうむ

あをいばと かつらにいせの
みことのり あめはふりてり
まつたきは いかつちわけて
かみをうむ これとこたちの
さらのゐづ わけいかつちの
あまきみと をしてたまわる


とあります。


私の解釈は、「はら親王(天孫ニニキネ)」に、鳴る神(雷)を発生させて(沸けて・沸き上げて)、田畑が乾ききっているのを鎮めて下さい。そして、「かぐつち」(香しく肥やされた土の神)と「みつはめ」(満面と蓄える水の神)を生んでくださいと乞いているように捉えました。

雷(稲妻)によって生まれた「かぐつち」とは、田んぼの土を香しく肥し、稲に刺激を与え生き返らせて瑞穂を香しくすることを言っています。
痩せた土から窒素肥料を一杯含んだ肥えた土に湧き上がらせたことが分かります。

「みずはめ」とは、日照りによって稲穂が枯れかかったときに雷雨によって、満面と蓄えた水を田んぼに填め込むようなイメージが浮かびます。

天からの陽ざしが照りすぎるとき、日照りで困っているときには、滝のような雨を待っていたからです。雷雲とともに雷(稲妻と雷雨)が沸き上がる神が生まれるようにと願います。雨降って、地固まるのとおり、イナヅマ(稲の妻)で土が肥え、雷雨で水が満面と蓄えられること願っていたことが分かります。

「わけいかづち」の「わけ」を漢字で表せば、「沸け・湧け」つまり、雷よ、沸き上がって(湧き上がって)ください!雷を呼んでください!と解釈できると思います。

天孫ニニキネを「雷を呼ぶ男」と崇めたと言うには、切っても切れない雷との繋がりがあったからです。

この背景には21綾に、天孫ニニキネが筑波の新治の宮でわだまし(新築祝い)をしているときに、突然雷雲が掻き曇り、雷が激しく轟き、垣(掻)破りって、このまつりごとを台無しにしてしまった経緯があります。
それ以来、いつも雷と隣り合わせにいる人、雷男と呼ばれていたと考えられるからです。その後、各地で実地に水田開発をしながら、水不足や発育不良を経験しながら雷の有難さを実感されていったものと考えます。

今でも、雨男という言葉があります。毎月のホツマツタヱ勉強会の日はいつも雨です。一体誰がと思う程です。
[PR]
by hon-hotsuma | 2014-12-13 13:06 | Comments(0)

書感

書感 ウェブとはすなわち現実世界の未来図である 小林弘人著   PHP新書 2014年発行   

著者はビジネス・ブルースクール大学教授でもあり、大前研一氏が同じ大学学長であることを知り、一読しておきたい気になりました。
聞きなれないカタカナ言葉など多く、理解するのに時間がかかりました。
最近始めたGメール・Googleについて多少疑問に思う所を感じていた矢先であったため、共感を持って読むことが出来ました。 結論はGoogleの動きから目を逸らすなという警告書のようにも捉えられました。

グーグルが無料で利便性を提供する理由について、著者は周りに気を配りながら遠慮しがちに述べられていますが、私流に言えば、野生の動物に対し、餌付けで誘き寄せ、餌付けに慣れてきたので、そろそろ自分の考え通りに思う存分采配が揮えるという流れのように見えます。
もちろんグーグル自身もそこまでは意識してないとは思いますが、今後、何をしようとしているのか、著者本人も気になり、広く語り掛けなければと思われたものと思います。

グーグルを語ることは未来を語ることという項目があり、グーグルの社是は“Don’t be evil.”(悪魔になるな)だ。とのことです。
彼らは自身のパワーをよく理解しているが、たとえ彼らが善だと思っていても、価値観は国や文化、資本力の差によって変わる。そして、彼らが引き起こす変化は、本人たちが想像している以上に大きな破壊力をもつ。と、著者は述べています。
 
更に、グーグルの善は私たちの悪か?と疑問を呈しており、その中で、テクノロジーの進歩は、私たちに力を与えた。しかし、皮肉なことにそれはネットワーク化された世界では非対称性をもつ。個々に力が分配されるとき、その分配者自身はさらに権益を集め、巨大化していく。グーグルは世界中からあらゆる最高の知性を集め、テクノロジーを駆使し、壮大なデザインを行なおうとしている。彼らの考える善が、ほかの人の悪にならぬよう祈るばかりだ。と、あります。

身近な具体例として、カーナビメーカーを苦しめるグーグルという項があります。

情報がオープンとなった社会での競合者は既存のライバル企業ではない。カーナビを例にとると、世界でもトップを走っていた国産カーナビ機器メーカーをいま苦しめている相手はグーグルだ。「カーナビ」というパッケージされた電子機器ではなく、グーグルマップをつかったネット上の地図案内サービスだが、ドライバーが自分のスマートフォンをダッシュボードに置けば、今までのカーナビは不要になってしまう。高価なカーナビを買う必要がなくなってしまった。
私自身、これに関連して驚いたのは、最近ごく普通のビデオカメラを購入したとき、Google Earth に位置情報を記録しながら撮影できるようになっていたことです。
地図以外にその場所の状況・ストリートビュー以外にも、ユーチューブの画面を見るかのように不特定多数の人が撮影した現地の動画を確認できることです。

 ソーシャルナビというユーザーが渋滞や取り締まりなどを現在の情報を投稿し、リアルタイムの交通情報を地図上で共有するサービスもとりいれているようです。
さらに、グーグルではクルマの自動運転を目指しておりそろそろ実用化されるとのこと。グーグルマップやストリートビューで培った道路状況のデータと、リモコン操作のプログラムを融合させたものが本格化したら、今までのカーナビ以上の機能のものが出現することになる。

グーグルの買収傾向を見て、ウェブだけではなくテクノロジーと人間の未来を語ることは、グーグルの未来を語ることになる。
私はグーグルの全能的ともいえる拡大に全面的に賛同しているわけでもない。と、著者は述べられている。
私も、グーグルやGメールを使い始めて、あまりにも便利であるが、何事にも首を突っ込まれているようで、何か空恐ろしい感じを受けることがあります。

グーグルは量子コンピュータの開発にも資金を投下し、すでにNASAと共同で「量子人工知能ラボ」を創設した。量子コンピュータによって解析可能になると、先物取引や穀物相場などを何年後の何月何日のどの場所で行なうべきということがピンポイントで予測できる可能性もある。軍事、安全保障、経済など、ありとあらゆるものが変わってしまう。
ライフスタイルや社会生活まで関わってくるため、そこにはつねにある種の怖さがつきまとう。


以上 
 ジョンレノ・ホツマ
[PR]
by hon-hotsuma | 2014-12-09 10:08 | Comments(0)

カテゴリ

全体
未分類

フォロー中のブログ

最新のコメント

メモ帳

最新のトラックバック

ライフログ

検索

ブログパーツ

ファン

ブログジャンル

歴史
語学

画像一覧