ほつまつたえ


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ホツマ・エッセイ 同胞(はらから)の語源

ホツマ・エッセイ 同胞(はらから)の語源

同胞(はらから)とは、兄弟とか、文字通り同じ母親から生まれた兄弟という意味ですが、ホツマツタヱの24綾の中から、この「はら」には元々の語源になる経緯の意味合いが含まれていたことが分かりました。

箱根神の遺言により、二人の兄弟が睦まじくしていくために、もし、二民(兄「飛鳥親王」の民と、弟「はら親王」の民)の間で、争い事が起きた場合は、臣を遣わして和睦するよう裁きましたが、何事も兄の大和の臣民を立てることでした。

そのために弟「はら」親王の治めている新治の民側に損失が出るようなときは、弟「はら」親王の方から埋め合わすようにしました。

その結果、この二人の皇子(親王)の代のときは、争い事があっても、常に弟「はら」親王の方から歩み寄って兄の方の言い分を呑んでいたため、表面化せず、いつも睦まじく見えたので、この二人の「え」(兄)「と」(弟)のことを「はらから」というようになりました。

ここで「はらから」は現在では、同胞という漢字が当てはめられており、文字通り、「同じ母親のお腹から」という意味合いになっています。
しかしながら、本来は、弟の「はら親王」が譲って事が治まっていたことが元の語に含まれていたことが分かります。
「はらから」の「はら」は、「はら親王」を意味していたからです。

以上
ジョンレノ・ホツマ
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# by hon-hotsuma | 2014-12-20 08:22

ホツマ・エッセイ 箱根の語源

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ホツマ・エッセイ 箱根の語源

ホツマツタヱ24綾に、箱根の語源がありましたので紹介します。合わせて「はらから」(同胞)の語源も同じところにありました。

箱根の由来は、「箱根神社」に祀られている御祭神の「箱根神」からきています。では、この「箱根神」とは誰のことでしょうか。
「天照神」と「さくなだり・せおりつひめ・ほのこ」(通称、むかつ姫)との間に生まれた子供の「おしほみみ」(天忍穂耳尊)のことであることが分かります。なぜ「箱根」という名前が付けられたという話になります。「おしほみみ」が死ぬ直前に自らを「箱の根」と名付けられたことが記されています。

「おしほみみ」は、生まれながらにして体が丈夫でなかったため、寒い時期には禊ぎも真似をするだけで済ませていたという記述があります。
父の「天照神」と比べても、息子の「はら」親王・(天孫ニニキネ)と比べても、今まで私が読んだ範囲には、活躍した記載は見当たりません。あまり表に出ることがなかったのは病弱であったことが容易に推測されるからです。

以下、24綾の内容を抜粋して現代風に書き換えてみました。

 晩年、帝(おしほみみ)は二人の皇子を日高見宮(今の仙台地方)へ召されるよう伝えられて宮入りしました。そこで、父である帝(おしほみみ)は、二人の皇子に詔りをしました。

「私は年を取り老いてしまいました。今後、兄皇子を大和飛鳥親王と命名します。弟皇子を「はら」親王と命名します。二人は、お互いに仲たがいすることなく共に睦まじく民を守りなさい。」
「大和飛鳥親王よ、弟「はら」親王よ、しっかりと聞きなさい。国民を決して我が物(私物化)してはいけません。君は国民の園であり、民のための君です。
「た」(父)は、箱の中の根っこです。自分(父・おしほみみ)は陽の目を見なかったので、子供二人には二枝の恵みを受けて、陽の目を受けて万人を愛でてください。私は邪欲もないし、二心もありません。
神の鏡である天照神の日嗣の君として、私(おしほみみ)は箱の根となり、二人が二本の枝となって、地上で民を守っていけるよう見守ります」

その後、寿命が尽きると悟った「おしほみみ」は、伊豆雄走山に洞穴を自ら掘り、箱根神となられました。

「はら」親王・(天孫ニニキネ)は、箱根神を「いづさきみや」(伊津崎宮)に3年間祀りましたとあります。

時代と共に風化されてしまい、現在箱根神社の御祭神は、ご本人の「おしほみみ」(天忍穂耳尊)ではなく、息子(弟の方)の天孫ニニキネ(瓊々杵尊・ニニギノミコト)とそのお妃の「このはなさくや姫」(あしつ姫)・(木花咲耶姫命)と、二人の間に生まれた三つ子の末っ子の「ひこほほでみ」(うつきね)・(彦火火出見尊)になっています。

正に、箱の根から表に出て枝となり開花したこと、つまり親が出来なかったことを自分の息子夫婦と孫が成し遂げてくれたことを「おしほみみ」(天忍穂耳尊)も納得され喜んでいることと思いました。
ジョンレノ・ホツマ
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# by hon-hotsuma | 2014-12-18 12:44

ホツマ・エッセイ 「雷を呼ぶ男」とは

ホツマ・エッセイ 「雷を呼ぶ男」とは


ホツマツタヱの記述の中に、天孫ニニキネは天照神から「わけいかづち」の名前を賜いますが、「いかづち」(雷)を、「かぐつち」という火の神と「みずはめ」という水の神を生んだという解釈が定説のようです。

最初に解釈された方が「わけ」という言葉に「別」という漢字を当てはめたために、漢字の持つ明確な意味に限定されてしまったような気がします。賀茂別雷(かもわけいかづち)神社のように「別」と書いて「わけ」と呼ばれています。

