ほつまつたえ
図表も追記訂正いたしました。
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by hon-hotsuma
| 2016-08-12 14:55
ホツマエッセイ 天皇陛下 生前退位について
ニュースで天皇陛下が生前退位を表明され、過去にないからということで周りが物議をかもしていることに違和感を覚えました。
私自身は定年前の肩たたきで早期退社しましたが、定年のない会社経営者でも退任時期には後継者に譲るのが普通であり、今の天皇陛下は生涯現役でいなければならない大変なことと認識しました。
ホツマツタヱを読むと生前退位はごく自然のことであると分かり、古代の天皇は、自らが老齢になったと感じられたとき、ご自分で次に天皇になる人を選び、日嗣をしておられます。
やっと、昔の自然のままの元通りに戻ったという感じです。今は、ご本人のご都合や考えでなく、法律の制約という取り巻きの都合で決められてしまっているように見えるからです。
日嗣とは今の天皇から、次に天皇になられる方に引き継ぐ儀式であり、三種の神器を引き継ぎ、大嘗祭を執り行います。
古代の生前退位された例の一つとして、天照神の孫の次男の天孫ニニキネ(別雷神)を取り上げてみます。生前退位後の記述に興味がありましたので抜粋します。
天孫ニニキネ(別雷神)は、三男のヒコホホデミの大嘗祭が終わって、自分は「おゝゑきみ」(太上天皇)という名前になります。これにより天孫ニニキネ(別雷神)の生前退位が行われたことを示します。
瑞穂宮での任務の終わった「おゝゑきみ」(太上天皇)は、瑞穂宮から貴船の山奥に隠れ住んでいた息子の正妃のトヨタマ姫を説得した後、「むろつ」(兵庫県たつの市御津町室津)で、遺言を残します。その後、亀舟という大きな舟に乗り、宮崎に上陸した後、鹿児島に向い「そお」(曽於)国の高千穂の峰(霧島山)につき、そこで神上がりします。
なぜ、鹿児島に向かったのかについてですが、天孫ニニキネが、昔、筑紫(九州)全土を開拓しながら巡ったことがありました。「そお」(曽於の国・鹿児島)から招きを受けていたのですが、訪問の約束を果たせないまま帰国してしまったことが心残りであったと伺えるからです。
高千穂の峰に立ち、「あさま」(富士山・浅間神社・ほつま国)の方角から日の出(朝日・日の霊)を祈るので、この地を「ひむかう国」(日向国)と名付けられました。
高千穂の峰とは、霧島山を示していると思われます。霧島山の幾つかの峰々の内、この曽於市の方角から手前に見える山に高千穂という名前がついているからです。
「ほつま国」に居られる姫(このはなさくや姫)の霊は、月が沈む西の方角の高千穂の峰(霧島山)に沈み、神となられました。
姫が亡くなられたのは、「ほつま国」ですが、死後の霊魂は「おゝゑきみ」(太上天皇)の居られる高千穂の峰(霧島山)に向かわれたことを言っています。
「おゝゑきみ」(太上天皇)を太陽と見て、月をお妃「このはなさくや姫」に例えていることが分かります。また、月に帰るという昔話、「かぐや姫」の話とも何か重なるものを感じます。
天国で会う日を決めておられたお二人が、西と東で遠く離れていてもお互いの方を向いて同時に神上がり(お亡くなり)しましたともあります。
「おゝゑきみ」(太上天皇・以前の名は別雷神・天孫ニニキネ)である「いづの神」*は、高千穂の峰の神となられました。
*「いづの神」21綾にニニキネのことを二荒れの逸(稜威・いづ)の神と称しています。
高千穂の峰の神となられ、神上がりされたという記述の意味が、新たに神が誕生されたように漢字化されて伝えられているようです。新たにいづる・誕生すると解釈されたのでしょうか。
現天皇におかれても、生前退位された後、やり残したこと、心残りのあることなど、自分のための新たな人生を謳歌していただきたいと願った次第です。
以上
ジョンレノ・ホツマ
ニュースで天皇陛下が生前退位を表明され、過去にないからということで周りが物議をかもしていることに違和感を覚えました。
私自身は定年前の肩たたきで早期退社しましたが、定年のない会社経営者でも退任時期には後継者に譲るのが普通であり、今の天皇陛下は生涯現役でいなければならない大変なことと認識しました。
