ほつまつたえ


Hotsuma tsutae feelings
by hon-hotsuma
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ホツマツタヱ検証旅行1

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ホツマツタヱ検証旅行1

ホツマツタヱの記述を検証するため、ホツマツタヱ勉強会から総勢28名の参加者の方々と関西方面に行ってきました。
世間では公に認められていないホツマツタヱですが、現地に行って記述の痕跡を確認してきました。そして、訪問先の痕跡や状況から、参加された皆さん、それぞれの検証先を
訪れたことに満足され本当に良かったと思いました。
今回の検証先は、ホツマツタヱの記述の中でも最重要と思われる、天照神と、天照神の祖父であり先生であった豊受神に関連している方々が祭られている所を選びました。

限られた時間で、此処も行きたい、あそこも行きたいで絞りに絞ってようやくたどり着いたのがこの地図の経路になりました。
最初の訪問先の廣田神社ではホツマツタヱの記述にある
「いわくす舟に 乗せ捨つる 翁ひろたと にしとのに ひたせばのちに・・・」
が語源になっていると考えられます。
両親(いさなぎ・いさなみ)の最初の子は厄年に生まれた「ヒルコ姫」を、儀式で川に流し、住吉の神が拾い上げ「ひろた」と育て上げた経緯があります。
厄が取れたのちは「ワカ姫」となり今の和歌山県の語源にもなっていると考えられます。
近くにある西宮神社とも関連があるが、今回は時間の関係で省きました。
「にしのと」とは西宮神社で現在はえびす様で有名になっていますが、住吉の神が住まわれていた。

今回の旅行のガイド役をお願いした現地に詳しい大江久幸氏の解説によると昔は六甲山もこの廣田神社の範囲であったようです。

二番目の訪問先の越木岩神社は、ワカ姫が勅使のアチヒコ(後のオモイカネ)に渡して結婚に至った歌の最後の「こいしき」から来ていることを解読された方がおられ分かったからです。
「きしいこそ つまをみきわに ことのねの とこにわきみを まつそこいしき」
という回り歌になっています。この回り歌とは、上から読んでも下から読んでも同じなため、この歌を受け取った者は、この歌に返事(返歌)が出来ず受け入れざるを得ない歌の事です。

和歌山のタマツ宮に居られたワカ姫(天照神のお姉さん)が勅使として来た「あちひこ」を見て、一目ぼれしてこの回り歌にした恋文を渡します。
「紀州にいらしてください。私は貴方の妻となって、いつも、おそばで琴を奏でて差し上げましょう。布団を敷いて貴方が来られるのを恋しい想いでお待ちしています。
受け取った「あちひこ」は返事に「思いかね」て後に「オモイカネ」と名が替わり、晴れて結婚され、ワカ姫は下照姫と名を変え天照神の妹の立場に替わります。

この越木岩神社の地名は西宮市甑(こしき)岩町で廣田神社とも近いが、甑岩と言わる古代の磐座がそびえ立って鎮座している光景を目前にして感無量でした。
しかし、近くには住宅街が押し寄せ、磐座を残したままという条件で学校に売却したが学校閉鎖でマンション建築現場に置き換わってしまい、磐座が取り壊されようとなっており、残すよう署名活動されている現状を知りました。

初日の最大の検証先である六甲比命神社は巨大な磐座(いわくら)がご神体の神社です。六甲比命神社はほぼ六甲山の尾根上にあり、ここを起点とした夏至冬至ラインの南西には三国岩、天照神の磐座が鎮座し、東北へは主にセオリツ姫と関連する重要な聖地がずらりと並びます。
ムカツ峰が六甲山の旧名だったのですから、現在は六甲比命・六甲比女と表記されてロッコウヒメと呼ばれているものの、かっては向か津比女と記され、ムカツヒメと呼ばれていたに違いありません。この磐座が六甲山を象徴する最も重要な聖地であることを物語っています。この項、大江氏からの記述を転用。

六甲山に大型バスの通れる道も出来ていますが、山の中の険しい道のりを大変な思いをしてたどり着きましたが、それだけに感無量になりました。

今回の検証旅行は東京から新幹線で新神戸集合、そこから貸切バスで1泊2日の旅行でしたが、二日目の検証先は次回報告させていただきます。
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# by hon-hotsuma | 2015-11-20 10:13 | Comments(0)

ホツマツタヱ解読

日本人が知らない漁業の大問題 
佐野雅昭著 新潮社 2015年3月発行

著者は水産庁勤務を経て、現在鹿児島大学水産学部教授で専門は水産経済学です。
帯表紙に、マグロ?ウナギ?そんなの「危機」じゃない!
「魚食崩壊」の深刻な実態 とあり、帯裏には、日本の漁業、卸売業者がこのまま劣化していけば、未来の消費者は「食」の豊かさも、日本が誇る「食」の文化も失ってしまうでしょう。資源の管理も大切ですが、魚がいなくなるより前に、魚を食べる人がいなくなってしまいそうです。冗談ではなく、現実的な文化の危機だと思います。と書いています。

魚好きの小生にとって、毎日当たり前に食べている魚が、スーパーの魚売り場を見ても、種類が少なく単調になってきており、店によっては、見ただけで鮮度が違い、買う気も起らないことも気になっていました。普段、魚に関しての情報は断片的でしかなく、どういう内容なのかと取り上げてみました。


