ほつまつたえ


Hotsuma tsutae feelings
by hon-hotsuma
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書感:クモの糸でバイオリン

書感:クモの糸でバイオリン 大崎茂芳著 岩波科学ライブラリー 1200+α

以前、「クモの糸~」がTVか何かで話題になったような記憶はあったものの、細いナイロンと比べられるものかどうかもわからず、クモの糸をどうやって採取するのか、何を実現不可能なことをやっているのか、奇人変人か、常識ではありえないことだと気にもしていませんでした。
今回、図書館の新刊リストに本書を見つけ、自分の思い込みであったことを知り、一気に読み切ってしまいました。
著者は40年に亘りクモ一筋!一言で言えば、ここまでやるか!まさに何が得られるかもわからない目的に向かって食いついていけば、結果は向こうからやってくる!という表現がこの著者のためにあるように思いました。著者に拍手喝采です。古代の言葉(ホツマ用語)で言えばヨロトシ!(万歳)です。
著者は、大学院で粘着紙の研究中に総説としてまとめる過程で、ふとクモの巣が頭に浮かび、クモの糸の物理化学的特性を調べた研究はほとんどないことを知り、未開拓分野に魅力を感じたのが発端とあります。

屋外でクモを観察し生態を理解しようという気になったり、クモから糸を取り出す方法を考え付いたり、苦労の末、実験に使える糸が得られ、物理化学的な性質を調べて、クモの糸を詳しく調べ上げていくのには、著者の以前の経歴が向かわせたのに他ならない。本業は粘着紙の研究からマイクロ波という電磁波を用いた分子や繊維の配向性の研究へシフトしていたことが、クモの糸に結びついたというのは何か著者にとって運命的であったように思えます。クモの方から呼びかけてきたとしか思えないからです。

具体的には、クモには、7種類の糸があり、電子顕微鏡で糸によって様子が違うことを知り、縦糸は4本の細い繊維からなり、横糸は2本で粘着球という粘着剤が間隔を置いて配置されている。牽引糸というクモにとって命綱で、クモが自ら降りてくるときに出す糸が、本実験の糸になります。
この牽引糸をどうやってクモに出させるか、クモとのコミュニケーションや糸を出してもらうための環境づくりなどいろいろな苦労があったし、何本も束ねなければならないため、物理的な量のクモの糸を集めるのも大変なことであったと思います。


牽引糸の弾性限界強度はクモの大きさに関係なく体重の約2倍であることを知り、電子顕微鏡で2本の細い繊維から成り立っている安全則を確認、たとえ1本が切れても支えられるゆとりになっていることに感心。

大量に集めたコガネグモの糸を使って糸を束ねて人を吊る実験を何回も失敗を重ねながらも100kg以上の強度を得ることに成功してきていた。
その後、クモの糸は力学的に強く、さらに弾性や柔軟性もあることがわかってきて、この特徴はバイオリンの弦にも向いていると考えるに至っていた。

周りの出会った人たちも、著者の奇想天外な実験に応援する姿がありありとうかがえます。著者の熱意から環境の良さに恵まれ、クモの糸をストラディバリウスに取り付けて奏でられ、世界的な反響を巻き起こしていたことを本書によって知りました。
以上

ジョンレノ・ホツマ
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by hon-hotsuma | 2016-12-22 11:43

12月21日は回文の日だそうです

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      先ほど、12月21日は回文の日と知り、以前書感にしたことを思い出し、再度投稿します。

書感:                               ジョンレノ・ホツマ
土屋耕一回文集 軽い機敏な仔猫 何匹いるか 土屋耕一著(故人) 角川文庫 昭和61年発行


先月(2014年3月)の読売新聞の編集手帳に「回文」のことが取り上げられており、本書の存在を知りました。



まえがきに、回文というのは、上から読んでも下から読んでも同じ文になる文のことです。
昔から「タケヤブヤケタ」が有名です。回文の作り方は、先人の残した伝承ですが、仮名づかい、とくに濁点は現代表記に従って変えているとあります。