昭和の時代になりますが、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」という映画がありました。天孫ニニキネのことを「わけいかづち」と崇められていた称え名を、今風に言えば「雷を呼ぶ男」と呼んでも相応しいのではないかと思うに至りました。

何故、雷(イカヅチ)の名前が天孫ニニキネにつけられたのか?
何故、人々は雷を必要としていたのか?
何故、雷のイナズマを稲妻という漢字で表現しているのか?
何故、神が鳴ると書かれるのか?
何故、雷という漢字は上が雨で下が田なのか?
という疑問がホツマツタヱを読んでいるうちに自然に解けてきました。

当時の人は当たり前に知っていたことが文明の発達とともに、雷の効用である自然の恵みに気が付かなくなって、現代人の多くの人は忘れ去っていることに気が付いたからです。

昔から、雷の多い年は、豊作だと言われてきましたが、最近では、自然農法はごく僅かで大半は化学肥料や有機肥料によって田畑は管理されているため、雷の及ぼす恩恵については忘れられた存在のように思います。
当時は農薬とか化学肥料を施さなかった自然農法であったからこそ、雷の効用を経験的に知っていたと思うからです。

雷についてインターネットで検索して見ると、雷のイナズマによって、空気中の8割を占めている窒素がイオン化され、それが地上にふりそそぎ、自然の窒素肥料が田畑に降り注ぐため、稲の発育になくてはならないものであったことが分かっています。
一回の落雷で5トンもの窒素肥料に相当するという試案もあるようです。カミナリ様様です。

ホツマツタヱの24綾の後半に

なるかみを わけてしつむる
かぐつちと みつはめをうむ

あをいばと かつらにいせの
みことのり あめはふりてり
まつたきは いかつちわけて
かみをうむ これとこたちの
さらのゐづ わけいかつちの
あまきみと をしてたまわる


とあります。


私の解釈は、「はら親王(天孫ニニキネ)」に、鳴る神(雷)を発生させて(沸けて・沸き上げて)、田畑が乾ききっているのを鎮めて下さい。そして、「かぐつち」(香しく肥やされた土の神)と「みつはめ」(満面と蓄える水の神)を生んでくださいと乞いているように捉えました。

雷(稲妻)によって生まれた「かぐつち」とは、田んぼの土を香しく肥し、稲に刺激を与え生き返らせて瑞穂を香しくすることを言っています。
痩せた土から窒素肥料を一杯含んだ肥えた土に湧き上がらせたことが分かります。

「みずはめ」とは、日照りによって稲穂が枯れかかったときに雷雨によって、満面と蓄えた水を田んぼに填め込むようなイメージが浮かびます。

天からの陽ざしが照りすぎるとき、日照りで困っているときには、滝のような雨を待っていたからです。雷雲とともに雷(稲妻と雷雨)が沸き上がる神が生まれるようにと願います。雨降って、地固まるのとおり、イナヅマ(稲の妻)で土が肥え、雷雨で水が満面と蓄えられること願っていたことが分かります。

「わけいかづち」の「わけ」を漢字で表せば、「沸け・湧け」つまり、雷よ、沸き上がって(湧き上がって)ください!雷を呼んでください!と解釈できると思います。

天孫ニニキネを「雷を呼ぶ男」と崇めたと言うには、切っても切れない雷との繋がりがあったからです。

この背景には21綾に、天孫ニニキネが筑波の新治の宮でわだまし(新築祝い)をしているときに、突然雷雲が掻き曇り、雷が激しく轟き、垣(掻)破りって、このまつりごとを台無しにしてしまった経緯があります。
それ以来、いつも雷と隣り合わせにいる人、雷男と呼ばれていたと考えられるからです。その後、各地で実地に水田開発をしながら、水不足や発育不良を経験しながら雷の有難さを実感されていったものと考えます。

今でも、雨男という言葉があります。毎月のホツマツタヱ勉強会の日はいつも雨です。一体誰がと思う程です。
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# by hon-hotsuma | 2014-12-13 13:06

書感

書感 ウェブとはすなわち現実世界の未来図である 小林弘人著   PHP新書 2014年発行   

著者はビジネス・ブルースクール大学教授でもあり、大前研一氏が同じ大学学長であることを知り、一読しておきたい気になりました。
聞きなれないカタカナ言葉など多く、理解するのに時間がかかりました。
最近始めたGメール・Googleについて多少疑問に思う所を感じていた矢先であったため、共感を持って読むことが出来ました。 結論はGoogleの動きから目を逸らすなという警告書のようにも捉えられました。

グーグルが無料で利便性を提供する理由について、著者は周りに気を配りながら遠慮しがちに述べられていますが、私流に言えば、野生の動物に対し、餌付けで誘き寄せ、餌付けに慣れてきたので、そろそろ自分の考え通りに思う存分采配が揮えるという流れのように見えます。
もちろんグーグル自身もそこまでは意識してないとは思いますが、今後、何をしようとしているのか、著者本人も気になり、広く語り掛けなければと思われたものと思います。

グーグルを語ることは未来を語ることという項目があり、グーグルの社是は“Don’t be evil.”(悪魔になるな)だ。とのことです。
彼らは自身のパワーをよく理解しているが、たとえ彼らが善だと思っていても、価値観は国や文化、資本力の差によって変わる。そして、彼らが引き起こす変化は、本人たちが想像している以上に大きな破壊力をもつ。と、著者は述べています。
 