以下、気になった項目を列記して見ます。
2013年度水産白書によれば、沿岸漁業家の漁労所得は2012年には約204万円まで低下、生活保護レベルを下回るレベルとのことです。
実質的には、副業や年金などで500万程度にはなると推測している。
若者が水産業には行かないので、後継者不足が深刻になっている。漁業の就業者は、24万人(2002年)→17万人(2012年)と減少、更に60歳以上が5割超えている現状である。
漁業への新規就業者数は全国全て合わせて2000人に達しない。このままでは将来日本から漁業が消滅する覚悟が必要である。
日本から漁業者がいなくなって近海のサバやアジ、サンマなどが食べられなくなるとしたら冷凍輸入魚ばかり、魚文化の崩壊につながると著者は憂いています。

本質を見失った水産基本計画
消費者は鮮度を重視、美味しいものを食べたい。この要求を正面から取り上げず、加工化や衛生管理、規制緩和ばかりに目を向けている。水産物は手間のかかる多様で複雑なもの画一にはいかない。
問題になっている背景として、漁業権の理念が薄らいでいる。
無秩序な輸出拡大・大手水産会社が買い占めて輸出、逆に国内では原料不足から輸入品にシフト。儲からなくなれば廃業では、食料安全保障の観点から自給率を引き下げる輸出拡大は考え物。
企業を後押しする委員会は、食料の自給率を維持する考えはなく、EPA(経済連携協定)やTPPを進めて海外から安い食料を輸入すれば良いと主張している。

漁協のシステム(自主的管理機構)にもっと目を見開く必要あり。
それぞれの地域ごとに持続的な資源管理が全国的に実現されてきた。世界中から注目を集めているが、多くの日本人は知らない。

日本の魚は安全、生鮮水産物流通のモラルと流儀
 原則的にその日のうちに漁獲されたそこにあるだけの魚を欲しい人が競い合いながら買う。供給量や価格を人間がコントロール出来ないものが前提。
流通業者の鮮度や品質を正しく評価する能力、すなわち「目利き」の力。専門的にならざるを得ない。
日本人には当たり前のことも、他国からは不思議。
卸売市場流通では日常的にサンプル検査が行われ、衛生的に基準を満たないものは排除、またどの業種・業態においても専門知識と的確なハンドリングのノウハウ、高いモラルとプライドを持った魚の専門家が水産物を扱い、刺身で食べることを当然の前提とした迅速な流通と適切な品温管理を行っている。彼らはまた、豊富な知識と柔軟な技能によってどんな魚でも的確に扱える。
世界中でここまで柔軟で高度な流通システムは他にない。再認識して大切にすべき。

魚食文化に逆行するファストフィッシュ
総務省の調査では、この10年間で生鮮魚介類の消費量は60代以上では減少していないが、50代以下では3割近く減少、20代世帯では4全体平均の半分程度で60代以上の高齢者世帯の4分の1以下。魚離れは外人並。
農林水産省の食料需給表で、2012年国民一人当たりの動物性たんぱく質は、鶏卵5.6g、牛乳・乳製品7.8g、畜肉15.1g、魚介類15,5g。食用水産物の自給率約6割、日本の畜産品(牛乳・卵含む)の自給率は約83%、その飼料の8割以上が輸入で実質的な自給率は16%程度。


養殖は、本来高級魚であったものが低価格を余儀なくされ大衆化され生産者の価格ジレンマが生じ、ブランド戦略も、一尾一尾の目利きが必要な水産物を、現実を無視して利己的なブランドを作ろうとしている。目先の利益が先走りしているように思える。

鮮度の良い天然の魚を適切な価格で食べたいと改めて思いました。

以上


ジョンレノ・ホツマ
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# by hon-hotsuma | 2015-07-24 20:48 | Comments(0)

ホツマ・エッセイ 歌は心を洗う

ホツマ・エッセイ 歌は心を洗う

古代の人は、禊ぎは身体の穢れを落とし、歌は心を洗うと言っていました。
今回、歌の持つ偉力を実感した二つ目のケースとして、取り上げてみました。二人の間が行き詰っても、最後に解決したのが歌だったからです。
ホツマツタヱ26綾からの抜粋になります。

「ヒコホホデミ」と「トヨタマ姫」との話です。今風に言えば、波乱万丈の物語です。
ヒコホホデミは、「天孫ニニキネ」と「このはなさくや姫」との間に三つ子の末っ子として富士山の麓で生まれ、かっては山幸彦とも呼ばれていました。
一方、トヨタマ姫は九州出身で、ハデヅミ(住吉の神の孫)の娘になります。
当時、九州を治めていたヒコホホデミに、瑞穂の国(滋賀県)に居られた父親である天孫ニニキネから、「天つ日嗣」を譲る(天皇の位を引き継ぐ)ので至急戻ってくるよう伝令が入ります。

天孫ニニキネは、「天つ日嗣」を受け継いで別雷神(わけいかつちの神)となられておりましたが、「天つ日嗣」をヒコホホデミに譲ることに決めました。
天孫ニニキネは日嗣を譲ってからは大上君と称せられます。
この伝令が「おしか」(勅使)によって、筑紫(九州)の親王(おきみ)であったヒコホホデミに伝えられます。
九州を治めている32神は、今までお遣いしていたため、別れることを惜しみました。しかし、日嗣が決められた以上32神は「よろとし」(万・歳)と祝いました。
そして、ヒコホホデミは、筑紫(九州)から、淡海(琵琶湖)の瑞穂の宮に向けて御幸することを決めました。

志賀の浦(志賀島・博多湾)から日本海を北津(敦賀)へ舟で戻ることになりますが、その時、お妃であったトヨタマ姫は妊娠しており、臨月間近になっていました。
そこで、ヒコホホデミは一番速い「大ワニ舟」に乗り、先に行って産屋(うぶや)を作っておくことにしました。
「大ワニ舟」に乗ったヒコホホデミは、志賀の浦から北の津(敦賀)に着き、上陸後、「いささわけ」(伊佐々別神社・気比大神)を経由して、滋賀県の「みつほ・瑞穂」の宮にご帰還されました。
「わけいかづち」の天君も、臣たちも共に、ヒコホホデミの無事のご帰還を喜びました。

