ほつまつたえ


Hotsuma tsutae feelings
by hon-hotsuma
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ホツマエッセイ 神社の鈴の生い立ち


 神社の正面に鈴が祀られているのは、鈴の音が神様の御霊を引き付けるためという説明が一般的のようですが、生い立ちについては、触れておらずはっきりしていないようです。

 

 ホツマツタヱを読んでいくうちに、日本の創世記の葦原中国(あしはらなかくに)という言葉と、この鈴(すず)が結びついているような気がしました。

 

 「鈴」の生い立ちについて、古代の鉄とか金属関連を調査された方々の書物などから「鈴石」であることは承知していました。鈴石と言うのは中が空洞で振ると音がする石のことで、褐鉄鉱と呼ばれる水酸化鉄「FeO(OH)」のことですが、錫とも呼ばれていたようです。

 褐鉄鉱は、場所や形状によって、鈴石、鳴石、針鉄鉱、岩壺、高師小僧とも呼ばれているようです。

  

 火山国日本で、葦原の生茂っている茶色に色づいている水辺は鉄分が多く、長い年月をかけて葦の根元に鉄分が吸い寄せられ、水酸化鉄の被膜となって根の周りで成長し鈴の外側のようになり、やがて中に閉じ込められた葦の根は涸れはて中で固まり、振ると音が出るようになりました。鈴の原型と言えます。

 

 葦は、河川や湖沼の水際に背の高い群落を形成し、水流の少ないところに育ち、多数の茎が水中に並び立つことから、その根本には鉄分を含んだ泥が溜まりやすくなっているようです。

 

 根っこより茎の部分に纏わりついて細長いのが高師小僧と呼ばれているものです。この形の違う高師小僧も同じ水酸化鉄でできています。鉄鐸と呼ばれているものにそっくりです。

 

 では、なぜ、鈴が神社の正面に祀られているのか。それは、この鈴石を溶かして生まれた鉄は非常に貴重なものであったからです。

 昭和の時代までは「鉄は国家なり」と言われてきましたが、このホツマツタヱの前半がまとめられた紀元前660年より以前の紀元前1000年以上も昔から「鉄は国家なり」であったことが推測できます。これは、縄文時代の話になります。

 さて、この褐鉄鉱と呼ばれている水酸化鉄という化合物について、驚く事実を再確認しました。今まで、漠然と見過ごしてしまっていましたが、水酸化鉄は350400℃で分解を始めます。

 縄文土器の焼成温度は500600℃からサンプルによっては700800℃であったと報告されています。土器を焼く温度より低い温度で溶融できるわけです。鉄の分子そのものが完全に熔解するのではなく、不純物と分離して液状になっていきます。

 この水酸化鉄を鉄ではなく錫という表示している方もおられました。融点が低かったので勘違いされても当然だと思いました。

 私も、鉄(Fe)の熔解温度は800℃ですので、褐鉄鉱でも同じ程度の温度が必要であると思い込んでいました。今まで、想像していた以上に低い温度で溶け始めていたことを改めて認識しました。

 では、この鈴石・褐鉄鉱である水酸化鉄をどういう方法で溶融していたかですが、今までは具体的にどのような方法をとっていたか思いつくことが出来ないでいましたが、大型の縄文土器に入れて加熱していたということに合点がいきました。

  大型の縄文土器の華麗に装飾された外観は、土器の中に入れた鈴石・褐鉄鉱に少しでも速く熱が伝わり溶融するよう多くのヒレを作って表面積を大きくしたと考えられます。以前は、縄文土器のダイナミックな外観にただ感心していただけでしたが、用途が分かった上で改めて見ると納得できる外観に感心しました。

 この褐鉄鉱で作られた鉄は、権力者の象徴として、斧などに形を変えてより一層ゆるぎないものになっていったものと考えます。

ただ、ここでの完成品は通常我々が目にしている800℃以上で熔解された鉄製品とは違い、例えて言えば、漆喰のような感じのものではなかったでしょうか。硬さは得られても、耐久性については今一つと言ったところではないでしょうか。そのため、これらの製品が現存していない理由も理解できます。

 時間の経過とともに、あちこちで縄文土器によって褐鉄鉱の溶融が出来るようになると、原料となる褐鉄鉱取りつくしてしまい、探すことも大変になって来たと推測されます。多くの臣や民の時間と労力を要して出来上がった象徴として、鈴を献上し、引き続き鈴が得られるように願ったものと考えます。

 しかし、時代と共に、この葦の根や茎に付着していた鈴石を取りつくしてしまったら、今度は褐鉄鉱が成長するまで気が遠くなるほどの時間待たなければなりません。

 早く葦原で再生できるよう土の神や水の神に祈った化身が、銅鐸となり、鉄鐸となったのではないでしょうか。

 併せて、大陸に褐鉄鉱を求めて、あるいは新たな製鉄方法を求めていたことが考えられます。

後に、大陸から大量に砂鉄を使ったタタラ製鉄が導入されるからです。

 これは、当時の産業革命です。

褐鉄鉱・鈴石を何十年、百何十年と待つことなしに、川砂に含まれている砂鉄から鉄を作り出すことが出来るようになったからです。

 

そうなると、鈴石が早く成長できるようにと祈っていた銅鐸の存在価値が忽然と消えてしまいました。

 ここで、新しいたたら製鉄を採用する者と、今までの鈴石からの方法にこだわっていた者の間で、いろいろな争いごとが起こります。

 ホツマツタヱ34綾に「いずもをまつってください」という歌が暗示しています。

    ねみかがみ みそこたからの (み=3、そ=10、こ=9→39)

    みからぬし たにみくゝりみ

    たましづか うましみかみは

    みからぬしやも

 賀茂岩倉遺跡から39の銅鐸が出現しましたが、ホツマツタヱの記述の中に、「39体の「みからぬし」(銅鐸のこと言っていると思う)を谷底に置いたままになっている」が、まさにこの状況であったと思われます。

 このホツマエッセイのきっかけは「御柱祭 火と鉄と神と 縄文時代を科学する 百瀬高子著 渓流社 2006年7月」を読んで今まで漠然としていた個所がはっきりしたからです。ありがとうございました。

以上


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by hon-hotsuma | 2018-05-20 21:33

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