更に、グーグルの善は私たちの悪か?と疑問を呈しており、その中で、テクノロジーの進歩は、私たちに力を与えた。しかし、皮肉なことにそれはネットワーク化された世界では非対称性をもつ。個々に力が分配されるとき、その分配者自身はさらに権益を集め、巨大化していく。グーグルは世界中からあらゆる最高の知性を集め、テクノロジーを駆使し、壮大なデザインを行なおうとしている。彼らの考える善が、ほかの人の悪にならぬよう祈るばかりだ。と、あります。

身近な具体例として、カーナビメーカーを苦しめるグーグルという項があります。

情報がオープンとなった社会での競合者は既存のライバル企業ではない。カーナビを例にとると、世界でもトップを走っていた国産カーナビ機器メーカーをいま苦しめている相手はグーグルだ。「カーナビ」というパッケージされた電子機器ではなく、グーグルマップをつかったネット上の地図案内サービスだが、ドライバーが自分のスマートフォンをダッシュボードに置けば、今までのカーナビは不要になってしまう。高価なカーナビを買う必要がなくなってしまった。
私自身、これに関連して驚いたのは、最近ごく普通のビデオカメラを購入したとき、Google Earth に位置情報を記録しながら撮影できるようになっていたことです。
地図以外にその場所の状況・ストリートビュー以外にも、ユーチューブの画面を見るかのように不特定多数の人が撮影した現地の動画を確認できることです。

 ソーシャルナビというユーザーが渋滞や取り締まりなどを現在の情報を投稿し、リアルタイムの交通情報を地図上で共有するサービスもとりいれているようです。
さらに、グーグルではクルマの自動運転を目指しておりそろそろ実用化されるとのこと。グーグルマップやストリートビューで培った道路状況のデータと、リモコン操作のプログラムを融合させたものが本格化したら、今までのカーナビ以上の機能のものが出現することになる。

グーグルの買収傾向を見て、ウェブだけではなくテクノロジーと人間の未来を語ることは、グーグルの未来を語ることになる。
私はグーグルの全能的ともいえる拡大に全面的に賛同しているわけでもない。と、著者は述べられている。
私も、グーグルやGメールを使い始めて、あまりにも便利であるが、何事にも首を突っ込まれているようで、何か空恐ろしい感じを受けることがあります。

グーグルは量子コンピュータの開発にも資金を投下し、すでにNASAと共同で「量子人工知能ラボ」を創設した。量子コンピュータによって解析可能になると、先物取引や穀物相場などを何年後の何月何日のどの場所で行なうべきということがピンポイントで予測できる可能性もある。軍事、安全保障、経済など、ありとあらゆるものが変わってしまう。
ライフスタイルや社会生活まで関わってくるため、そこにはつねにある種の怖さがつきまとう。


以上 
 ジョンレノ・ホツマ
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# by hon-hotsuma | 2014-12-09 10:08

「このはなさくや姫」の物語 

ホツマ・エッセイ 「このはなさくや姫」の物語 

この物語は、ホツマツタヱ24綾から抜粋したもので、天照神の孫に当たる天孫瓊々杵尊(以下天孫ニニキネ)と、大山祇命の末娘葦津姫(以下アシツ姫)が出会うところから始まります。
天孫ニニキネが80人のお伴を従え水田開発のため全国各地に立ち寄った帰り道、アシツ姫と出会います。 そこで一夜の契りを結んだ姫は妬まれ、逆境に遭い、桜の木に誓いを掛けましたが、疑いが晴れず、焼身自殺を図ります。

この話は継母の虐めに遭うシンデレラ姫に例えられており、よく似ているようにも思えましたので以下に物語として取り上げてみました。

天孫ニニキネが現在の富士山の北側の麓の酒折の宮に滞在されたとき、宴席で御膳(みかしわ)を捧げたのがアシツ姫です。姫のしとやかさに惹かれ一夜を共に過ごされ契りを結びます。アシツ姫はこのとき懐妊したことが後にわかります。

さて、天孫ニニキネは翌日酒折宮から新治の宮(茨城県筑波)に帰り、大嘗祭をとりおこないますが、やはりアシツ姫のことが気になり、再び伊勢に向かうことにします。

伊勢への途中で再会した天孫ニニキネは、アシツ姫から懐妊したことをこっそりと打ち明けられます。
これを聞き天孫ニニキネは喜び、伊勢に居る天照神に告げようと早速旅支度をしました。
しかし、これを遮るかのように、アシツ姫の母が、姉を連れて来ているのでお目通りを乞い願いました。アシツ姫の母は、私が慈しんで育てた美しい姉がいます。と言葉巧みに言い寄り、天孫ニニキネを惑わせました。
天孫ニニキネは、その気にさせられてしまい、妹と姉の方にも、二心を起こしてしまいました。

その晩、姉のイワナガ姫を召されましたが、姉の様相は厳つく、見た目も悪く、一瞬で醒めて、やはりアシツ姫でなければと宣ったところ、父の大山祇命は驚いて妻を叱りつけ、早く三島へ帰れと追い返してしまいました。
さあ、大変!母と姉は立場がなくなり、この仕打ちに対して、恨みを晴らすため、下女を使って妹を落とし込もうと企みました。