一方、お妃(トヨタマ姫)は、生まれてくる子供のためにも、揺れが少なく乗り心地の良い「カモ舟」で北の津(敦賀)まで後から追い駈けて行くことにしました。

ヒコホホデミは北の津(敦賀)に到着するやいなや、松原に産屋を作り始めました。しかし、棟(天上部分)がまだ完成する前に妃(トヨタマ姫)を乗せた舟が到着してしまいました。
臨月を迎えていた妃は、完成まで待っていられないので、そのまま産屋に入って皇子を生んでしまいました。

しかし、この妃の乗ったカモ舟は途中の渚で座礁して割れて、皆、海に落とされてしまう事故に遭います。しかし、溺れることなく、姫はお腹の中の子種を守ろうと必死で磯まで泳ぎ着きます。
その後、磯で見つけた釣り船に乗り、美保崎(島根県三保関)でワニ舟を見つけて乗ることが出来ました。そのため予定より早く到着出来ることになりました。

当時は沖合ではなく、渚に近い(海岸線に近い)ところを航行していて座礁して舟が割れてしまったのだと思います。

さて、ここから大問題が生じます。

男は産屋を覗いてはいけないと注意されていました。更に、当時、産後75日間は母体が元通りになるまで性交渉はいけないとされていました。

君(ヒコホホデミ)は、この北津の松原に涼みに来て、産屋の様子が気になったので、覗いて見ると、たまたま隙間が開いており、あられもない妃の姿を間近で見てしまいました。何も着ておらず、腹這いになって寝ていたからです。

見てはいけないものを見てしまい、慌てて開いていた戸を閉めてその場を立ち去りました。しかし、妃はこの物音で眠りが覚め、あられもない姿を見られた恥ずかしさで一杯になり、居ても立ってもいられなくなってしまいました。

恥ずかしさのあまり、もうここには居られないと、生まれたばかりの赤ん坊を抱きかかえ、弟の「たけづみ」と産屋を後にして、遠敷(おにふ・福井県小浜市東小浜)の宮に行き着きました。
 この遠敷の宮で、母(トヨタマ姫)は皇子を抱きしめ、眉・目を見つめながら、皇子に向かって、母は恥をさらしてしまい、もうここにいることは出来ないので、国に帰ります。もう二度と貴方にお目にかかることはないでしょう。 と別れの言葉を言い残し、皇子を置いて行きました。

この皇子は後に「カモヒト・ナギサタケ・ウガヤフキアワセズ」の命という長い名前を賜わり、神武天皇のお父さんになられる方です。

皇子を置き去りにした、トヨタマ姫と弟の「たけづみ」は、朽木川(滋賀県高島市朽木村・安曇川の支流)の添って登り、山を越えようやく三日目に「わけつち山」の北側の「みずはめの社」(貴船神社)に着き、休むことが出来ました。

この事態が「みつほ」宮に伝え知らされたため、皆驚き、「ほたかみ」(穂高見・トヨタマ姫と兄弟)に、トヨタマ姫がその場所(貴船神社)から、一歩も動かないよう説得に向かわせました。
穂高見は朽木谷(滋賀県高島市朽木村・安曇川の支流)を西から南へと、山を越えて、トヨタマ姫のいる「みつは」の宮(みつはめ・貴船神社)に行き着きました。
トヨタマ姫に「瑞穂宮」に帰るよう説得しますが、ガンとして聞き入れませんでした。やむなくトヨタマ姫と一緒にいる弟の「たけづみ」に、この場所を動かないようにと言い含めて、一旦、馳せ帰りました。

心を閉ざしたトヨタマ姫の頑なな気持ちを説得するために、というよりも、日嗣の儀(大嘗祭)をとりおこなう大事な時を前に、お妃がいなければ事が進まないからです。正に緊急事態であったからです。
事態を重く見た「瑞穂宮」は、遂に九州に居るトヨタマ姫の父親の「はでつみ」とトヨタマ姫の妹の「おと玉姫」を、一番速度の速いワニ舟で上京させました。
父親と妹は、瀬戸内海を舟で西の宮に着き、そこから「やましろ」(山背国・京都・貴船神社)に到着し、娘のトヨタマ姫に会います。
父親の「はでつみ」は、君のいる「瑞穂宮」に行くよう説得しますが、トヨタマ姫は国へ帰るので上京はいたしませんと頑なに拒否しました。

トヨタマ姫は、父親に私の代わりに妹の「おと玉姫」を君に捧げてくださいと頼みました。やむなく、父親の「はでつみ」と妹の「おと玉姫」は、共に都へ上京して、このことを申し伝えました。
君(ヒコホホデミ)は、この申し出を受け入れて、妹の「おと玉姫」を妃に召上げました。

大上君は、天の日嗣を若宮(ヒコホホデミ)に捧げるため、「シノ宮」(ヒコホホデミが住まわれていた)に、お出ましになり、瑞穂宮(滋賀県)では、新治宮(茨城県)の前例に倣って「ゆき」・「すき」の宮を作り、大嘗祭をとり行いました。