ホツマツタヱを読むと生前退位はごく自然のことであると分かり、古代の天皇は、自らが老齢になったと感じられたとき、ご自分で次に天皇になる人を選び、日嗣をしておられます。
やっと、昔の自然のままの元通りに戻ったという感じです。今は、ご本人のご都合や考えでなく、法律の制約という取り巻きの都合で決められてしまっているように見えるからです。
日嗣とは今の天皇から、次に天皇になられる方に引き継ぐ儀式であり、三種の神器を引き継ぎ、大嘗祭を執り行います。
古代の生前退位された例の一つとして、天照神の孫の次男の天孫ニニキネ(別雷神)を取り上げてみます。生前退位後の記述に興味がありましたので抜粋します。
天孫ニニキネ(別雷神)は、三男のヒコホホデミの大嘗祭が終わって、自分は「おゝゑきみ」(太上天皇)という名前になります。これにより天孫ニニキネ(別雷神)の生前退位が行われたことを示します。
瑞穂宮での任務の終わった「おゝゑきみ」(太上天皇)は、瑞穂宮から貴船の山奥に隠れ住んでいた息子の正妃のトヨタマ姫を説得した後、「むろつ」(兵庫県たつの市御津町室津)で、遺言を残します。その後、亀舟という大きな舟に乗り、宮崎に上陸した後、鹿児島に向い「そお」(曽於)国の高千穂の峰(霧島山)につき、そこで神上がりします。
なぜ、鹿児島に向かったのかについてですが、天孫ニニキネが、昔、筑紫(九州)全土を開拓しながら巡ったことがありました。「そお」(曽於の国・鹿児島)から招きを受けていたのですが、訪問の約束を果たせないまま帰国してしまったことが心残りであったと伺えるからです。
高千穂の峰に立ち、「あさま」(富士山・浅間神社・ほつま国)の方角から日の出(朝日・日の霊)を祈るので、この地を「ひむかう国」(日向国)と名付けられました。
高千穂の峰とは、霧島山を示していると思われます。霧島山の幾つかの峰々の内、この曽於市の方角から手前に見える山に高千穂という名前がついているからです。
「ほつま国」に居られる姫(このはなさくや姫)の霊は、月が沈む西の方角の高千穂の峰(霧島山)に沈み、神となられました。
姫が亡くなられたのは、「ほつま国」ですが、死後の霊魂は「おゝゑきみ」(太上天皇)の居られる高千穂の峰(霧島山)に向かわれたことを言っています。
「おゝゑきみ」(太上天皇)を太陽と見て、月をお妃「このはなさくや姫」に例えていることが分かります。また、月に帰るという昔話、「かぐや姫」の話とも何か重なるものを感じます。
天国で会う日を決めておられたお二人が、西と東で遠く離れていてもお互いの方を向いて同時に神上がり(お亡くなり)しましたともあります。
「おゝゑきみ」(太上天皇・以前の名は別雷神・天孫ニニキネ)である「いづの神」*は、高千穂の峰の神となられました。
*「いづの神」21綾にニニキネのことを二荒れの逸(稜威・いづ)の神と称しています。
高千穂の峰の神となられ、神上がりされたという記述の意味が、新たに神が誕生されたように漢字化されて伝えられているようです。新たにいづる・誕生すると解釈されたのでしょうか。
現天皇におかれても、生前退位された後、やり残したこと、心残りのあることなど、自分のための新たな人生を謳歌していただきたいと願った次第です。
以上
ジョンレノ・ホツマ
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by hon-hotsuma
| 2016-07-16 10:56
2016/06/21
現在解読中ホツマツタヱの26~27綾(章)は紀元前660年より以前に当たります。神武天皇誕生までの経緯の記述内容を一目で分かるように表にしてみました。
この綾はヒコホホデミとトヨタマ姫と皇子のカモヒト・ウガヤフキアワセズが中心になっています。
表の中にある「葵・桂の葉で夫婦のあり方を説得」(26-15~19)というコメントの背景を追記します。
ヒコホホデミが筑紫(九州)を治めるように父親のニニキネ(分雷神)から勅りを受け、開拓活動をしているときにトヨタマ姫と知り合い、その後懐妊します。
そのとき、瑞穂の宮におられた父親から日嗣(天皇の位)を譲るから上京しなさいとという伝令が入ります。
九州の志賀島(後に金印が見つかった所)から舟に乗りますが、身重であったトヨタマ姫はカモ舟(敦賀まで約1ヶ月)であとからついて行き、ヒコホホデミは一番速度の速い大ワニ舟で先に行って産屋を作っておくことにしました。