たった一晩のいとなみで妊娠したというのはあり得ないことだ。妹が孕んだ子は、他の素性の分からない男の子供であると偽りを言いふらしました。

伊勢に向かう天孫ニニキネがアシツ姫を連れて白子の宿まで来たとき、このよからぬ噂が届きます。この噂を信じてしまった天孫ニニキネは、たった一晩の契りで子供が出来たことに疑いを持ち、姫を一人残したまま、あわてて夜半に出発してしまいました。

置いてきぼりにされたアシツ姫は一人寂しく後を追い駈けることにしました。しかし、松坂で関止められてしまい、止む無く白子の宿まで戻りました。

母と姉から妬まれていることを知ったアシツ姫は、この疑い・陰謀を晴らそうと、私を陥れたこの恥をすすげと一本の桜の木に誓いました。

「桜の木よ、心あらば、我が孕み もし仇種ならば 花しぼめ
正種ならば 子を産むときに 花よ咲けと 花に誓って」

12か月後、臨月を迎えたアシツ姫は、6月1日に無事、三つ子を生みました。

三つ子が生まれたこと、三つの胞衣(えな)に、それぞれ梅、桜、卯の花の模様があることを告げましたが、何の返事もなく、未だ、疑いが晴れていないことを悟りました。

そのため、アシツ姫は、子供と出入り口のない小屋に入り、この子供たちが仇種と言うならば、もう生きてはいけませんと死ぬ覚悟(焼身自殺)で、小屋に火を付けました。しかし、子どもは炎の熱さにもがき苦しみ這い出ようとしました。

これを見たハラミ山(富士山)の峰に住む竜が水を吹きかけ雨を降らせ、子供を小屋の中から無事に這い出させました。
諸人は驚き、火を消し止めて中にいた姫を引きずり出しました。そして、神輿を用意し、アシツ姫と三つ子を乗せて、酒折宮に送り届けました。この様子は伊勢に告げられました。

一方、アシツ姫が白子で祈願を掛けた桜は、子供を生んだ日(6月1日・旧暦)も咲き続けて絶えることはありませんでした。

天孫ニニキネは、この桜の花が咲き続けていることを知り、アシツ姫の子供は自分の子供に間違いないと悟り、鴨船を飛ばして興津浜に着き、そこからは雉(伝令)を飛ばして、到着した旨を酒折宮に告げました。

アシツ姫は、裏切られた天孫ニニキネのことをまだ恨んでいました。「ふすま」(掛け布団)を頭から被ったまま、伝令に返事をしませんでした。

天孫ニニキネは暫し考えて和歌を短冊にしたため、興津彦命(おきつひこ)を勅使として、この短冊をアシツ姫に届け捧げました。


「おきつもは 辺(へ)には寄れども
さ寝床も あたわぬ鴨よ
浜つ千鳥よ」

(興津浜に)置き去りにした妹(貴方)は、傍まで寄りそうと追いかけてきてくれましたが、私たちは、愛を語らい交わり添い寝することも叶わず、夫婦になれなかった鴨のようです。あちこち、さ迷い続けている浜千鳥のようです。

この歌を詠んでアシツ姫は、今までの恨んでいた涙は溶け落ちて胸にキュンときて、興津浜の天孫ニニキネのところまで富士の裾野を裸足で駆け走りました。
アシツ姫の喜び勇んだ顔を見て、天孫ニニキネも喜びました。

幸せを勝ち取った二人は神輿に並べて乗って酒折宮へと向かいました。

また、アシツ姫は子供を生んで母親になった日から、花が絶えず咲き誇るようになったので、姫の名を木花之開耶姫(這花咲耶姫・このはなさくや姫)と呼ぶようになりました。
「このはなさくや姫」は、乳母を必要とせず、自分の乳だけで3人の子供を一人前に育てあげましたので、子安の神とも称えられました。

なお、三つ子の名前には胞衣に現れた花模様を付けることにしました。
最初に出てきた子供の名を火明尊(ほのあかり)、実名を梅仁(うめひと)と、
二番目に生まれた子は火進尊(ほのすすみ)、実名を桜杵(さくらぎ)と、
末の三番目の子は彦炎出見尊(彦火火出見尊・ひこほほでみ)、実名を卯杵(うつきね)と名付けました。


古事記・日本書紀と対比してある三書比較「定本ホツマツタヱ」(展望社発行)で、見比べてみました。この個所は部分的であっても取り上げられていますので、既にご存知の方がいらっしゃるとは思います。しかし、内容的に細かいニュアンスなどは、五七調のやまと言葉で書かれたホツマツタヱに勝るものはないと改めて思った次第です。
以上
ジョンレノ・ホツマ
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# by hon-hotsuma | 2014-11-08 20:14

ホツマツタヱ解読

剣がなぜ宝(三種の神器)に ジョンレノ・ホツマ

ホツマツタヱの23綾に剣(つるぎ)についての話があります。
人を斬る剣がなぜ宝物なのかという大物主の問いに天照神が答えています。

剣の大元は天の鉾のことを言います。昔(天神初代)は全ての人々が素直で法を守っていたので鉾を使う必要のない平和な世界が続いていました。しかし、天神4代の頃になると、光が陰るように心の中の清らかさも影ってきました。天神6代には、ずる賢い者「とき者」が現れ、他人の物を奪うようになってしまいました。これに対処するため斧でその罪人を斬って治めるようになりました。
斧は木を切る道具だったので、「かねり」(鍛冶人)に鉾(ほこ)を作らせました。


