ほつまつたえ


Hotsuma tsutae feelings
by hon-hotsuma
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ホツマツタヱ解読

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6月に投稿した「神武天皇誕生までの経緯と背景」の中で、別雷神が天皇を生前退位後の名前について、「おゝゑきみ」とホツマツタヱ本文通りに記さなければならなかったのに、自分勝手に大上神と漢字化してしまいましたが、太上天皇と記すのが一般的であると気が付きましたので訂正いたします。
図表も追記訂正いたしました。
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# by hon-hotsuma | 2016-08-12 14:55

天皇陛下 生前退位について 

ホツマエッセイ  天皇陛下 生前退位について

ニュースで天皇陛下が生前退位を表明され、過去にないからということで周りが物議をかもしていることに違和感を覚えました。

私自身は定年前の肩たたきで早期退社しましたが、定年のない会社経営者でも退任時期には後継者に譲るのが普通であり、今の天皇陛下は生涯現役でいなければならない大変なことと認識しました。

ホツマツタヱを読むと生前退位はごく自然のことであると分かり、古代の天皇は、自らが老齢になったと感じられたとき、ご自分で次に天皇になる人を選び、日嗣をしておられます。
やっと、昔の自然のままの元通りに戻ったという感じです。今は、ご本人のご都合や考えでなく、法律の制約という取り巻きの都合で決められてしまっているように見えるからです。

日嗣とは今の天皇から、次に天皇になられる方に引き継ぐ儀式であり、三種の神器を引き継ぎ、大嘗祭を執り行います。

古代の生前退位された例の一つとして、天照神の孫の次男の天孫ニニキネ(別雷神)を取り上げてみます。生前退位後の記述に興味がありましたので抜粋します。

天孫ニニキネ(別雷神)は、三男のヒコホホデミの大嘗祭が終わって、自分は「おゝゑきみ」(太上天皇)という名前になります。これにより天孫ニニキネ(別雷神)の生前退位が行われたことを示します。

瑞穂宮での任務の終わった「おゝゑきみ」(太上天皇)は、瑞穂宮から貴船の山奥に隠れ住んでいた息子の正妃のトヨタマ姫を説得した後、「むろつ」(兵庫県たつの市御津町室津)で、遺言を残します。その後、亀舟という大きな舟に乗り、宮崎に上陸した後、鹿児島に向い「そお」(曽於)国の高千穂の峰(霧島山)につき、そこで神上がりします。

なぜ、鹿児島に向かったのかについてですが、天孫ニニキネが、昔、筑紫(九州)全土を開拓しながら巡ったことがありました。「そお」(曽於の国・鹿児島)から招きを受けていたのですが、訪問の約束を果たせないまま帰国してしまったことが心残りであったと伺えるからです。

 高千穂の峰に立ち、「あさま」(富士山・浅間神社・ほつま国)の方角から日の出(朝日・日の霊)を祈るので、この地を「ひむかう国」(日向国)と名付けられました。

 高千穂の峰とは、霧島山を示していると思われます。霧島山の幾つかの峰々の内、この曽於市の方角から手前に見える山に高千穂という名前がついているからです。


「ほつま国」に居られる姫(このはなさくや姫)の霊は、月が沈む西の方角の高千穂の峰(霧島山)に沈み、神となられました。

姫が亡くなられたのは、「ほつま国」ですが、死後の霊魂は「おゝゑきみ」(太上天皇)の居られる高千穂の峰(霧島山)に向かわれたことを言っています。

「おゝゑきみ」(太上天皇)を太陽と見て、月をお妃「このはなさくや姫」に例えていることが分かります。また、月に帰るという昔話、「かぐや姫」の話とも何か重なるものを感じます。

天国で会う日を決めておられたお二人が、西と東で遠く離れていてもお互いの方を向いて同時に神上がり(お亡くなり)しましたともあります。
「おゝゑきみ」(太上天皇・以前の名は別雷神・天孫ニニキネ)である「いづの神」*は、高千穂の峰の神となられました。

*「いづの神」21綾にニニキネのことを二荒れの逸(稜威・いづ)の神と称しています。

高千穂の峰の神となられ、神上がりされたという記述の意味が、新たに神が誕生されたように漢字化されて伝えられているようです。新たにいづる・誕生すると解釈されたのでしょうか。


現天皇におかれても、生前退位された後、やり残したこと、心残りのあることなど、自分のための新たな人生を謳歌していただきたいと願った次第です。


以上


ジョンレノ・ホツマ
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# by hon-hotsuma | 2016-07-16 10:56

ホツマエッセイ 神武天皇誕生までの経緯  

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ホツマエッセイ 神武天皇誕生までの経緯                    
2016/06/21
現在解読中ホツマツタヱの26~27綾(章)は紀元前660年より以前に当たります。神武天皇誕生までの経緯の記述内容を一目で分かるように表にしてみました。
この綾はヒコホホデミとトヨタマ姫と皇子のカモヒト・ウガヤフキアワセズが中心になっています。
表の中にある「葵・桂の葉で夫婦のあり方を説得」(26-15~19)というコメントの背景を追記します。

ヒコホホデミが筑紫(九州)を治めるように父親のニニキネ(分雷神)から勅りを受け、開拓活動をしているときにトヨタマ姫と知り合い、その後懐妊します。
そのとき、瑞穂の宮におられた父親から日嗣(天皇の位)を譲るから上京しなさいとという伝令が入ります。