途中、姫の乗ったカモ舟が割れてしまい、岸まで必死で泳ぎ切ります。別の舟を見つけることが出来て無事敦賀へ到着します。そのとき、まだ産屋が出来上がっていませんでした。しかし、そこで無事出産しました。
生まれた皇子はウガヤフキアワセズという長い名前を授かります。
このあと生じた大問題は、産屋の隙間から産んだばかりで素っ裸で開けっ広げのあられもない姿をヒコホホデミに覗き見られてしまいます。姫は、覗かれたことに気づき、もう生きてはいけないと恥ずかしさのあまりこの場を逃げ出します。
生まれたばかりの皇子は途中の遠敷の宮に置き去りにして、弟のカモタケヅミと山奥の貴船神社にたどり着き隠れてしまいます。
その後居場所を突き止め戻ってくるよう説得しますが聞き入れません。トヨタマ姫の父親も九州から駆け参じますが聞き入れることはありませんでした。
日嗣(天皇の位)を譲るための大嘗祭に新しい天皇にお妃が不在ではかっこが付かないため父親が九州から一緒に連れてきた妹のオトタマ姫を代役のために奉りました。
大嘗祭が終わって一年経ってもトヨタマ姫は隠れたままであったため、大上君(別雷神が日嗣・天皇の位を譲った後の呼び名)は葵の蔓を持ってミズハ宮(貴船神社)に出掛けます。葵の葉と桂の葉(双葉)は、夫婦と同じように左右両方そろって初めて葵の葉と言い、桂の葉と呼ぶのだということを諭します。
任務の終わった大上君(別雷神)はその後、貴船の山奥から「むろつ」(兵庫県たつの市御津町室津)に着き、遺言を残し、亀舟という大きな舟に乗り、鹿児島に向い「そお」(曽於)国の高千穂の峰(霧島山)につき、そこで神上がりします。
高千穂からは、「あさま」(富士山)の方から昇る太陽(日の霊)に向かってご来光を祈るので、この地を「ひむかう国」(日向国)と名付けられました。日向(ひゅうが)の語源になっています。
大上君(別雷神)が神上がりしたことを知ったトヨタマ姫は喪に服します。喪に服していることを知った瑞穂宮のヒコホホデミは歌を詠みイソヨリ姫に持たせます。
沖つ鳥 鴨着く島に
我が寝ねし 妹は忘らじ
世(夜)の事々も
とイソヨリ姫がヒコホホデミの歌を詠み、トヨタマ姫は返し歌をしたためます。
沖つ鳥 鴨(天下・神々から下々まで)を治むる
君ならで 世(夜)の事々を
えやは防せがん
この返し歌を葵の葉で包み、君(ヒコホホデミ)からの歌を桂の葉に包んで、赤白の水引草(みひきくさ)で結び文箱に納めました。
二人の気持ちが通じ、トヨタマ姫を御輿に乗せて宮に入り天下晴れての中宮になりました。
ここのトヨタマ姫とヒコホホデミの記述は、葵祭の起源になっていると思われます。また、おめでたい水引の語源にもなっています。
ジョンレノ・ホツマ
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by hon-hotsuma
| 2016-06-24 21:12
(8綾-29~31)
ねがえばかみの
みゆきなる てくるまのうち ①②
せおりつめ あめのみかげに
あきつめは ひのみかげさす ③
いふきぬし くまのくすひに
まてにあり しろくろこまに ④
もろそひて やまだにいたり ⑤
きじとべば はるなははみち ⑥
のもやまも かえてむらくも
ほのほふく とげやのあられ
なるかみに
① 「てくるま」
Yahoo画像より探し出せたものを3点ほど拝借しました。
添付図は後世ものですがイメージの参考までに。
一番下の絵は「石山寺縁起絵巻から」です。
② 「クルマ」の語源考
群馬県の名前と歴史 – Biglobeの中に、群馬郡(久留間)は古代では初め『くるまのこおり』と呼ばれており、久留間(クルマ)という地名が車(クルマ)という文字で書かれていたようです。「馬が群がれる」という意味も参考になります。
群馬県も1869年(明治2年)の廃藩置県後に『県名』が二転三転した県ですが、最終的には前橋の所属していた群馬郡の名前が採用されました。群馬県の領域は、上代には栃木県域と合わせて『毛野国(毛の国)』と呼ばれており、毛野国を上下に分割して『上毛野国(かみつけぬのくに)』といわれる国が、現在の群馬県と重なっていました。飛鳥時代から奈良時代、平安時代にかけての『律令制』の時代には、群馬県のあたりは『上野国(こうずけのくに)』とされ、栃木県のあたりは『下野国(しもつけのくに)』とされました。そのため、群馬県(上野国)の異称には『上州(じょうしゅう)・上毛(じょうもう、かみつけ)』という言い方もありました。