「ほこ」が宝であるという理由は、「と」(瓊)の道(やまと・弥真瓊国の道)に則って、国を治めていても、中には横暴な(邪道・横利く者)正面(正しい方向)を向かず、横に逸れて行く者がいます。一人でも逆らう者が現れると、悪は類を呼び、群れ集まることになります。そして、蟠り(わだかまり)が渦巻くことになります。蟠り(わだかまり)が正しい人の道の妨げになります。逆らう者を召し取り、罪を糺(ただ)し、討ちます。

ほつれた糸や絡んだ糸を取り除かずにそのまま機織りすると、後になってそこからほつれて使い物にならなくなります。最初が肝心です。機織りと政治も同じでことです。国を正しく治める道に対して、逆らう者を取り除かないと国が乱れることになります。
国が乱れれば、田も荒れて瑞穂(稲穂)は発育せず実らず、人々の生活は貧しい状況になるからです。そこで、罪人を斬り(正しい道へ逆らう者を取り除く)、皆一体となって田畑を耕せば、瑞穂(稲穂)が豊かになり、民の生活も豊かになります。

「さかほこ」(逆鉾)は、正面(正しい方向)を向かず、横に逸れて行く者、すなわち、逆らう者を討ち治め、国を正しい方向に向けるので、「たから」(宝)と言います。


次に、天照神は物部(司法を司る)に、死刑への心構えとして、我儘に自分の感情で民を斬ってはいけません。例え、悪を働いたとしても、民は皆、我が孫です。国神は民の両親にあたりますと、言っています。
さらに、臣は自分自身の驕りを表に出さずに堪えて天成道を守りなさい。天成道を守る心がけが自分自身を守る垣になります。 まさに八重垣の剣ということになります。

八重垣の八重は、百・千・万と幾重にも重なった節を備えている垣という意味があります。
八重垣(天孫の代々の垣)は、物部(大物主)の名前と魂の緒で繋がっており、物主は君(天照神)を守るよう誓っています。

一方、天照神は、この剣を練り上げる(鍛造する)「かねり」鍛冶氏に対して左右の眼の活き枯れについて解いています。

左の眼は春の生き生きした気力があり、この生気(左の眼力)でもって、剣を練り上げる(鍛造する)と、生き身に近く(罪なき者・生気の者を斬りたがる)、枯れ身に疎く(罪ある者・罰する者を見抜けなく)なります。
 一方、右の眼は秋の枯れていく気であり、この右の眼力を入れ込んで剣を練り上げて作り上げると、出来上がった剣は、枯れ身に近く(罪ある者・罰する者を見抜き)、生き身に疎く(罪なき者には近づかず)なります。

右の眼だけで鍛造した剣は、枯れ身(罪人)を好み、生き身(善人)を恐れます。よって、右の眼で鍛造した剣が民(青人草)を治める宝物です。

この「かねり」は100日間の物忌みをした後、8本の剣を右眼だけで作り上げ天目一箇(あまめひとつ)の神の名を賜わりました。
この鍛造(たたら製鉄)に携わった人は、真っ赤に熱せられた鉄を、両目を開けて見るわけにいかず、いつも片目で見ているため目がやられてしまったことから、一つ目小僧が妖怪物語に出てくるようになったことが分かります。

八重垣の剣は、後に「かなざき」(住吉の神)と六将神(ふつぬし・たけみかづち・かだまろ・いふきぬし・たちからを・くまのくすひ)と残り一本を天照神が持っていたものを「くしひこ」に賜うことになります。


最後に、「つるぎ」の言葉の説明がありますが難解です。

「つるぎ」とは 「つ」はきのよはひ
につきて かれるのつぞ :天を示す特殊文字の
「る」はしばの かわけばもゆる
るぎのぞ 「ぎ」はきのかれて :炎を示す特殊文字の
おもひなし かれに「つるぎ」と
なつくなり

 「つるぎ」(剣)とは、「つ」は木の年齢で、天命に尽きて枯れる天の「つ」(尽きる)です。
 「る」は、柴(雑木)が、枯れて燃える「るぎ」の炎のことです。
「ぎ」は、木が枯れて、寿命が尽きて思い(生への執着)が残っていません。
よって、「つるぎ」(剣)と名付けられました。 

                                       以上
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# by hon-hotsuma | 2014-10-20 20:41

ホツマツタヱ解読

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ホツマツタヱ解読
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# by hon-hotsuma | 2014-09-14 10:54

ホツマツタヱ解読

ホツマ・エッセイ 先々々月の続き        2014/9/9改9/14

卑弥呼と邪馬台国について、今までにもホツマツタヱの記述から読み取ったことを取り上げてきました。

魏志和人で言うところの邪馬台国は、日本人が「やまたい」という国の名前の音声を聞いて漢字に当てはめたもので、元々の意味は「やま」(山)の「た」(たんぼの田・宝)が「い」(居る・在る)国を意味していたと感じ取りました。

しかしながら、「やまたい」の「い」は「居・在」よりも、井戸の「井」の方がぴったりしているように思いました。井戸の「井」は水を汲み取る所、ここでは金・銀・銅・鉄を掘り出す所、のニュアンスにあっていると思ったからです。