君(ヒコホホデミ)は、トヨタマ姫に戻るよう説得してきましたが、「みつはめの宮」(貴船神社)を出ることはありませんでした。
 
明くる年になり、大上君は、わけつち山から、葵と桂の枝葉を袖に掛けてトヨタマ姫のいる貴船神社に行き着きました。

大上君は、持ってきた葉を示して、どちらも左右対称の双葉で片方が欠けている葉はありません。葵も桂も左右対称の双葉だからこそ、葵の葉であり桂の葉と言えるのです。

貴女は世を捨てて人の道を欠いているのではありませんか。と問われ、トヨタマ姫は、自分の取っていた行動に気が付き、恐れながら、人の道を欠いているとは思いませんでした。と答えます。
舟が割れて海に落ち、着ているものを脱ぎ捨て、渚を必死で泳ぎましたが、肌をさらしたあざけりを受けました。産屋では身に何もまとわないで腹這いになっている所を見られてしまい恥を更に重ねてしまいました。どうして、今更、宮に上ることが出来るでしょうか。とトヨタマ姫は答えました。

大上君は、貴女の言うことは恥でも何でもありませんよ。
勝手神が以前申されていたように、覗く恥は貴女にではなく、覗いた君が悪いのです。
しかしながら、左右一対の葵桂の葉のように伊勢の道(男女の道)を得れば、「ひとい」(人の意・相手の気持ち)を悟ることになります。

葵の葉は女性を表し、桂の葉は男性を表していることが分かります。

この大上君の御幸に美穂津姫が付き添ってきておりました。
美穂津姫とはクシヒコ(コトシロヌシ・二代目大物主・通称恵比寿様)の妻です。

大上君が美穂津姫に意見を求めたところ、うなずかれ大上君に御心を痛めることはありません。君ヒコホホデミと姫(トヨタマ姫)とは、日(太陽)と月の関係のように共に睦まじくなさりますよ。なくてはならない関係です。と申されました。

これを聞いて、大上君は喜び、「たけづみ」に豊玉姫を養生させよと河合の国(京都市左京区、高野川と加茂川の合流付近)を賜わりました。

その後、大上君は、貴船神社の山奥の谷を出て、「むろつ」(兵庫県たつの市御津町室津)に着き、ここで遺言をされ、亀舟の到着を待ちました。
「むろつ」で、大上君の御幸の門出を見送り、亀舟に乗った大上君は瀬戸内海を経由して鹿児島に向い、「そお」(曽於)国の高千穂の峰に敬意を捧げました。

大上君は高千穂の峰(霧島山)から「あさま」(朝間・浅間神社・富士山)の方から昇る太陽(日の霊・日の出)に向かってご来光を祈ります。
そこで、この地を「ひむかう国」(日向国)と名付けました。

「ほつま国」に居られる姫(このはなさくや姫)は、「あさま」(朝間・浅間神社・富士山)から、月が沈む西の方角に向かって、月の霊にお辞儀をして敬意を捧げました。
月が西に沈むように、妃(このはなさくや姫)の御霊は、高千穂の峰(霧島山)に沈み、神となられました。
このはなさくや姫は、生前、「あさまの神・浅間神社」や「子安神」と称せられました。

時同じく「いづの神」は、別雷神(わけいかづち)の「すべら神」とも称せられ高千穂の峰の神となりました。
西と東で遠く離れていてもお互いの方を向いて同時に神上がり(お亡くなり)しました。御霊は同じところに居られると言っているようです。

このお二人の神上がりを知ったトヨタマ姫は「わけつち山」(別雷神山)で、48日の喪に服し、その後の一周忌では御饗(みあえ)をして祀りました。

天君(ヒコホホデミ)が、このトヨタマ姫の行いを知り、天児屋根に「よりを戻す」良い方法は何かないものかを尋ね、父上と母上の時の前例があることを知り、更に美穂津姫に詳しく聞いたところ、歌を詠むことを勧められました。

そこで、早速、君(ヒコホホデミ)は、歌にしたため、その歌札を美穂津姫が自分の孫の「いそより姫」に遣わせました。

トヨタマ姫は「いそより姫」を迎い入れ、君からの歌を詠みました。

沖つ鳥 鴨着く島に
我が寝ねし 妹は忘らじ
世(夜)の事々も

沖つ鳥が餌を探し求めてさ迷い歩いているかのように、鴨舟が島に着いたとき(天下・神々から下々まで範疇にして)以来、私はずうっと貴女を探し求めているのです。
私は愛を語らい寄り添って一緒に寝たときの貴方のことは今でも忘れられません。その夜のことも一日たりとも忘れたことはありません。

「いそより姫」は、更に美穂津姫から預かった歌も詠みました。

忌みといい 汚れを絶つる
日の本の 神の心を
知るひとぞ神


出産後の忌み(穢れを避けて謹慎すること)として、穢れを断つために、身を隠してこられました。75日も過ぎ、謹慎期間は既に終わっており、晴れて日の当たる表に出られては如何ですか。
太陽の元の神は君のことであり、君の心を知る人こそ神ですよ。

この歌を受け取ったトヨタマ姫は、返し歌をしたためて、葵の葉に包み、君の歌を桂の葉に包んで、水引草で結び、文箱におさめました。

「ミヒキ草」(水引草・ミズヒキ)とは、紅白に見える花序(かじょ・赤白の花の配列)が水引に似ていて、後に寿に水引が使われるようになった原型がここにあったことを知りました。

この文箱を「いそより姫」は持ち帰り、君に捧げました

君は自ら受け取った文箱の結びをほどき、トヨタマ姫からの歌を詠みました。

沖つ鳥 鴨(天下・神々から下々まで)を治むる
君ならで 世(夜)の事々を
えやは防せがん


さ迷い歩いている沖つ鳥のように貴方が、鴨舟が島に着いた(天下・神々から下々まで範疇にされた)とき以来、貴方以外には今までさ迷ってきた私の「えや」「えやみ・疫病・心の病)を取り除いてくれる人はおりません。