九州の志賀島(後に金印が見つかった所)から舟に乗りますが、身重であったトヨタマ姫はカモ舟(敦賀まで約1ヶ月)であとからついて行き、ヒコホホデミは一番速度の速い大ワニ舟で先に行って産屋を作っておくことにしました。
途中、姫の乗ったカモ舟が割れてしまい、岸まで必死で泳ぎ切ります。別の舟を見つけることが出来て無事敦賀へ到着します。そのとき、まだ産屋が出来上がっていませんでした。しかし、そこで無事出産しました。
生まれた皇子はウガヤフキアワセズという長い名前を授かります。

このあと生じた大問題は、産屋の隙間から産んだばかりで素っ裸で開けっ広げのあられもない姿をヒコホホデミに覗き見られてしまいます。姫は、覗かれたことに気づき、もう生きてはいけないと恥ずかしさのあまりこの場を逃げ出します。
生まれたばかりの皇子は途中の遠敷の宮に置き去りにして、弟のカモタケヅミと山奥の貴船神社にたどり着き隠れてしまいます。
その後居場所を突き止め戻ってくるよう説得しますが聞き入れません。トヨタマ姫の父親も九州から駆け参じますが聞き入れることはありませんでした。
日嗣(天皇の位)を譲るための大嘗祭に新しい天皇にお妃が不在ではかっこが付かないため父親が九州から一緒に連れてきた妹のオトタマ姫を代役のために奉りました。
大嘗祭が終わって一年経ってもトヨタマ姫は隠れたままであったため、大上君(別雷神が日嗣・天皇の位を譲った後の呼び名)は葵の蔓を持ってミズハ宮(貴船神社)に出掛けます。葵の葉と桂の葉(双葉)は、夫婦と同じように左右両方そろって初めて葵の葉と言い、桂の葉と呼ぶのだということを諭します。
任務の終わった大上君(別雷神)はその後、貴船の山奥から「むろつ」(兵庫県たつの市御津町室津)に着き、遺言を残し、亀舟という大きな舟に乗り、鹿児島に向い「そお」(曽於)国の高千穂の峰(霧島山)につき、そこで神上がりします。
高千穂からは、「あさま」(富士山)の方から昇る太陽(日の霊)に向かってご来光を祈るので、この地を「ひむかう国」(日向国)と名付けられました。日向(ひゅうが)の語源になっています。

大上君(別雷神)が神上がりしたことを知ったトヨタマ姫は喪に服します。喪に服していることを知った瑞穂宮のヒコホホデミは歌を詠みイソヨリ姫に持たせます。

沖つ鳥 鴨着く島に
我が寝ねし 妹は忘らじ
世(夜)の事々も

とイソヨリ姫がヒコホホデミの歌を詠み、トヨタマ姫は返し歌をしたためます。

沖つ鳥 鴨(天下・神々から下々まで)を治むる
君ならで 世(夜)の事々を
えやは防せがん

この返し歌を葵の葉で包み、君(ヒコホホデミ)からの歌を桂の葉に包んで、赤白の水引草(みひきくさ)で結び文箱に納めました。
二人の気持ちが通じ、トヨタマ姫を御輿に乗せて宮に入り天下晴れての中宮になりました。

ここのトヨタマ姫とヒコホホデミの記述は、葵祭の起源になっていると思われます。また、おめでたい水引の語源にもなっています。
ジョンレノ・ホツマ
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# by hon-hotsuma | 2016-06-24 21:12

ホツマツタヱ8綾 「ハタレ」考2 

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8綾 「ハタレ」考 2

(8綾-29~31)
ねがえばかみの
みゆきなる てくるまのうち ①②
せおりつめ あめのみかげに
あきつめは ひのみかげさす ③
いふきぬし くまのくすひに
まてにあり しろくろこまに ④
もろそひて やまだにいたり ⑤
きじとべば はるなははみち ⑥
のもやまも かえてむらくも
ほのほふく とげやのあられ
なるかみに


① 「てくるま」
Yahoo画像より探し出せたものを3点ほど拝借しました。
添付図は後世ものですがイメージの参考までに。
一番下の絵は「石山寺縁起絵巻から」です。

② 「クルマ」の語源考
群馬県の名前と歴史 – Biglobeの中に、群馬郡(久留間)は古代では初め『くるまのこおり』と呼ばれており、久留間(クルマ)という地名が車(クルマ)という文字で書かれていたようです。「馬が群がれる」という意味も参考になります。
群馬県も1869年(明治2年)の廃藩置県後に『県名』が二転三転した県ですが、最終的には前橋の所属していた群馬郡の名前が採用されました。群馬県の領域は、上代には栃木県域と合わせて『毛野国(毛の国)』と呼ばれており、毛野国を上下に分割して『上毛野国(かみつけぬのくに)』といわれる国が、現在の群馬県と重なっていました。飛鳥時代から奈良時代、平安時代にかけての『律令制』の時代には、群馬県のあたりは『上野国(こうずけのくに)』とされ、栃木県のあたりは『下野国(しもつけのくに)』とされました。そのため、群馬県(上野国)の異称には『上州(じょうしゅう)・上毛(じょうもう、かみつけ)』という言い方もありました。
群馬郡(久留間)は古代では初め『くるまのこおり』と読まれていて、藤原京の遺構から発見された木簡には『車』という一字表記だけで群馬郡を指していました。奈良時代初期に、全国の郡・郷の名を二文字で表記するルールが制定されて、『車』から『群馬』の表記に改められましたが、群馬は『馬が群れる』という意味でありこの地域一体は『良い馬の産地』だったのではないかと推測されています。
③「さす・サシハ」について 