群馬郡(久留間)は古代では初め『くるまのこおり』と読まれていて、藤原京の遺構から発見された木簡には『車』という一字表記だけで群馬郡を指していました。奈良時代初期に、全国の郡・郷の名を二文字で表記するルールが制定されて、『車』から『群馬』の表記に改められましたが、群馬は『馬が群れる』という意味でありこの地域一体は『良い馬の産地』だったのではないかと推測されています。
③「さす・サシハ」について
「あきつめは ひのみかげさす」
2016/4/16の勉強会で高畠先生が、「アキツ姫」が天照神の日陰を「さす」(日陰を作る)ために掲げていたものを「サシハ」とご説明されていました。
右図は難波宮跡 大阪歴史博物館展示のもの。
④「しろくろこま」について
福島県郡山市田村郡三春町という所に、三春滝桜という巨大な桜で有名な観光地があります。ここには、三春駒と呼ばれている白駒黒駒の郷土玩具が伝統工芸品としてあります。記念切手にもなりました。「しろくろこま」の情報を伝えているように思えます。
⑤ 「やまだ」について
山田という地名が日本各地にありますが、8綾のここでの「ヤマダ」は、仙台市太白区山田本町を示しているように思えます。多賀城や青葉城にも近く、日高見と推定される場所の候補の一つとして取り上げておいても良いと思ったからです。
この地区で古代の膨大な遺跡が発掘されており、一大国家であったことが窺えるからです。
山田条里遺跡(仙台市HPより)
調査区全景 仙台市全景 ●印は山田条里遺跡
所在地 太白区鈎取字東根添、山田字田中前ほか
種別 集落跡,生産遺跡,屋敷跡,包含地
時代 縄文時代・弥生時代・平安時代・近世
解説 名取川左岸の標高30~38mの河岸段丘、自然堤防上にある縄文時代、弥生時代、平安時代、近世の遺跡である。平安時代以降の水田跡の他、近世の屋敷跡が発見された。近世の屋敷跡では西堀が発見され、江戸時代の絵図に描かれた「ヤチヤシキ」と呼ばれる屋敷であると考えられる。
なお、「やまだ」の候補として、天照神が住まわれていた伊勢にある宇治山田も考えられます。魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の候補地としては宇治山田の方を示していると考えられます。宇治山田付近は水銀も産出していました。
魏志倭人伝に書かれている邪馬台国とは、山の宝(ヤマタ)のある所(イ)の国のことを意味していたように思えます。日本各地の金山のあるところあちこちにやたらと山田という地名が多いことに気づきます。日本全国、九州から仙台地方まで何処も候補として挙げられます。まさにジパングと呼ばれていたことにも納得がいきます。
一方、魏志倭人伝の卑弥呼とは「ひのみこ」(日の御子・天照神のお子さん・天照神をお守りする)が漢字化されたとき所有格の「の」は省かれ「ひみこ」(卑弥呼)とされたと取られています。当時「ひのみこ2代目」(2代目の斎女)であった「やまと姫」が宇治に決めた経緯があり、年代的に斎宮・宇治山田付近と推定しています。(36綾)
この斎宮後も今後の発掘調査に期待したいと思います。
⑥ 「はるなははみち」について
「はるな」とは、榛名山のことを示していると考えます。近くには伊香保温泉があります。弥生時代以降江戸時代までに浅間山の大きな噴火は3回ありましたが、榛名山も大きな噴火を2度していたことが確認されています。位置的には、浅間山、榛名山、赤城山、日光白根山という火山がほぼ一直線につながっています。
榛名山の大噴火によって灰に埋まってしまった遺跡の発掘調査で、平城京と比べても遜色がないほど大きな規模の県・国の跡が埋もれている可能性があるとのことです。
ボンベイの遺跡は有名ですが、この榛名山の噴火で埋もれていた遺跡の今後の発掘調査が待たれます。
「はるなははみち のもやまも かえてむらくも ほのほふく とげやのあられ なるかみに」
次に「はるなははみち」の「はは」ですが、これは鉄・産鉄のことで、古代の産鉄地であったことを示していると考えます。たたら製鉄以前の古代の野ダタラ(溶鉱炉)がされていたことが推測できます。
野たたら製鉄をしている場所では、山の木を切り倒し、風の通る山の中腹に穴を掘り、砂鉄を溶かすために、木炭を燃やしその上に砂鉄を含んだ土砂を何層にも載せていくことをしていたようです。