このトヨタマ姫からの歌を三度詠まれた君は涙が止まらず、膝の上に置いていた葵葉に涙が落ち、裳が染まりました。この歌によって二人の気持ちが通じて、お迎いの御輿にトヨタマ姫を乗せて、宮入りし、天下晴れての中宮となられ、万人が喜びました。

今でも、歌は心を癒してくれますが、親子二代にわたって二人が結ばれた、心に響く歌と、この波乱万丈の話に感動し、ホツマ・エッセイとしてまとめてみました。

この宮入りを祝して、こ葵の御衣を錦綾織に残し、菊散(ここちり)と、山葉止色(やまはといろ・山葉留彩)の綾錦を合わせて三つを神の装いとして代々伝えられることになりました。

PS: 「天孫ニニキネ」、「わけいかづち」の天君、「いづの神」、別雷神(わけいかづち)の「すべら神」、大上君は全て同一人物です。
ジョンレノ・ホツマ
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# by hon-hotsuma | 2015-06-16 18:05 | Comments(0)

春雷

<2015/5/22
 
 昨日(2015/5/21)の明け方近く、突然の稲妻と雷の轟が眠りを中断しましたが、そのうち静かになりまた寝入ってしまいました。
 これは正に春雷で、なぜか「わけいかづち」(別雷神)が、思い浮かび、当時のお百姓さんたちが待ち望んでいた雷であったように思えました。
 この雷に、水田が水を湛えてくれ、今年も稲が無事育ってくれとの願いが込められていることが思い浮かびました。

 天孫ニニキネがなぜ「わけいかつち」の神と慕われ続けたか、以前のブログ2014/12/13ホツマエッセイ「雷を呼ぶ男にも投稿しましたが、「わけいかつち」とは、「雷よ!湧き起こってくれ!」という意味合いであったと思います。


ジョンレノ・ホツマ
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# by hon-hotsuma | 2015-05-22 08:52 | Comments(0)

海幸彦・山幸彦の物語 その1 生い立ち

ホツマ・エッセイ 

この物語は、児童書や絵本の古典としても有名ですが、詳しくは覚えていなかったので図書館にある児童書を借りてストーリーに目を通して見ました。
今、解読中のホツマツタヱ25綾に、この海幸彦・山幸彦が出てきたからです。

この綾の解読が難解なのに面白いのは、表向きに作られた話と、表沙汰に出来ない当時の機密事項が重ね合わせていると思われるようです。
また、立場上、触れたくない内容、不具合な状況など、簡単に事実のみ一言二言書いているだけで、省略されていたり、時間の経過が前後していたり、話が突然とんでいたりするから良く分からない所があるからです。

何が隠されていて、この話にひきつけられるのか、この二人の背景や行動を整理して見れば、問題点が浮かび上がってくるのではないかと思いました。

物語にでてくる主人公である、海幸彦・山幸彦は三つ子の次男と三男です。天照神の曾孫に当たります。
父親は天孫ニニキネ(天照神のお孫さん)になります。母親は「このはなさくや姫」と言います。

生い立ちの始めですが、父親になる天孫ニニキネが、八洲巡り(日本全国の現状を把握)のため、馬に乗った80人ものお伴を従え、開拓しながら御幸していました。
途中、一行を迎えた酒折宮で、ニニキネに御膳を捧げたアシツ姫(大山祇園の下の娘・後の「このはなさくや姫」)と、旅先で一夜の契りを結ぶことになります。
アシツ姫は妊娠し、途中いろいろなことがありましたが最後にハッピーエンドに収まります。この詳細は、以前の「このはなさくや姫」の物語にありますのでここでは省略します。

さて、主人公の一人、海幸彦は三つ子の次男でホノススミ・サクラギと言い、スセリという名前もついています。
吹き出物が出来、酢芹草(スセリ)で掃き清めたら枯れ癒えたのでスセリとも言うようにもなりました。
住まいは、当初、新治宮(茨城県)に住んでいましたが、後に滋賀県の高島市、鵜川(琵琶湖の西側)に移ります。

三男の山幸彦はヒコホホデミ・ウツキネと言い、日光二荒山のふもとの宇都宮に住んでいました。
ウツキネの「ウ」は、卯の花の「う」から来ており、住んでいたところをウツキネのウツを取って「ウツ」の宮とも呼ばれ、今の宇都宮の語源にもなっています。

鵜川(琵琶湖の西側)に住みたいと申し入れたが許されず、滋賀県大津市の「シノ宮」(磯の宮・琵琶湖の南側)という所に移ります。

なお、三つ子の長男はホノアカリ・ムメヒト(梅仁)というハラ君でハラミ山(蓬莱宮・現富士山)の麓に構えていました。

さて、話がかわり、筑紫(九州)で反乱が起きているので皇子に来るよう要望があり、時の天皇であったニニキネはシノ宮(三男坊のウツキネ)に筑紫の親王になるよう命じます。九州を統率する最高責任者です。

この後、話が飛んでおり、このシノ宮(三男)が兄(長男)のハラの宮(ムメヒト)にあいさつに行き、暇を乞い願いに行っています。
頭の中で辻褄が合わず如何したものか考えあぐんでいましたが、やっと納得できるようになりました。
それは、任命されて、筑紫(九州)へ馳せ参じて向かったものの、手に負えず、すごすごと引き下がってきたから、そこの記述が一切触れられていないことを知ったからです。

父親に報告する前に、兄のハラ宮(ムメヒト)へ助けを求めに行ったものと分かりました。そこから、兄のムメヒトと一緒に瑞穂の国に居られる天君(ニニキネ)に謁見に行っています。