「あきつめは ひのみかげさす」
2016/4/16の勉強会で高畠先生が、「アキツ姫」が天照神の日陰を「さす」(日陰を作る)ために掲げていたものを「サシハ」とご説明されていました。
右図は難波宮跡 大阪歴史博物館展示のもの。


④「しろくろこま」について

福島県郡山市田村郡三春町という所に、三春滝桜という巨大な桜で有名な観光地があります。ここには、三春駒と呼ばれている白駒黒駒の郷土玩具が伝統工芸品としてあります。記念切手にもなりました。「しろくろこま」の情報を伝えているように思えます。

⑤ 「やまだ」について

山田という地名が日本各地にありますが、8綾のここでの「ヤマダ」は、仙台市太白区山田本町を示しているように思えます。多賀城や青葉城にも近く、日高見と推定される場所の候補の一つとして取り上げておいても良いと思ったからです。
この地区で古代の膨大な遺跡が発掘されており、一大国家であったことが窺えるからです。
山田条里遺跡(仙台市HPより)



調査区全景                        仙台市全景 ●印は山田条里遺跡
所在地 太白区鈎取字東根添、山田字田中前ほか
種別  集落跡,生産遺跡,屋敷跡,包含地
時代  縄文時代・弥生時代・平安時代・近世
解説  名取川左岸の標高30~38mの河岸段丘、自然堤防上にある縄文時代、弥生時代、平安時代、近世の遺跡である。平安時代以降の水田跡の他、近世の屋敷跡が発見された。近世の屋敷跡では西堀が発見され、江戸時代の絵図に描かれた「ヤチヤシキ」と呼ばれる屋敷であると考えられる。

なお、「やまだ」の候補として、天照神が住まわれていた伊勢にある宇治山田も考えられます。魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の候補地としては宇治山田の方を示していると考えられます。宇治山田付近は水銀も産出していました。
魏志倭人伝に書かれている邪馬台国とは、山の宝(ヤマタ)のある所(イ)の国のことを意味していたように思えます。日本各地の金山のあるところあちこちにやたらと山田という地名が多いことに気づきます。日本全国、九州から仙台地方まで何処も候補として挙げられます。まさにジパングと呼ばれていたことにも納得がいきます。
一方、魏志倭人伝の卑弥呼とは「ひのみこ」(日の御子・天照神のお子さん・天照神をお守りする)が漢字化されたとき所有格の「の」は省かれ「ひみこ」(卑弥呼)とされたと取られています。当時「ひのみこ2代目」(2代目の斎女)であった「やまと姫」が宇治に決めた経緯があり、年代的に斎宮・宇治山田付近と推定しています。(36綾)
この斎宮後も今後の発掘調査に期待したいと思います。

⑥ 「はるなははみち」について

「はるな」とは、榛名山のことを示していると考えます。近くには伊香保温泉があります。弥生時代以降江戸時代までに浅間山の大きな噴火は3回ありましたが、榛名山も大きな噴火を2度していたことが確認されています。位置的には、浅間山、榛名山、赤城山、日光白根山という火山がほぼ一直線につながっています。
榛名山の大噴火によって灰に埋まってしまった遺跡の発掘調査で、平城京と比べても遜色がないほど大きな規模の県・国の跡が埋もれている可能性があるとのことです。
ボンベイの遺跡は有名ですが、この榛名山の噴火で埋もれていた遺跡の今後の発掘調査が待たれます。

「はるなははみち のもやまも かえてむらくも ほのほふく とげやのあられ なるかみに」 

次に「はるなははみち」の「はは」ですが、これは鉄・産鉄のことで、古代の産鉄地であったことを示していると考えます。たたら製鉄以前の古代の野ダタラ(溶鉱炉)がされていたことが推測できます。

野たたら製鉄をしている場所では、山の木を切り倒し、風の通る山の中腹に穴を掘り、砂鉄を溶かすために、木炭を燃やしその上に砂鉄を含んだ土砂を何層にも載せていくことをしていたようです。
大量の木・炭を燃すために、木を伐採された山ははげ山になり、燃え始めるまでは大量の煙が発生し、まさに「むらくも」という表現がぴったりします。燃え始めたら炎が吹き始めます。砂鉄7里に炭3里と言われ、近くに大量の木があるところ、寒風が吹き抜けるところが適していたようです。砂鉄は多少遠くてもかさばらないためであったようです。
群馬県(上州)のことわざに「かかあ天下」に「空っ風・からっかぜ」と「雷」とあるように冬の空っ風の吹く場所が野タタラに適していたからのようです。

本格的なタタラ製鉄(永代タタラ)になっても三日三晩燃やし続けていたようなので、かなり長期間にわたって燃やし続けていたと思われます。
(右図は窪田蔵郎著 日本の鉄より)
今でも、あちこちに古代の野たたらの跡が見つかっています。陥没した野たたらの跡のことを、場所によっては「ダイダラボッチ」という大男が歩いた足跡といっているところもあります。
古代の野たたら製鉄の遺跡として知られているところは、東北地方では青森県4、岩手県3、宮城県2、秋田県1、福島県 4、栃木県2、茨城県1、群馬県4となっています。大部分は破損がひどく、炉底のみが残っている状況で、もっと無数にあったものと推定されています。
参考文献:日本庶民生活資料史集成第10巻鐡山必要記事 三一書房
風と火の古代史 柴田弘武著 渓流社
古代の朱 松田壽男著 筑摩書房
鐡から読む日本の歴史 窪田蔵郎著 講談社 他  
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# by hon-hotsuma | 2016-05-02 09:18