大量の木・炭を燃すために、木を伐採された山ははげ山になり、燃え始めるまでは大量の煙が発生し、まさに「むらくも」という表現がぴったりします。燃え始めたら炎が吹き始めます。砂鉄7里に炭3里と言われ、近くに大量の木があるところ、寒風が吹き抜けるところが適していたようです。砂鉄は多少遠くてもかさばらないためであったようです。
群馬県(上州)のことわざに「かかあ天下」に「空っ風・からっかぜ」と「雷」とあるように冬の空っ風の吹く場所が野タタラに適していたからのようです。
本格的なタタラ製鉄(永代タタラ)になっても三日三晩燃やし続けていたようなので、かなり長期間にわたって燃やし続けていたと思われます。
(右図は窪田蔵郎著 日本の鉄より)
今でも、あちこちに古代の野たたらの跡が見つかっています。陥没した野たたらの跡のことを、場所によっては「ダイダラボッチ」という大男が歩いた足跡といっているところもあります。
古代の野たたら製鉄の遺跡として知られているところは、東北地方では青森県4、岩手県3、宮城県2、秋田県1、福島県 4、栃木県2、茨城県1、群馬県4となっています。大部分は破損がひどく、炉底のみが残っている状況で、もっと無数にあったものと推定されています。
参考文献:日本庶民生活資料史集成第10巻鐡山必要記事 三一書房
風と火の古代史 柴田弘武著 渓流社
古代の朱 松田壽男著 筑摩書房
鐡から読む日本の歴史 窪田蔵郎著 講談社 他
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by hon-hotsuma
| 2016-05-02 09:18
地球はもう温暖化していない 科学と政治の大転換へ 深井有著 平凡社 2015/10発行
第1章 CO2温暖化論が破綻するまで
第2章 太陽が主役、新しい気候変動の科学
第3章 あまりに政治化された「地球温暖化」
第4章 今後取るべき政策を考える
4つの章に分かれていますが、前半の章の内容については以前、同様の書感2冊取り上げた項目に重複するので、後半部分の展開についてのみ取り上げました。
以前取り上げたものというのは、 2010/5に「不機嫌な太陽・地球温暖化ブームを嗤う!」(デンマーク国立宇宙センターの太陽機構研究センター所長のH,スペニコル・サイエンスライターのN,コールダー著)で温暖化の原因は二酸化炭素(CO2)ではなく、宇宙線強度の変化・太陽からの変動が地球の気温変化に連動していることを突き止めていました。
更に2011/4には「二酸化炭素温暖化説の崩壊」(広瀬隆著)を取り上げました。
二酸化炭素温暖化説が捏造されてきたデータであったことの調査報告と、併せて原子力発電所の廃熱の問題が隠されてる。原子炉で生まれた熱エネルギーの1/3は電気になり、残りは熱となって海に捨てられている。発電量の2倍の熱量(約1億キロワット)を海水で冷却しており、海水を加熱していることの事実を隠している。
さて、今回取り上げた本書の裏表紙には、日本では疑う余地はないと思われている二酸化炭素(CO2)による人為的な地球温暖化。いまだに温暖化による危機が声高に叫ばれているが、驚くべきことに、データ上は20年近くも温暖化は進んでいない。さらに、太陽学や古気候学の最新知見から予測すると、今後太陽の活動が弱まり、地球寒冷化の可能性すらあるのだ。
物理学者からの警告!気候変動の主役は、CO2ではなく太陽だ。とあります。
国連機関IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が地球温暖化を唱え始めてから25年経過し、実際に温暖化が起こったのは7~8年に過ぎずその後世界の平均気温は頭打ちになって今はむしろ下降傾向にある。CO2濃度は毎年増え続けているのに、気温は18年間横ばいで、CO2理論が間違っていることは明らか。
あまりに政治化された「地球温暖化」について、国連機関IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、本来の研究機関ではなく温室効果ガスによる地球温暖化を前提として作られた組織なので、CO2削減という「先に結論ありき」で無理な作為を繰り返し、多くの疑問と誤りが見いだされクライゲート事件(内部機密メールの大量流出)に発展した。