報告を聞いて、筑紫(九州)での反乱について、食糧不足が原因であるから、解決までには長期間かかると見ています。天皇(ニニキネ)自らが行って解決しなければと判断されます。
紀元前2500年ごろ九州で大戦乱の跡が残っているのはこの時のことかも知れません。背景には、人口増加によるものと考えられ、大陸から大挙して渡来してきた人たちとの間で食料の取り合いでもめていたものと考えられます。そのため、根本解決のため水田開拓に精を出されます。弥生時代の始まりにも結び付きます。

天皇自らが九州へ行くと同時に、二人の息子(この、海幸彦・山幸彦)に北の津(今の敦賀・今回選抜高校野球で優勝した敦賀気比高校の地元)に行くよう命じています。
ここでも、渡来系の人との間でもめ事が起きていたからだと思われます。

この北の津(今の敦賀)で、二人はある日のこと、持ち物を交換しようという話の展開になります。

次回に続く。
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# by hon-hotsuma | 2015-04-17 08:35 | Comments(0)

書感 日本発掘!ここまでわかった日本の歴史 

e0191707_8333014.jpg日本発掘!ここまでわかった日本の歴史 文化庁編 朝日新聞出版 2015年2月発行

本書は文化庁主催「発掘された日本列島」展20周年を記念し、江戸東京博物館で開催された「えどはくカルチャー」連続講演会「日本発掘! - ここまでわかった日本の歴史」をもとに1冊にまとめたものとあります。7人の著者が、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、古代、中世と時代ごとに分けてまとめています。

 比較的平易に書かれており、最近になって発見された遺跡や遺物の情報のいくつかは、ホツマツタヱの記述内容を裏付けるものであったり、今後の関連性が見つかる可能性のある記述があったりして、私なりに期待できる一冊です。
考古学は石器の形、組み合わせ、どの地層に埋まっているかで遺跡や遺物を評価しているが、さらに遺伝学では古い骨からDNAを取り出し、データベース化されいずれウェブ上でも公開されるようになれば新たな発見に期待できそうです。

本書の中から私が幾つか興味のあった事例を列記して見ます。

1、ストーンサークルについて
今まで大湯環状列石(秋田県鹿角市十和田)しか、頭に入っていなかったが、他でも、大規模な環状列石が見つかっており、一つ気になったのは岩木山の麓の大森勝山遺跡(青森県弘前市)です。冬至の太陽の沈む位置が岩木山山頂になるように作られているということです。
この位置関係は、後に各地に神社が作られたとき、何か共通する可能性を機会があれば検討して見たいきっかけになりました。

2、縄文土器について
力強さを感じ、いつも不思議な気になります。

3、青銅器の鋳造について
特に気になったのが、吉野ヶ里遺跡跡で銅鐸が出土した事例です。近畿や九州だけでなく、日本の各地で青銅器を鋳造していることが新しく発見され、九州説、畿内説とかいう邪馬台国論争は幕を閉じたと考えるとあり、戦前からの著名な学説が否定されてきていることは喜ばしいことです。

4、土器について
卑弥呼の墓かと言われている奈良県桜井市の纏向遺跡から、東海、山陰、北陸、九州など各地の土器も出土していることから当時の時代認識も新たになってきています。
ホツマツタヱの記述では、纏向遺跡は景行天皇の居られたところで、全国の豪族の娘さん8人をお妃にしており、子供の総勢81人と末裔は広がったとあります。

同じくここも卑弥呼の墓かと言われている箸塚古墳ですが、ここからでてくる土器から瀬戸内海の吉備地方、岡山の倉敷、更には出雲との関係が分かってきて、広範な地域の動きがあったことが分かってきたとあります。箸塚古墳は大物主の妻となった「ももそ姫」が祀られたとホツマツタヱの34綾にあります。大物主は「そさのお」の何代目かの子孫なので、出雲と関係があったことも頷けます。

この二つの事例からも、著者の方々が、ホツマに目を向けてくれれば、あるいは内容を知っていてくれたらと思うことしきりです。

本書の前書きにも、あるように考古学は謎解きの学問とも言われており、まさに発掘内容から謎が解かれつつある現状について述べられています。
少しづつではあっても、発掘の解析が進展してきてホツマツタヱの解読内容との距離が近づいてきているような気がしてきました。


以上
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# by hon-hotsuma | 2015-04-17 08:33 | Comments(0)

万歳ーよろとし

万歳ーよろとし

今朝のNHKの朝ドラ「マッサン」の中で、「一馬」を出征に送り出すとき、全員が「万歳!」(バンザイ!)、「万歳!」(バンザイ!)と声をかけての万歳三唱していました。
この場面を見ていて、ハッ!と思ったのが、ホツマツタヱの記述の中では「ヨロトシ!」と声をかけていたということを思い出しました。

この場合も、漢字が伝来したとき、「ヨロトシ」の「よろ」に「万」という漢字、「とし」に「歳」という漢字があてがわれていたが、時代と共に、漢字が独り歩きして、訓読みから音読みに変わってしまい、いつしか「バンザイ」と読むようになって今に至っていることを実感した次第です。

以上、

ジョンレノ・ホツマ 2015/3/6
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# by hon-hotsuma | 2015-03-06 08:46 | Comments(0)

古代の朱 書感

古代の朱 松田壽男著 筑摩書房  2005年1月発行

著者は1903~82 東洋史家、独自の歴史地理学方法を駆逐した内陸アジア史、東西交渉史研究の第一人者であり、本書は1987年「松田壽男著作集」第6巻「人間と風土」からの抜粋とあります。