地球はもう温暖化していない 科学と政治の大転換へ 深井有著 

地球はもう温暖化していない 科学と政治の大転換へ 深井有著  平凡社 2015/10発行

第1章 CO2温暖化論が破綻するまで
第2章 太陽が主役、新しい気候変動の科学
第3章 あまりに政治化された「地球温暖化」
第4章 今後取るべき政策を考える

4つの章に分かれていますが、前半の章の内容については以前、同様の書感2冊取り上げた項目に重複するので、後半部分の展開についてのみ取り上げました。

以前取り上げたものというのは、 2010/5に「不機嫌な太陽・地球温暖化ブームを嗤う!」(デンマーク国立宇宙センターの太陽機構研究センター所長のH,スペニコル・サイエンスライターのN,コールダー著)で温暖化の原因は二酸化炭素(CO2)ではなく、宇宙線強度の変化・太陽からの変動が地球の気温変化に連動していることを突き止めていました。
 
更に2011/4には「二酸化炭素温暖化説の崩壊」(広瀬隆著)を取り上げました。
二酸化炭素温暖化説が捏造されてきたデータであったことの調査報告と、併せて原子力発電所の廃熱の問題が隠されてる。原子炉で生まれた熱エネルギーの1/3は電気になり、残りは熱となって海に捨てられている。発電量の2倍の熱量(約1億キロワット)を海水で冷却しており、海水を加熱していることの事実を隠している。

 さて、今回取り上げた本書の裏表紙には、日本では疑う余地はないと思われている二酸化炭素(CO2)による人為的な地球温暖化。いまだに温暖化による危機が声高に叫ばれているが、驚くべきことに、データ上は20年近くも温暖化は進んでいない。さらに、太陽学や古気候学の最新知見から予測すると、今後太陽の活動が弱まり、地球寒冷化の可能性すらあるのだ。
物理学者からの警告!気候変動の主役は、CO2ではなく太陽だ。とあります。

国連機関IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が地球温暖化を唱え始めてから25年経過し、実際に温暖化が起こったのは7~8年に過ぎずその後世界の平均気温は頭打ちになって今はむしろ下降傾向にある。CO2濃度は毎年増え続けているのに、気温は18年間横ばいで、CO2理論が間違っていることは明らか。

あまりに政治化された「地球温暖化」について、国連機関IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、本来の研究機関ではなく温室効果ガスによる地球温暖化を前提として作られた組織なので、CO2削減という「先に結論ありき」で無理な作為を繰り返し、多くの疑問と誤りが見いだされクライゲート事件(内部機密メールの大量流出)に発展した。

日本が世界から取り残されている経緯について、京都議定書(CO2削減の数値目標)で背負い込まされた負担を、国民に崇高な義務と信じ込ませるため国を挙げてのキャンペーンの結果ではあるが、この問題の正否に真剣に取り組む気象学者がいなかった。そのため、国策に協力すればポストは保証され不自由なければ、異論を唱えようとしなくなるのは当然である。

地球温暖化についてのブログでのやり取りを見ていると、大多数は英語国民の間に限られていて日本からの発信は見たことがない。国の枠を超えた自由な意見交換が日常的に行われていることがうらやましい。日本を世界の孤児にしている。欧米の人たちの意識は変わっているのに言語障害のために日本に伝わっていない。
日本のマスコミはせめて世界で起こっていることを正確に伝えるのが使命であるくらいの見識は持ってほしいものだ。

日本では、温暖化対策のために巨額の費用が投じ続けられている。
日本の場合、国民がそのために払わされている税金は毎年4兆円だが、じつはCO2排出削減政策がGDP(国内総生産)を年間1~2%、金額にして5~10兆円押し下げる効果(逸失利益分)を加えると、負担は一世帯当たり20万円にもなる。われわれは毎年20万円も取られているのだ。

今後取るべき政策として、温暖化対策という金づるにぶら下がっているものすべてを精査して、大幅に切り捨てることから始めなければならない。
原発事故では原子力ムラの存在がクローズアップされたが、それと同様に、温暖化対策予算の周りには温暖化ムラが出来上がっている。
政・官・学と一部の企業を巻き込んだこの利権集団はなんとしても解体しなくてはならない。
また2012年10月から導入されて国民に年間2600億円の負担を強いている環境税も温暖化対策という目的が不合理なので廃止すべきである。
温暖化対策にこれだけ投資をすることは無駄なことで厳しく断罪されるべきであろう。
国を挙げての世論操作に騙されず、公権力の乱用を許さないようにしようではないか。

近頃しきりに戦時中のことを思い出す。先の見えない閉塞感の中で、地球温暖化防止という大義の下で人々が孜々としてCO2削減に励んでいるさまは、鬼畜米英を追放して大東亜共栄圏を構築するという大義の下、国を挙げて戦っていた姿にぴったり重なると著者は述べている。