日本が世界から取り残されている経緯について、京都議定書(CO2削減の数値目標)で背負い込まされた負担を、国民に崇高な義務と信じ込ませるため国を挙げてのキャンペーンの結果ではあるが、この問題の正否に真剣に取り組む気象学者がいなかった。そのため、国策に協力すればポストは保証され不自由なければ、異論を唱えようとしなくなるのは当然である。
地球温暖化についてのブログでのやり取りを見ていると、大多数は英語国民の間に限られていて日本からの発信は見たことがない。国の枠を超えた自由な意見交換が日常的に行われていることがうらやましい。日本を世界の孤児にしている。欧米の人たちの意識は変わっているのに言語障害のために日本に伝わっていない。
日本のマスコミはせめて世界で起こっていることを正確に伝えるのが使命であるくらいの見識は持ってほしいものだ。
日本では、温暖化対策のために巨額の費用が投じ続けられている。
日本の場合、国民がそのために払わされている税金は毎年4兆円だが、じつはCO2排出削減政策がGDP(国内総生産)を年間1~2%、金額にして5~10兆円押し下げる効果(逸失利益分)を加えると、負担は一世帯当たり20万円にもなる。われわれは毎年20万円も取られているのだ。
今後取るべき政策として、温暖化対策という金づるにぶら下がっているものすべてを精査して、大幅に切り捨てることから始めなければならない。
原発事故では原子力ムラの存在がクローズアップされたが、それと同様に、温暖化対策予算の周りには温暖化ムラが出来上がっている。
政・官・学と一部の企業を巻き込んだこの利権集団はなんとしても解体しなくてはならない。
また2012年10月から導入されて国民に年間2600億円の負担を強いている環境税も温暖化対策という目的が不合理なので廃止すべきである。
温暖化対策にこれだけ投資をすることは無駄なことで厳しく断罪されるべきであろう。
国を挙げての世論操作に騙されず、公権力の乱用を許さないようにしようではないか。
近頃しきりに戦時中のことを思い出す。先の見えない閉塞感の中で、地球温暖化防止という大義の下で人々が孜々としてCO2削減に励んでいるさまは、鬼畜米英を追放して大東亜共栄圏を構築するという大義の下、国を挙げて戦っていた姿にぴったり重なると著者は述べている。
現在これだけの情報が飛び交う中で、マスコミとは一体何なのか疑問に思ってしまう。真に伝えなければならないものと、ただ興味本位から伝えたいと思うものと勘違いしているように思えます。
今回の熊本地震のマスコミによる過熱報道ぶりも目に余るものがあります。TVはどの局も最新情報を伝えたい一心で同じように被災者の立場を考慮せず被災者に問いかけ繰り返し報じている。過熱報道のためのヘリコプターより現地に救援物資を早く届けることを優先できなかったのかと思いました。
以上
ジョンレノ・ホツマ
第1章 CO2温暖化論が破綻するまで
第2章 太陽が主役、新しい気候変動の科学
第3章 あまりに政治化された「地球温暖化」
第4章 今後取るべき政策を考える
4つの章に分かれていますが、前半の章の内容については以前、同様の書感2冊取り上げた項目に重複するので、後半部分の展開についてのみ取り上げました。
以前取り上げたものというのは、 2010/5に「不機嫌な太陽・地球温暖化ブームを嗤う!」(デンマーク国立宇宙センターの太陽機構研究センター所長のH,スペニコル・サイエンスライターのN,コールダー著)で温暖化の原因は二酸化炭素(CO2)ではなく、宇宙線強度の変化・太陽からの変動が地球の気温変化に連動していることを突き止めていました。
更に2011/4には「二酸化炭素温暖化説の崩壊」(広瀬隆著)を取り上げました。
二酸化炭素温暖化説が捏造されてきたデータであったことの調査報告と、併せて原子力発電所の廃熱の問題が隠されてる。原子炉で生まれた熱エネルギーの1/3は電気になり、残りは熱となって海に捨てられている。発電量の2倍の熱量(約1億キロワット)を海水で冷却しており、海水を加熱していることの事実を隠している。
さて、今回取り上げた本書の裏表紙には、日本では疑う余地はないと思われている二酸化炭素(CO2)による人為的な地球温暖化。いまだに温暖化による危機が声高に叫ばれているが、驚くべきことに、データ上は20年近くも温暖化は進んでいない。さらに、太陽学や古気候学の最新知見から予測すると、今後太陽の活動が弱まり、地球寒冷化の可能性すらあるのだ。