「ひがしら」と呼ばれた日高見のタカミムスビの存在を考えると、金が豊富に埋蔵されていた仙台地方に山田(やまた)という地名も残っており「邪馬台国(やまた=金)」と結びつくと考えました。

先々月、後恵比寿っさんが投稿された「ジパングの海」横瀬久芳著を読み、九州鹿児島の菱刈金山(現在日本一の金の採掘量の鉱山)の存在を思い出しました。
鹿児島県には串木野鉱山、山ヶ野金山、大口鉱山と十指に入る大規模な金山が集中しているということを考慮すれば、魏志倭人伝の言う「邪馬台国(=金)」は、この鹿児島を示していた可能性もあると考え直しました。

この菱刈金山の近くにも山田という地名のあることも知り、霧島、吾平(ホツマツタヱの29綾、大隅半島中央部の鹿屋市吾平山上陵、みおやあまきみ:神武天皇のお父さんを祀る)の近くでもあり、神武天皇のお妃、あびら姫の出身地であることにある結びつきを感じます。

更に、ホツマツタヱの38綾には、九州へ景行天皇が熊襲征伐に行ったとき、平定するため6年間滞在しており、その時「みはかせ姫」を内妃に迎えており、皇子を生み、母と子供はこの地に留まって日向の国造の祖になったとあります。
景行天皇が帰られた後に、この地を治め、女王国と呼ばれていたとも考えられます。

その他、九州には「かんかし姫」、「はやみつ姫」、クマソの妹の「へかや」、「やつめ姫神」(みね国・吉野ヶ里遺跡)など、女王支配の国が多く見受けられます。

仙台、日高見を女王国と見るには無理のような気がします。ホツマツタヱを全て読み切った時点で新たな解明が生まれることを待ちたいと思います。

いずれにせよ、鬼道を占ったとされる女王・卑弥呼は当時伊勢に居られた斎女(日の皇女・ひのみこ」「やまと姫」に合致すると考えられます。伊勢には「日読みの宮」という暦を作っていた宮の存在が記録されています。

北極星が36度の高さの所に一年間通して位置を変えずにいるという内容の記述(23綾)もあり、既に天文観測が行われていたと思われるからです。

次に、「やまたのおろち」の補足の件です。

この「やまた」にも同じ「山の宝・金、銀、銅、鉄」の意味が隠されていることにも気が付きました。そこで、「やまたのおろち」の「おろち」とは大蛇の仕業として恐れらたことを擬人化して言っていることと理解できます。鉄であり、鉄豪族であり、鉱毒であることが分かります。
それは、鉱山での鉱毒による原因不明の大量死があったことを意味しており、誰も見たことの無い「おろち」の仕業として恐れられたと考えられるからです。

ホツマツタヱの9綾の前半部分に、「おろち」の正体が分かる記述があります。この「おろち」の行動として、獲物を狙って食い殺すという記述もありますが、前後関係をみれば、表現の一つとして分かりやすくするために使っています。
決して本物の大蛇でもないし、「おろち」なる人物(鉄の豪族主)が武器を使って殺しているわけではないことが分かります。

「そさのお」と結婚することになった「おろち」に狙われていた「いなだ姫」の様子ですが、高熱の病に苦しんでおり、今にも「おろち」に食われようとしている。とか、手や足を撫でる介護をしていたという記述からは、豪族の主(鉱脈の地主)から、逃げ出すことのできない鉱毒に遭っていた鉱山労働者であったのではないかと考えられます。

「いなだ姫」の他の姉妹7人は既に「はは」や「かがち」の餌食になってしまって、「つつが」されているとあります。
「つつが」と昔の牢獄のことで、がんじがらめにされている、つまり、鉱山の中で強制労働させられていたことを言いたかったと思えます。「つつがなく」という言葉が今に残っています。
ここでの「はは」は大蛇のことで鉄を示し、「かがち」とは、錦蛇のことで金、銀、銅など光り輝く金属のことを示していると思われます。

溶鉱炉から鉄鉱石が溶けて鉄になり、水銀のように液体となって流れ出た様子は、蛇が勢いよく、にょろにょろと動いているように見えたからだと思います。

「そさのお」が、「いなだ姫」を「おろち」から助ける行動の記述が興味深いものになっています。それは、「いなだ姫」を隠して、「そさのお」が女装して病んだ「いなだ姫」になりすまし、「おろち」が出てくる山の中の「桟敷」に酒を用意して待ちかまえます。

ここに、「やまたかしらのおろち」なるものがあらわれて、酒を飲み干してしまい寝入ってしまいます。すかさず、変身していた「そさのお」がずたずたに斬りました。
この後、「おろち」の緒の先から剣「ははむらくもの剣」の出現とあります。「おろち」と称されるこの地の鉄豪族の主(鉱脈・製鉄炉の主)が、鉄を溶解して剣を作っていたことが分かります。

「むらくも」とは、たたら製鉄による鉄を溶かすため大量の木を燃すとき炉から立ち上がる煙のことで、この煙こそが鉄を精錬している証であり、権力を示すものであったと考えられます。24綾では「むらくも」という人の名も出てくるのですが、関連が今一分かりません。
後日の宿題!                                          以上


以下は旧訂正前のものです。

卑弥呼と邪馬台国について、今までにもホツマツタヱの記述から読み取ったことを取り上げてきました。

魏志和人で言うところの邪馬台国は、日本人が「やまたい」という国の名前の音声を聞いて漢字に当てはめたもので、元々の意味は「やま」(山)の「た」(たんぼの田・宝)が「い」(居る・在る)国を意味していたと感じ取りました。