現在これだけの情報が飛び交う中で、マスコミとは一体何なのか疑問に思ってしまう。真に伝えなければならないものと、ただ興味本位から伝えたいと思うものと勘違いしているように思えます。
今回の熊本地震のマスコミによる過熱報道ぶりも目に余るものがあります。TVはどの局も最新情報を伝えたい一心で同じように被災者の立場を考慮せず被災者に問いかけ繰り返し報じている。過熱報道のためのヘリコプターより現地に救援物資を早く届けることを優先できなかったのかと思いました。
以上    
ジョンレノ・ホツマ
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# by hon-hotsuma | 2016-04-29 18:32

ハタレ考1

8綾 「ハタレ」考 1


(8-24)
かだまろが いたれははたれ
いろかえて かきみたれたる
きくみちの ここさわゆくや
ひめおどり むらくもたひや
(8-25)
ほたるひの わらひあざけり
いかりびの あをたまはけば
すすみえず

「カダマロ」(荷田麿)が花山の野に着くと、「はたれ」どもは辺りの景色を一変させました。
花が咲き乱れている「菊の道」(黄色の道)になっている「ココサワ」(菊沢)に行きました。すると、「ヒメ踊り」のように地中に秘められていたマグマのようなものが噴出して踊っていました。空には、むら雲が立ち上り、松明が灯っているかのように明るく輝き、蛍火のように火花が降り注いでおりました。地中が嗤い嘲っているように辺り一面に、怒り火のように青珠が吐きだしていました。とても前に進めるような状況ではありませんでした。(藤田 訳)


この記述には、火山の噴火や硫黄鉱山の自然発火の様子、さらには鉱山での採掘状況が隠されているよう思われたからです。
いかりびの あをたまはけば (怒り火の 青珠吐けば)

添付写真が示している硫黄鉱山の硫黄の自然発火を見ると、まさに「怒り火の青珠が吐きだす」という情景を見ているような気がしてきます。
地獄の業火-青い炎が美しくも過酷な硫黄鉱山の写真52枚(Olivier Grunewald)より抜粋
http://www.inspiration-gallery.net/2010/12/12/










青い炎は硫黄が燃えている様子を表しています。

② ひめおどり むらくもたひや 姫踊り(秘め踊り)


写真は、桜島の噴火の様子ですが、地中に隠れていて今まで秘められていたマグマが噴出し、まさに踊りだしているという表現を使ったのではないかと考えました。

この噴火の様子が、「ひめおどり」(姫踊り)と称して、秘められていたものが踊っていると言っているという解釈も成り立つかなと思います。

「はたるび」(蛍火)とは、火口から飛び散っている無数の火の玉が線香花火のよう見えることを言っているように見えます。







③ 「オコゼ」・「アゲネズミ」・「フトマガリ」など

これらには、鉱物資源について隠された記述になっているように思えます。具体的に、どれが、どれに該当するのかは明確ではありませんが、少なくとも金属の原鉱石を象徴しているように考えます。
朱砂(硫化水銀)、水銀、銅、硫黄、金、銀などの地中から掘り出された原石の色、形状と似ていると思われるからです。

高野山の付近には、水銀(朱・丹生・硫化水銀)、銅、金などが埋蔵されていたことを考慮すると、渡来系の集団を含めて、これらの金属資源を我が物顔で探し求めていた人々を「ハタレ」であったと見なせるのではないでしょうか。

ハタレが飛びついた「オコゼ」は、辰砂(丹生・硫化水銀)の原鉱石のことを隠していたと考えます。(写真はオコゼと原鉱石 いずれもYahoo画面より拝借)

























「アゲネズミ」も銅の原石あるいは他の金属の原鉱石のことが隠されていたと考えます。








揚げネズミと銅の原石   これらの写真はいずれもYahooより拝借

「フトマカリ」は餢飳(ぶと)、高糫(たかまがり)のことのようです。











↑特別公開文化財『下鴨神社』大炊...より

これも、金とか他の何かの原鉱石のことを隠すためであったような気がします。

今後、記載場所の考察や鉱山の産出金属などを照らし合わせて、特定できたらと思っています。

以上
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# by hon-hotsuma | 2016-04-13 16:18

大人の青春読本 オーバーエイティーズに学ぶ 

大人の青春読本 オーバーエイティーズに学ぶ 杉並区立成田図書館発行
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いつも利用している図書館に小冊子が置いてあるのを見つけました。

このブックレビューには、人・本のタイトル・本人の一言・概略内容が見やすくレイアウトされ、手作りの冊子であることに感心しました。冊子の作り方の参考にもなりました。

日本は超高齢社会に突入し、私たちの生活設計も長期的なビジョンで考えていく必要があります。高齢期が余生ではなく、第二の人生として位置づけられるようになったのは近年のことであり、情報も充分とはいえず戸惑いや不安を感じることも多いと思います。
成田図書館では80歳を越えても現役で活躍された方々の著作の中から、とくに人生のヒントになるような本を集め、ブックリストを作成しました。高齢期に入ってから海外に飛び出した方や一人暮らしを始めた方、精力的に文筆活動を続けた片など、年齢を感じさせない魅力的な諸先輩方がたくさんいらっしゃいます。
このブックリストをきっかけに皆様の毎日の生活がより充実したものとなれば幸いです。
という、あいさつで始まっており、ブックレビューに取り上げている方々は、

吉行 あぐり  熊田 千佳慕   柴田 トヨ        金田一 春彦
楠目 ちづ   笹本 恒子    ターシャ・テューダー  堀 文子
吉沢 久子   やなせ たかし  内海 桂子       辰巳 芳子
吉本 隆明   北 杜夫      山折 哲雄       谷川 複太郎