物理学者からの警告!気候変動の主役は、CO2ではなく太陽だ。とあります。
国連機関IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が地球温暖化を唱え始めてから25年経過し、実際に温暖化が起こったのは7~8年に過ぎずその後世界の平均気温は頭打ちになって今はむしろ下降傾向にある。CO2濃度は毎年増え続けているのに、気温は18年間横ばいで、CO2理論が間違っていることは明らか。
あまりに政治化された「地球温暖化」について、国連機関IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、本来の研究機関ではなく温室効果ガスによる地球温暖化を前提として作られた組織なので、CO2削減という「先に結論ありき」で無理な作為を繰り返し、多くの疑問と誤りが見いだされクライゲート事件(内部機密メールの大量流出)に発展した。
日本が世界から取り残されている経緯について、京都議定書(CO2削減の数値目標)で背負い込まされた負担を、国民に崇高な義務と信じ込ませるため国を挙げてのキャンペーンの結果ではあるが、この問題の正否に真剣に取り組む気象学者がいなかった。そのため、国策に協力すればポストは保証され不自由なければ、異論を唱えようとしなくなるのは当然である。
地球温暖化についてのブログでのやり取りを見ていると、大多数は英語国民の間に限られていて日本からの発信は見たことがない。国の枠を超えた自由な意見交換が日常的に行われていることがうらやましい。日本を世界の孤児にしている。欧米の人たちの意識は変わっているのに言語障害のために日本に伝わっていない。
日本のマスコミはせめて世界で起こっていることを正確に伝えるのが使命であるくらいの見識は持ってほしいものだ。
日本では、温暖化対策のために巨額の費用が投じ続けられている。
日本の場合、国民がそのために払わされている税金は毎年4兆円だが、じつはCO2排出削減政策がGDP(国内総生産)を年間1~2%、金額にして5~10兆円押し下げる効果(逸失利益分)を加えると、負担は一世帯当たり20万円にもなる。われわれは毎年20万円も取られているのだ。
今後取るべき政策として、温暖化対策という金づるにぶら下がっているものすべてを精査して、大幅に切り捨てることから始めなければならない。
原発事故では原子力ムラの存在がクローズアップされたが、それと同様に、温暖化対策予算の周りには温暖化ムラが出来上がっている。
政・官・学と一部の企業を巻き込んだこの利権集団はなんとしても解体しなくてはならない。
また2012年10月から導入されて国民に年間2600億円の負担を強いている環境税も温暖化対策という目的が不合理なので廃止すべきである。
温暖化対策にこれだけ投資をすることは無駄なことで厳しく断罪されるべきであろう。
国を挙げての世論操作に騙されず、公権力の乱用を許さないようにしようではないか。
近頃しきりに戦時中のことを思い出す。先の見えない閉塞感の中で、地球温暖化防止という大義の下で人々が孜々としてCO2削減に励んでいるさまは、鬼畜米英を追放して大東亜共栄圏を構築するという大義の下、国を挙げて戦っていた姿にぴったり重なると著者は述べている。
現在これだけの情報が飛び交う中で、マスコミとは一体何なのか疑問に思ってしまう。真に伝えなければならないものと、ただ興味本位から伝えたいと思うものと勘違いしているように思えます。
今回の熊本地震のマスコミによる過熱報道ぶりも目に余るものがあります。TVはどの局も最新情報を伝えたい一心で同じように被災者の立場を考慮せず被災者に問いかけ繰り返し報じている。過熱報道のためのヘリコプターより現地に救援物資を早く届けることを優先できなかったのかと思いました。
以上
ジョンレノ・ホツマ
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by hon-hotsuma
| 2016-04-29 18:32
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