「やまたい」とは、山の中に、金・銀・銅・鉄などの鉱脈がある所(鉱山)を、山の宝の在る所と称しており、「ひがしら」と呼ばれた日高見のタカミムスビの存在を考えると、金が豊富に埋蔵されていた仙台地方に山田という地名も残っており「邪馬台国(=金)」と結びつくと考えました。

しかし、その後恵比寿っさんが投稿された「ジパングの海」横瀬久芳著を読み、九州鹿児島の菱刈金山(現在日本一の金の採掘量の鉱山)の存在を思い出しました。
鹿児島県には串木野鉱山、山ヶ野金山、大口鉱山と十指に入る大規模な金山が集中しているということを考慮すれば、魏志倭人伝の言う「邪馬台国(=金)」は、この鹿児島を示していた可能性もあると考え直しました。
この菱刈金山の近くにも山田という地名のあることも知り、霧島、吾平(ホツマツタヱの29綾、大隅半島中央部の鹿屋市吾平山上陵、みおやあまきみ:神武天皇のお父さんを祀る)の近くでもあり、神武天皇のお妃、あびら姫の出身地であることにある結びつきを感じます。

更に、ホツマツタヱの38綾には、九州へ景行天皇が熊襲征伐に行ったとき、平定するため6年間滞在しており、その時「みはかせ姫」を内妃に迎えており、皇子を生み、母と子供はこの地に留まって日向の国造の祖になったとあります。
景行天皇が帰られた後に、この地を治め、女王国と呼ばれていたとも考えられます。

その他、九州には「かんかし姫」、「はやみつ姫」、クマソの妹の「へかや」、「やつめ姫神」(みね国・吉野ヶ里遺跡)など、女王支配の国が多く見受けられます。
仙台、日高見を女王国と見るには無理のような気がします。
いずれにせよ、鬼道を占ったとされる女王・卑弥呼は当時伊勢に居られた斎女(日の皇女・ひのみこ」「やまと姫」に合致すると考えられます。伊勢には「日読みの宮」という暦を作っていた宮の存在が記録されています。
北極星が36度の高さの所に一年間通して位置を変えずにいるという内容の記述(23綾)もあり、既に天文観測が行われていたと思われるからです。

次に、「やまたのおろち」の補足の件です。
この「やまた」にも同じ「山の宝・金、銀、銅、鉄」の意味が隠されていることにも気が付きました。そこで、「やまたのおろち」の「おろち」とは大蛇の仕業として恐れらたことを擬人化して言っていることと理解できます。鉄であり、鉄豪族であり、鉱毒であることが分かります。
それは、鉱山での鉱毒による原因不明の大量死があったことを意味しており、誰も見たことの無い「おろち」の仕業として恐れられたと考えられるからです。

ホツマツタヱの9綾の前半部分に、「おろち」の正体が分かる記述があります。この「おろち」の行動として、獲物を狙って食い殺すという記述もありますが、前後関係をみれば、表現の一つとして分かりやすくするために使っています。
決して本物の大蛇でもないし、「おろち」なる人物(鉄の豪族主)が武器を使って殺しているわけではないことが分かります。

「そさのお」と結婚することになった「おろち」に狙われてた「いなだ姫」の様子ですが、高熱の病に苦しんでおり、今にも「おろち」に食われようとしている。とか、手や足を撫でる介護をしていたという記述からは、豪族の主(鉱脈の地主)から、逃げ出すことのできない鉱毒に遭っていた鉱山労働者であったのではないかと考えられます。

「いなだ姫」の他の姉妹7人は既に「はは」や「かがち」の餌食になってしまって、「つつが」されているとあります。
「つつが」と昔の牢獄のことで、がんじがらめにされている、つまり、鉱山の中で強制労働させられていたことを言いたかったと思えます。「つつがなく」という言葉が今に残っています。
ここでの「はは」は大蛇のことで鉄を示し、「かがち」とは、錦蛇のことで金、銀、銅など光り輝く金属のことを示していると思われます。

溶鉱炉から鉄鉱石が溶けて鉄になり、水銀のように液体となって流れ出た様子は、蛇が勢いよく、にょろにょろと動いているように見えたからだと思います。

「そさのお」が、「いなだ姫」を「おろち」から助ける行動の記述が興味深いものになっています。それは、「いなだ姫」を隠して、「そさのお」が女装して病んだ「いなだ姫」になりすまし、「おろち」が出てくる山の中の「桟敷」に酒を用意して待ちかまえます。

ここに、「やまたかしらのおろち」なるものがあらわれて、酒を飲み干してしまい寝入ってしまいます。すかさず、変身していた「そさのお」がずたずたに斬りました。
この後、「おろち」の緒の先から剣「ははむらくもの剣」の出現とあります。「おろち」と称されるこの地の鉄豪族の主(鉱脈・製鉄炉の主)が、鉄を溶解して剣を作っていたことが分かります。

「むらくも」とは、たたら製鉄による鉄を溶かすため大量の木を燃すとき炉から立ち上がる煙のことで、この煙こそが鉄を精錬している証であり、権力を示すものであったと考えられます。24綾では「むらくも」という人の名も出てくるのですが、関連が今一分かりません。後日の宿題!
         以上
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# by hon-hotsuma | 2014-09-09 14:52