さらに、まえがきには、
「長き夜の 遠の眠りの 皆 目覚め 波乗り船の 音の良きかな」
(ナカキヨノ トヲノネフリノ ミナメサメ ナミノリフネノ ヲトノヨキカナ:ホツマツタエ本文より)
という歌が、お正月の宝船に添える歌として古代から受け継がれてきた回文歌の名作です。とあり、同じ歌が「まわりうた」(廻り歌)として、ホツマツタヱにもあることに感心しました。

しかし、ホツマツタヱにある、上から読んでも下から読んでも同じという廻り歌(回文)の意図は、その歌を聞いたものは、返事のしようがない。つまり返歌できないことを意味していました。この歌を聞いたら最後、そこから逃げられずに言うことを聞かざるを得ないという意味合いがあったようです。
当時は、相手に対し、歌を詠んだら、その歌を受け取った者は同じ韻を踏んだ歌で返事をする世界であったようですが、返事が返せないようになっていたということになります。

ホツマツタヱの説明では、「御幸」の船に乗っていた時、風が激しく波を鎮めようと風の神に廻り歌を詠んだ歌で、「かなざき」(住吉の神)が、波を鎮めるという願いを、風の神を相手に詠んだ歌になります。
この歌を詠んだ結果、風は止み海は静かになって船は心地良く進み、阿波(徳島)に着きました。
これが、後世になって、縁起が良いので宝船となって伝えられて今に伝わえていたのでしょう。

もう一つ、ホツマツタヱにしか受け継がれていないと思われるものに、ワカヒメ(天照神のお姉さん)が、勅使としてやって来たアチヒコに一目ぼれして、歌冊(短冊・うたみ)に詠んだ恋文があります。

紀州こそ 妻を身際に 琴の音の 床に吾(我)君を 待つぞ恋しき
(キシイコソツマヲミキワニコトノネノトコニワキミヲマツソコイシキ


紀州にいらしてください。私は貴方の妻となって、いつも、御そばで琴を奏でて差し上げましょう。布団を敷いて貴方が来られるのを恋しい想いでお待ちしています。この歌で、結ばれ、オモイカネと名が変わりました。


本書の前書きには、回文はその後、短歌になり、連歌になり、俳句になり、或いは口頭遊戯になりなどして、さまざまな展開をみせたのですが、近ごろでは、まったく聞かなくなってしまいました。
現在では、ごく一部の方を除けば歌の世界に居られる方は稀になっていますので、このような世界は消滅してしまったと思われます。





本文にある、回文の幾つかです。

求む友 (モトムトモ)
占い習う (ウラナイナラウ)
皆はお花見 (ミナハオハナミ)
関係ない喧嘩 (カンケイナイケンカ)
ママが私にしたわがまま (ママガワタシニシタワガママ)
スマートなトーマス (スマートナトーマス)
軽い機敏な仔猫何匹いるか (カルイキビンナコネコナンビキイルカ)
酒を互いに新潟おけさ (サケヲタガイニニイガタオケサ)
品川に今棲む住まい庭がなし (シナガワニイマスムスマイニワガナシ)
いい女 モテてモテても難を言い (イイオンナモテテモテテモナンヲイイ)
力士手で塩なめなおし 出て仕切り (リキシテデシオナメナオシデテシキリ)

以下は別の土屋耕一シリーズより

新年、年始 (シンネンネンシ)
桜ひらくさ (サクラヒラクサ)
桜切る、気楽さ (サクラキルキラクサ)
酒呑みな、花見の今朝 (サケノミナハナミノケサ)
花見にうとく、とうに、皆葉 (ハナミニウトクトウニミナハ)
ママが我儘 (ママガワガママ)
柚子湯 (ユズユ)

上から読んでも下から読んでも、同じであることには新旧どちらも違いがないのですが、現代は言葉の遊びで愉しんでいるのが良く分かります。古代ホツマツタヱの回文から進化して別物となって生き続けていることに感慨を覚えました。
艶物も多く見受けられ、高度なダジャレへと進化しているように見受けました。

以上
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by hon-hotsuma | 2016-12-21 18:28

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