最初に出てくる「あぐりさん」を取り上げて見ました。

吉行 あぐリ 美容師1907(明治40)年-
あくやり白寿の旅 吉行あぐり・吉行和子/著  集英社
「いまを旅する、過去を旅する」←手書きになっている

  あぐりさんが旅に目覚めたのは91歳のとき、娘で女優の吉行和子さんや友人とのメキシコ旅行がきっかけだ。旅行会社からの車椅子を用意しておくとの申し出をぴしゃりとはねのけ、機内食もメキシコ料理もしっかり完食、海に入りピラミッドに登り思う存分旅を満喫したようす。ご本人いわくそれから旅が「やみつきとなり」、和子さんのロケや休暇に便乗したり、ご自身が旅番組の取材を受けたりと、ネパール、イタリア、香港、上海へ。再取得したパスポートも大活躍だ。
 あぐリさんの仕事人としての半生は自著『梅桃(うすらうめ)が実るとき』やそれを基にした連続テレビの小説「あぐり」に譲るとして、今回は旅するあぐりさん。道中、唐突にそういえば…と何十
年も昔のことを思い出すんだから、旅ってやっぱりおもしろい。

自分も読む本に迷ったら、この中から選んでみようと思った次第です。

ジョンレノ・ホツマ
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# by hon-hotsuma | 2016-03-26 08:25

ホツマエッセイ 古代の舟

ホツマエッセイ 古代の舟

京都市の北の鞍馬に貴船神社という神社があります。
なぜこんな山奥に海もないのに何で貴船神社という舟という字のついた神社があるのか、子供の時から不思議でたまりませんでした。
 ホツマツタヱの27綾に、「きふね」という言葉を見つけたとき、前後関係から、古代の舟の誕生の背景も意味するところが分かり、当時の生活環境を知り、目からうろこが落ちました。

 「たみづをまもり ふねをうむ きふねのかみは ふなたまか」 とあったからです。
直訳すれば、「きふね」の神は、田水を守り、舟を生む、舟魂ですよ。とあります。

 自分なりの解釈を付け加えれば、当時から既に、洪水から田んぼを守り、常に水が行き渡るよう取水のために川に井堰を作って開墾していました。そのためには川に筏や舟を浮かべ丸太や石などを運んでいたと思いました。

 ここで「きふね」と読まれた「貴船神社」は、当時、「みづは宮」(みづはめ)と呼ばれており、水に関連していたことが分かりました。

 また、この綾に「舟」を生みだした記述がありました。
 ふねはいにしゑ しまつひこ くちきにのれる うのとりの あづみかわゆく いかだのり さおさしおぼえ ふねとなす このおきつひこ かもをみて かいをつくれは まごのしが ほわになすなよ かなさきは おかめをつくる そのまごの はでかみのこの とよたまと みつはめとふね つくるかみ むつふなたまぞ

 舟を作りだした起源ですが、太古の時代に①「しまづひこ」という方が安曇川(今の滋賀県琵琶湖の西側)に流れていた朽木(くちき・枯れ木)に乗った鵜の鳥を見て、筏(いかだ)を作ったのが始まりです。
そして、竿を指すことを覚えて、舟としました。今でも、観光地の長瀞のように竿を突いて川下りをしている所を見受けます。当時の風景を思い起こすようです。

 次に「しまづひこ」の子供の②「おきつひこ」は、鴨が水中で足を前後に動かしているのを見て、櫂(かい)を作りました。鴨舟と呼ばれました。鴨のように静かに水面を進んでいく様子が手に取るように分かります。このとき、既に、丸木を半割にしてくり抜いて使っていたのでしょうか。豊玉姫の乗った「かも舟」が割れて渚を泳ぎ切ったという記述があったからです。

 その次に「しまづひこ」の孫の③「しが」(志賀神)は、帆を作り、「わに舟」を作り上げました。速度は速いものの揺れが大きかったようです。
 外観はワニに似ていたのでしょうか。日本にも「ワニ」が生息していたことからも推測できます。大阪近郊の豊中市と池田市の間の待兼山町からワニの化石が出てきてマチカネワニと命名され全長6.5mと推測されているからです。

 さらに、④「かなさき」は、大亀舟を作りました。形が亀の甲羅のようなイメージであったと推測します。大きな樫の木で作ったという記述もあります。
 更に、大亀舟を造った「かなさき」の孫の「はで神」の子の⑤「豊玉姫」と⑥「みづはめ神」(罔象女)が、舟を作られた神と称せられ、6人の舟魂(貴船の神)となります。

 ⑤の豊玉姫は誕生間近の子供を孕んだ状態でしたが、「ヒコホホデミ」の日嗣のためにお妃として、かも舟に乗り北九州の志賀の浦から北陸の敦賀まで行きますが、途中で「かも割れて」とあるように舟が割れてしまいます。海に溺れかかり、あられもなく肌を見せてしまったにもかかわらず、必死に浜まで泳ぎ切りました。
その後、ワニ舟を見つけ、無事敦賀に着くことが出来き、未完成であった産屋で子供を無事生みました。
 しかし、あられもないでいた寝姿を君に見られてしまい、もう二度と会せる顔がないと恥ずかしさのあまり逃げ隠れてしまいます。その隠れていたところが山奥の貴船神社でした。後に、めでたく晴れて瑞穂の宮に中宮として返り咲きました。
 豊玉姫は亡くなられて、この貴船神社に祀られています。