本書を数年前に読んだことがあり、その中で奈良の大仏を建立するとき、金と同時に水銀を必要としていたことを思い出ました。
金の原鉱石といっても混じり物が大半、その精錬に水銀が使われ、金アマルガム法で本体の銅にメッキされていたということです。
工程は水銀5に対し錬金(こながね)1の割合でアマルガムを作りこれを仏体の表面に塗る。その後で、炭火で水銀を蒸発させてしまうと、純金が銅の肌に食い込むように付着する。とあります。
大仏建立に、黄金があっても、もし水銀がなければ、金メッキが施された仏身はできなかったことになります。

みちのくの水銀文化についても触れられており、平泉地方は古代の水銀産地でもあった。古い陸奥の産金とも関連を持つ。金の原鉱石を破砕し、粉末にして水銀を加えれば、水銀は金だけを吸い取ってアマルガムという方法で黄金の精錬をしていた。

「みちのくの黄金文化」は水銀文化とも言えることを認識し、水銀が金と切っても切れない関係であったことを新たにしました。

砂金と朱砂とはそれぞれきれいな金色と赤色で、色合いの対比は見事なものになっている。
朱砂は辰砂(しんしゃ)とか丹砂(たんしゃ)とか書かれ、水銀と硫黄との化合物(HgS)であって、じつに美しい赤色をかもしだしている。元々は、朱は純粋な赤色。アカ色の総称のことである。
殷の甲骨文字で「朱」の字体は「牛」の真ん中に一本の横棒を加えた形、すなわち牛を胴切りにした形で、切った時に吹き出す血の色でアカという色を示している。

血田(ちだ)、血原などという「ち」と言う字のついた地名は水銀産地で、母岩がまっ赤に野を染めて朱砂が露頭していたところでもあった。以前はこの地名を人間が殺し合って血が流れた所と捉えていたのは間違いであったことに気が付きました。
その他にも、日本のあちこちに水銀の鉱山があったことを知り、ニウ・ニフ 丹生 壬生 仁宇などは、古代の朱(水銀鉱山)の産地であることも再確認いたしました。




古代のアカについて

原始日本人が使ったアカ色は二種類。
一は水銀系のアカ、硫化水銀(HgS) 純粋のアカ色
一は鉄系のアカ、酸化第二鉄(Fe2O3) 俗にベンガラといいやや黒ずんで紫色に近い

後(天平時代以降)に鉛系のアカ、四酸化鉛(Pb3O4) 一般に鉛丹(黄丹)
赤と黄色の中間色 俗にミカン色
この鉛丹が朱の代用品になってしまい、朱に対する日本人の感覚が変わってしまった。
朱と言えば黄色味の強い赤色、つまり鉛丹色とする観念はそこから出ている。

私自身、朱(朱色)と言えば黄色がかった赤だと思っていました。

さらに、水銀の原鉱石である朱砂の利用法として、鏡を明るくすること、すなわち、青銅鏡を朱砂で磨いて鏡面を光らせることに使われていたことも知りました。この用途からも非常に重要な金属であったことが窺えます。

本書は私のホツマツタヱの解読に目から鱗が落ちた一冊でした。
古代の朱 ホツマ解読 うろこ落ち

奈良の大仏に使った水銀も、江戸時代、伊勢白粉(おしろい)も伊勢の水銀を原料としていることから、昔から伊勢が水銀の産地であったことが理解できます。
本書により、水銀も金と同様重要な宝物(山の宝・やまた)であったことがわかり、謎とされていた邪馬台国の候補として伊勢が最後に浮かび上がってきました。

以上
ジョンレノ・ホツマ
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# by hon-hotsuma | 2015-02-19 08:31 | Comments(0)

ホツマツタヱ解読

物の見方 逆さまの地図

先月、「のほほんの会」で、韓国に関連した二冊、「悲しい歴史の国の韓国人」と「韓国人による沈韓論」が紹介されました。
その時、思い起こしたのは天地が逆になった地図です。この地図は、2006年に読んだとき、気になっていた「日本海文明交流圏」という本からのものです。

この地図では、韓国と言うより昔の高句麗付近・韓国半島の東側(日本海側)から見ると、上に向かって太平洋を妨げている日本列島が覆いかぶさっているような錯覚を得ます。
この南北逆転の地図が頭の隅に入っていて、思うように行かないジレンマを持つようになったとき、彼らの頭のどこかで日本列島は邪魔だ、目の上のたんこぶのように思えてきても不思議ではないと思った次第です。

物の見方には、自分には想像もできない裏表があることを改めて認識しました。

以上 
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# by hon-hotsuma | 2015-02-11 21:37 | Comments(0)

ホツマ・エッセイ 箱根の語源 その2 箱の意味

来春、箱根駅伝が始まります。
でも、箱根という語源がはっきりしていないようなので、ホツマツタヱの中から紹介させていただきます。


ホツマ・エッセイ 箱根の語源 その2 箱の意味


前回、箱根の語源となった箱根神について述べさせていただきましたが、もう一つの重大な背景を忘れていることに気が付きました。

箱根神となられた「オシホミミ・オシホミ命」(天忍穂耳尊)は生まれながらにして、身体が弱く・・・と、あり、外へはあまり出ず、常に部屋の中に居られたから、その思いから自分は箱の中の根っことなって、二人の子供・皇子を下から支えているから、大きく育って羽ばたいてくれという願望だと考えていました。