ヤマタイ国が仙台!ホツマツタヱと魏志倭人伝の解読

ホツマ・エッセイ 先々月の続き        
先々月のホツマ・エッセイで、疑問を残したままのことがあることに気が付きました。

それは、魏志倭人伝に述べられている邪馬台国は、仙台・日高見の「やまた」(山の宝・金銀などの金目のもの)が居る(ある)場所のことと推測したことを記述しました。

今までの魏志倭人伝の解釈の内容からは、位置的にかけ離れており、ほとんどの方は馬鹿げたことだと一笑して頭から無視されていることと思います。

しかしながら、見方を変えてみれば「ヤマタイ国」が仙台地方であっても何ら不思議でなく、あり得ることと納得していただけると思います。
あくまでも「ホツマツタヱ」を解読していく過程で、魏志倭人伝を参考として見ると自然と行き着く結論になりました。

まず、ホツマツタヱの38綾の景行天皇が熊襲討つ綾に、九州のほぼ全域を廻られた記述の中に「ひなもり」(夷守)という地名が出てきます。ここは、宮崎県小林市付近に夷守岳(霧島山から東北へ約3km)があり、この付近が、魏志倭人伝にある「投馬国」であったと思われます。

ホツマツタヱ29綾に、「たけひと」(後の神武天皇)が父の臨終で遺言を授かりに九州へ行きます。「みおやあまきみ」(うがやふきあわせず命・神武天皇の父)は死後「あひら」の神となります。「あひら」とは九州大隅半島中央部の鹿屋市吾平山上陵のことになります。

その後、君になった「たけひと」(後の神武天皇)は宮崎で政治を執ります。
この時、「たけひと」は最初のお妃「あびら姫」をこの九州で娶ります。この「あひら」地方の出身であると推測できます。

いずれにせよ、この付近が、魏志倭人伝でいう投馬国が存在していたのではないかと思います。

さて、この投馬国からの魏志倭人伝の記述は、
南至邪馬台国。女王之所都。
水行十日、陸行一月。
とありますが、今までの解釈は南へ進むと南の海しかないというのがほとんどのようであったように思います。
私の解釈は「南至」とは、何も南の方向に進むことではなく、ここでは本州(日本列島)の南側を「ヤマタイ国」へ向かって進むときの日数を言っていると捉えました。
この魏志倭人伝の記述で、「ヤマタイ国」が仙台と比定することも可能と思い至った次第です。                                   以上
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# by hon-hotsuma | 2014-08-09 22:31

ホツマ・エッセイ

先月のホツマ・エッセイで、豊受神がなぜ仙台から今の伊勢に宮が移ったかという疑問がありました。ホツマツタヱを読み直し、経緯が理解できましたので、忘れない内に投稿します。

仙台、日高見で政治を執られていた豊受神は、全国の要所に人員を派遣しますが、特に「ちたる国」(山陰地方)は役人が政務を怠り治まりが付かなくなったので、本人自らが対策に行かれます。日高見(仙台)は「やそきね」が、「たかきね」は天照神の補佐(富士山の麓)、筑紫(九州・宮崎)は「つきよみ」と「かなざき」が治めることになりました。
しかし、豊受神は「あさひ宮」(丹後)でお亡くなりになります。
多分、この当時においても、大陸からの勢力争いというか渡来人との間で諍いがあったのではないかと思われます。
その後、天照神は豊受神を祀るため丹後の「あさひ宮」に行かれます。天照神は遺言で豊受神と同じ場所に埋葬されることを望まれます。
丹後の「あさひ宮」に行かれた天照神は、新しい宮にふさわしい所を探すために、「ひのはやひこ」に日本全国の絵地図を作るように命令します。
そして、伊勢の風景が良く、そこに新しく宮を造るよう「おもいかね」に命じます。「いさわ」(伊雑宮・志摩郡磯部町)に遷都します。
後世になって斎女がこのお二人の御霊が祀られていた「あさひ宮」から伊勢に移されます。そして現在に至っています。

もう一つ別件ですが、鳥居の語源の説明をいたしたく。

先月、敷(鴫)居(しきい)・鴨居(かもい)を「やまた居」(山の宝のある所・邪馬台国)の「居」の説明のために例として出しました。鳥居も同じ「居」なのですが、ホツマ以外この言葉の語源について触れられてないことを思い出しました。

文字通り、鳥の居る所というのが鳥居になります。先月「鳥居」という立派な本を図書館で読みましたが、詳しく写真が載せられているものの、鳥居の語源については全く触れていませんでした。

神社には東の門にあたる所が鳥居であり、鳥居に鳥を飼うことで鳥に日の出を気が付かせて鳴くことにより、神が最初に気が付く場所、門・鳥居であったこととあります。
八将神(やまさ)は、民のために「からふしま」を祭り、鳥より先に神が知る「しま」(門・州・神の居所、目印)は、鳥居にあります。
「からふ」(羅生門)のところにいる、ニワトリは暁(か・朝日)を受けて鳴き、「つあ」を返します。(告げ返す・天に返事する) いつもここに鳥がいれば、民が飢え死にせず、食料に事足りているということに気づかせてもらえるからです。民は鳥が居る(鳥居)ことで神のいたわりを知ることになります。                                     以上
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# by hon-hotsuma | 2014-08-01 22:04

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