 ⑥の「ミヅハメの神」は「水の神」を言い、「ホ・カグツチの神」は「火の神」、「ハニ・ハニヤスの神」は「埴・土の神」、「ウツホ・ウツロイの神」は「空の神」、「カゼ・シナトベの神」は「風の神」と合わせて5神の一人です。

 かも舟、わに舟、亀舟の速度の比較ですが、北九州の志賀の浦から北陸の北の津・敦賀までの時間を聞いている個所に、大亀舟なら1か月以上かかる。かも舟なら約1か月、大ワニ舟ならもっと早く着きますという記述があります。

 直線距離で約600kmですが、当時は海岸線に近い磯に沿って竿を海底に突いて進んでいたと考えられます。そのため入り組んだ海岸線の長さは倍の1200kmと見ると、1日に進む距離は約40km、8時間が実移動時間とすれば、時速5km/hrで速足と同じぐらいになります。いずれにせよ、大変なことであったんですね。

 以上
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# by hon-hotsuma | 2016-03-16 08:48

あなたのなかの やんちゃな神さまとつきあう法

 あなたのなかの やんちゃな神さまとつきあう法
金城幸政著 サンマーク出版 2015年6月初版発行

新聞の広告を見て、どんな本かと図書館にリクエストし順番待ちで読んでみました。
著者は沖縄出身で受胎前、出生時の体内記憶を持って生まれ、3歳から神様と問答を繰り返し、・・・・・とあり、奇人変人扱いを受けていたとあります。人を見るだけで、見透かしてしまう方とあります。
軽いタッチで描かれて、要点をゴジック体にしているので、一気に読んでしまえました。特に意識していない、内なる自分の魂の中に神さまがいるということを認識させてくれ、なるほどと納得してしまった内容でした。

気になったキーワードを列記するだけでも著者の意図するところがある程度理解できるものと思いました。話が多岐にわたっているのでうまくまとめるのは無理でした。

書き出しに
「まじめ」な人は、みじめになって、「一生懸命」な人は、バカを見る。
「二枚目」気取っている人って、ダサイ。今、こんな時代になりつつある。

まじめ、一生けんめい、二枚目むっつり、そんなつまんないことはまずやめよう。
著者の言う神さまとは、自分の分身・自分を見ている分身の意味合いで、自分の奥深くに神さまはいつもいる。魂と言われる部分に神さまのエネルギーが宿っている。自分の本質そのものを表しているのが著者の言う神さまである。

目次と気になった小目次の一部
1章神さまに愛される人は、笑いとユーモアを持っている
まじめに生きるなんてクソくらえ!
笑うことができれば、人は変われる!
マイナス感情すらも、もとはプラスのエネルギー
楽しむことが人生の掟。不機嫌でいることは、それだけで「マナー違反」
10言って1しか分からないとイラつくことなく、10言って1しか分からない人だと理解すれば良いこと。ストレスをユーモアに、ユーモアを持てればいつだって人は変われる。

2章私たちが「神さま」なんだから
自分の奥深くに神さまはいつも「いる」
自分は神と知りつつ、とことん人間を生きなさい

3章人生は超シンプル!ただ思うだけで願いはかなう
願いをかなえたいなら、ただ思うだけ。
「思考」ではなく「思い」が現実になる
「いいことをすればいいことが返る」は間違いである
お金を「無駄遣いした」人ではなく「腐らせた」人にバチが当たる
神さまは、人間の行為に対しての評価判断はなくポジティブな思いを持ったか、ネガティブな思いをもったしか判断基準がない。

4章その悩みは、自分を生きれば解決できる
あなたの周囲に「ちょっとイヤだな」と思う人がいるのは、あなたに原因があるんです。あなたが引き寄せているから。母親からの承認を自覚できなかった子供は、大人になっても変な自己顕示欲や名誉欲を持ったり、他人からどう見られているかで自分を承認しようとする。
自分を生きたければ、親と自分に一線を引く「親切」をしなさい。
親切という漢字の持つ意味に文字通り親を切るという意味があったのかと思い調べてみたら、本来は、「親」は「親しい」「身近に接する」という意味で 、「切」は刃物をじかに当てるように「身近である」「行き届く」という意味がある。ということを知った。親の顔色を見ないで親離れという意味合いとも取れます。
人は知らず知らずのうちに、育ってきた環境の当たり前の常識の中で生活している。そのことを自分自身がしっかりと自覚すること。つまり、親の価値観の中で生きていた自分に気づき、意識的に価値観を見直して、自分は自分の人生を生きることが大切になる。
メンツは家庭を病ませる。メンツの犠牲になったほうは、相手から高圧的な態度を取られ続けると、感情が抑圧されて本音が分からなくなる。
感情はすべての本音を携えていることを忘れないでください。

5章自愛があれば、必ず幸せになる
自分を小さく見積もって生きるな!
人生のギャラリーではなくプレイヤーになる
感謝は悟り

やんちゃな神様の掟
勤勉であることは命のマナー・生きること全てに精一杯になること。
ここでの神さまとは気功の「気」とも相通じるような気がしました。

以上
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# by hon-hotsuma | 2016-02-22 16:12