しかし、生まれた背景、日嗣皇子になられた経緯を見直すと、底知れぬ陰湿な陰謀・恨みから、命を狙われている危険があったことに気が付いたからです。

ホツマツタヱ6綾から、天照神の子供は五男三女で、生まれた順番は
1.長男「ホヒノ命・タナヒト」(マス姫・モチコの子)
2.長女「タケコ・オキツシマ姫」(コマス姫・ハヤコの三つ子)
2.次女「タキコ・エツノシマ姫」(コマス姫・ハヤコの三つ子)
2.三女「タナコ・イチキシマ姫」(コマス姫・ハヤコの三つ子)
3.次男「オシホミ命・オシヒト」(サクナタリ・セオリツホノコの子)
4.三男「タダギネ・アマツヒコネ」(ハヤアキツアキコの子)
5.四男「バラギネ・イキツヒコネ」(オオミヤミチコの子)
6.五男「ヌカタダ・クマノクズヒ」(トヨ姫の子)

となり、本来は「マスヒメ・モチコ」が生んだ「アメノホヒ・タナヒト」が日嗣皇子であったわけです。

しかし、その後中宮に入られた「サクナダリ・セオリツ姫・ホノコ」(通称ムカツ姫)が、「オシホミ命・オシヒト」という男の子を生みます。天照神の2番目の皇子になります。この2番目に生まれた「オシホミ命」が今で言う皇位継承の皇子になったわけです。

「タナヒト」が皇位継承者として、皇子を生んだ母親も、母親の出身地の豪族たちも喜んでいたわけですが、突然、皇位継承を棚上げされてしまったわけです。この仕打ちに恨みを持つようになり、後に「おろち」と化(か)する発端がここにあったと思われます。

ホツマツタヱ12綾に「オシホミミ」のご成婚の記述があり、天児(あまがつ)といって、災難が降りかからないように身代わりになってくれる人形のことがでてきます。
以前、此処だけを単独で読んだ時には気が付かなかったのですが、妬みを持った何者かに命を狙われていた形跡があったからです。出かけるときは身代わりの人形を用意し、廻りをガードされていたことが窺えます。
この、命を狙っていた背景については記されていませんが、前後関係から自ずとわかり、「オシホミ命」本人から見れば自由度がなく常に箱の中に閉じ込められていた心境であったと思われます。

よって、この「オシホミ命」は常に箱の中で生活されてきたし、死後も箱の中に留まってという意味合いであったように理解いたしました。

本来であれば、自分が亡くなる前に、次の日嗣皇子を決めなければならなかったのに、どちらとも決めず、二人に仲良くやれと託したのは、自分のように狙われないように、危険分散して、自由に生きて欲しいという願いが強かったからだと思いました。


ジョンレノ・ホツマ

ホツマ・エッセイ 箱根の語源

ホツマツタヱ24綾に、箱根の語源がありましたので紹介します。合わせて「はらから」(同胞)の語源も同じところにありました。

箱根の由来は、「箱根神社」に祀られている御祭神の「箱根神」からきています。では、この「箱根神」とは誰のことでしょうか。
「天照神」と「さくなだり・せおりつひめ・ほのこ」(通称、むかつ姫)との間に生まれた子供の「おしほみみ」(天忍穂耳尊)のことであることが分かります。なぜ「箱根」という名前が付けられたという話になります。「おしほみみ」が死ぬ直前に自らを「箱の根」と名付けられたことが記されています。

「おしほみみ」は、生まれながらにして体が丈夫でなかったため、寒い時期には禊ぎも真似をするだけで済ませていたという記述があります。
父の「天照神」と比べても、息子の「はら」親王・(天孫ニニキネ)と比べても、今まで私が読んだ範囲には、活躍した記載は見当たりません。あまり表に出ることがなかったのは病弱であったことが容易に推測されるからです。

以下、24綾の内容を抜粋して現代風に書き換えてみました。

 晩年、帝(おしほみみ)は二人の皇子を日高見宮(今の仙台地方)へ召されるよう伝えられて宮入りしました。そこで、父である帝(おしほみみ)は、二人の皇子に詔りをしました。

「私は年を取り老いてしまいました。今後、兄皇子を大和飛鳥親王と命名します。弟皇子を「はら」親王と命名します。二人は、お互いに仲たがいすることなく共に睦まじく民を守りなさい。」
「大和飛鳥親王よ、弟「はら」親王よ、しっかりと聞きなさい。国民を決して我が物(私物化)してはいけません。君は国民の園であり、民のための君です。
「た」(父)は、箱の中の根っこです。自分(父・おしほみみ)は陽の目を見なかったので、子供二人には二枝の恵みを受けて、陽の目を受けて万人を愛でてください。私は邪欲もないし、二心もありません。
神の鏡である天照神の日嗣の君として、私(おしほみみ)は箱の根となり、二人が二本の枝となって、地上で民を守っていけるよう見守ります」

その後、寿命が尽きると悟った「おしほみみ」は、伊豆雄走山に洞穴を自ら掘り、箱根神となられました。

「はら」親王・(天孫ニニキネ)は、箱根神を「いづさきみや」(伊津崎宮)に3年間祀りましたとあります。

時代と共に風化されてしまい、現在箱根神社の御祭神は、ご本人の「おしほみみ」(天忍穂耳尊)ではなく、息子(弟の方)の天孫ニニキネ(瓊々杵尊・ニニギノミコト)とそのお妃の「このはなさくや姫」(あしつ姫)・(木花咲耶姫命)と、二人の間に生まれた三つ子の末っ子の「ひこほほでみ」(うつきね)・(彦火火出見尊)になっています。

正に、箱の根から表に出て枝となり開花したこと、つまり親が出来なかったことを自分の息子夫婦と孫が成し遂げてくれたことを「おしほみみ」(天忍穂耳尊)も納得され喜んでいることと思いました。
ジョンレノ・ホツマ
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# by hon-hotsuma | 2014-12-25 20:02 | Comments(0)

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