検証旅行2

ホツマツタヱ検証旅行2

前回の続きになります。

二日目は、六甲山から京丹後に入り、天照神の祖父であり、師でもあった豊受大神(トヨケ神)が祭られている比沼麻奈為神社の訪問から始まりました。日高見(東北)を治めていたトヨケ神がなぜ京丹後に?という疑問には、サホコ国(山陰)の政情を治すために「タマキネ」(トヨケ神)派遣された経緯があったからです。現地の役人で手に負えない大陸からの渡来人と現地人との間で人口増加による食糧難などのいざこざがあったのでしょうか。
比沼麻奈為神社は、久次(ひさつぎ)岳という山の麓にあり、豊受大神が近くにある真名井原の地で田畑を耕し、「月の輪田」や「清水戸」といった古代稲作の霊跡があり、ここが伊勢外宮の古本宮だと実感できました。
私たちが訪れたとき、神社を取り囲んでいる静寂な山の谷間に、突然風が竜巻のように吹き木の葉が舞い上がりました。ほんの一瞬の出来事で、その後何にもなかったかのように再び静寂に戻りました。この光景を目の当たりにした皆は、神様が舞い降りて来たように感じられ、神の存在を知った心持ちになりました。
その後、神殿で神に捧げる舞いを披露していただき、遠い昔を偲ぶことができ、ゆったりした気分になりました。

「タマキネ」(トヨケ神)は、サホコ国(山陰)を治めるため宮津の宮で政治を執り、後に天照神を呼び寄せています。天成道の奥儀を天照神に授けた後、トヨケ神はこの地で亡くなられ、あさひ宮に祀られます。国に帰ろうとした天照神は地元民に引き留められ、この地で政治を引き続き執られた経緯があります。

トヨケ神が、宮津の宮で政治を執った処と思える、籠神社(このじんじゃ)が風光明媚な天橋立の近くにありますが時間の関係で訪問いたしませんでした。
ここのご祭神が、彦火明命とあり、ホツマツタヱから読み解くと以下のようになっています。
豊受神→イサナミ→天照神→オシホミミ(箱根神)→ニニキネ(別雷神)→ホノアカリムメヒト(長男)又は・ヒコホホデミウツキネ(3男)とあり、この最後が彦火明命に当たると思われます。
この代まで時代が下って、先祖神である豊受神を祭るのに山奥の比沼麻奈為神社より適した場所として移転したのではないでしょうか。

次に、大宮売(賣)神社(オオミヤメ神社)を経由しました。
ここは、丹後国二の宮となっており、大宮賣神(アメウズメの神)と若宮賣神(トヨウケの神)がご祭神になっていますが、ホツマツタエからは天照神のお妃12人の内の典妃オオミヤヒメミチコを祀っていると思われます。
ご祭神が時代と共に風化してしまっていると感じました。漢字化した後に「オオミヤ姫」が誰か分からくなってしまい、大宮賣神と書いて「アメウズメの神」とされてしまったようです。
ホツマツタヱから読めることは「アメノウズメ」は天孫ニニキネが新田開拓のため全国八洲(ヤシマ)巡りに同行した80神の一人で、道中「ちまた神」(猿田彦)に出会い、道中猿田彦が険しい道を均し、井堰を築きあげた功績に、この「ウズメ」を賜わります。この地にも縁があったのだろうと思いました。

最後に、元伊勢内宮 皇大(こうたい)神社へ行ってきました。バスを下車して、山の中の長い石段を休み休み進み、雨に清められた本殿にたどり着いたとき、訪れる人も我々以外ほとんど見かけず、タイムマシーンで当時に引き戻されたように周りは静寂で神秘的でした。

御祭神の本殿には天照皇大神 脇宮には天手力雄命(タヂカラオ)・栲機千々姫命(タクハタチチヒメ)が祭られていました。
天手力雄命(タヂカラオ)は天照神の甥っ子で、天照神が岩戸に隠れていたのを、御神楽にうかれ顔を出した所を引き出した人であり、ワカ姫(天照神のお姉さん)とオモイカネの一人息子であることに彷彿としました。
一方、栲機千々姫命(タクハタチチヒメ)は、天照神の息子(オシホミミ)のお嫁さんあたります。天照神と中宮の「セオリツ姫・通称ムカツ姫」と間に生まれた子供がオシホミミで、天照神から見れば2番目の子供(次男)になりますが世継ぎ皇子になります。そのお妃になります。
息子(オシホミミ)が病弱で早死にしてしまい箱根神となり、お嫁さんであった「タクハタチチ姫」は、なぜか父親の天照神の元に就いた経緯があります。
非常に可愛がられていたのではないでしょうか。また、常に命を狙われていたオシホミミが亡き後、自分が狙われると恐れていたことも考えられます。晩年になっては、天照神の介護をされていたような気もします。
本来ならば(長男「アメノホヒ・タナヒト」)が世継ぎになるところであったのになれず、長男を生んだ「マスヒメモチコ」は恨み続け、失脚し「オロチ化」した流れも一瞬頭の中を廻りました。
この脇宮を見ながら、そんな思いがふと横切りました。

更に、此処から15分ほど山を下りていくと、天岩戸神社が岩戸渓谷の滝壺のようながけっぷちに建てられており、神秘的な雰囲気でした。辺りには御座石や神楽岩が点在しており、こんな所に天照神が隠れていたのかというのが実感でした。

今回の検証旅行で、今さらながら豊受神も天照神も偉大であったという思いになりました。
以上
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# by hon-hotsuma | 2016-02-22 16:10

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